2011/12/31

LOOK BACK 2011 ラスト 行く年来る年

さて今年も神戸の実家に帰っての大晦日、元旦を迎える。
まったく個人的なマイニュース2011を振り返ってみる。
今年もビッグ・ニュース盛りだくだんな1年だった。みなさん、ありがとうございました。
ベスト3をあげるとなると、こんな感じ。

1.娘が生まれる

2.前橋市美術館(仮称)の設計をおこなう

3.石神井台の家が住まいの環境デザイン賞特別賞を受賞し、テレビや雑誌さまざまなメディアで紹介いただく

以上です。

さて、2012年が始まる。

まずまず前進あるのみ。
来年もよろしくお願いします。

では、よいお年を。

2011/12/30

LOOK BACK 2011 その3

全く個人的なマイベスト第3弾。いよいよ音楽編。相変わらずアナログレコードとCDを購入している。ネットのダウンロードはいまだかつてしたことがない。こんな時代にあえて、アナログに逆行している今日この頃である。というわけで、今年は全部で68枚のレコード&CDを購入。昨年は100枚超えだったので、やはり今年は忙しさがたたって少し少なめ。でも、まあ70枚近くなので、贅沢は言えないな。68の内訳はレコード盤が35枚、CDが33枚。ほぼ五分五分といったところ。比較的新しく発売されたものはCDで購入してるのでマイベストは今年もCDから選んでみる。順番はこんな感じかな。
1.How To Become Clairvougant / Robbie Robertson
2.Majestic Silver Strings/Buddy Miller
3.Weather / Meshell Ndegeocello
4.How Do You Do?/Mayer Hawthorne
5.Hosonova/ 細野晴臣
番外Have A Little Faith/Bill Frisell
 ロビー・ロバートソンのアルバムが圧倒的によかった。何故か、あまり話題にならなかった記憶があるが、まさにロック。もう素晴らしい出来栄え。だと、思います。バディ・ミラーも鉄板という感じかな。ミシェル・ンデゲオチェロ、メイヤー・ホーソーンは全く対照的だけど、おお、という新鮮味があった。ビル・フリーゼルは昔のアルバムですがずっと欲しかったのを購入。気に入ってずっと聴いているので番外編にいれさせてもらった。来年は個人的にはもう少し余裕をもっていろいろな音楽に接したいところ、ですね。さて2012年はいかに。

2011/12/29

LOOK BACK 2011 その2+おまけ(大阪編)

全く個人的なマイベスト第2弾、今日は映画編。今年は全く忙しくて観た映画はなんと2編!!のみ。涙。合掌。。。
ちょとマイ・ベストは語れないね。改めて映画を観るのにはパワーがいるんだな、と痛烈に実感。約120分という時間、映画館という場所へ赴くという行為、そして心の余裕、といったことが必要条件になってくるんだろう。うむ。
 ちなみに観た2本は、オスカーをとった『英国王のスピーチ』と、テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』。良く考えたらツリー・オブ・ライフはカンヌをとったんだったかな?アカデミーとカンヌの作品しか観てないのか。。。さむい、ですね。。。

さて年末になり東京での業務も終了。関西に移動。今日は大阪で大学の学生時代のT12組(工学部の12組という意味です。ちなみに僕たちの学生時代は教養の2年間は他の学科と同じクラス分けになっていて、一緒に授業を受けていた(いやサボっていた)という時代なので、他分野の友人ともいまだに仲がいい。)のミニ同窓会を開催することになり、大阪の我が常酒場『テズマ』で開催。ウエスタン、ザク、イッチャン、もっさん、きのぴたと6名が集合。いや、なつかしい。8年ぶりに会う連中もいて近況報告や、家族のはなし、お互いの健康の話(40過ぎるとね、この話題ばっかし。いやはや。)、大阪市長など現在ホットな世の中の四方山話などにはながさく。ちょっと明るいうちから始めてあっという間に終電間際になった。いや時間がたつのは早い。そしてみな40を過ぎようとしている、かつての連れと飲みながら、時間の流れを鮮やかに、そしてゆるやかに、力強く感じた。学生時代から20年がたっているのか、と当たり前のことをあらためて思う。そんな感じで2011年最終盤の大阪の夜は暮れていく。

※この翌日にヴェンダースの『パレルモ・シューティング』を京都の四条烏丸の映画館で観たので、結局3編になりました。まあ、どうでもいいんですが、まあ一応記します。はい。ちなみに『パレルモ・シューティング』のPRテキストは「現在を、生きることを、問いかける、世界の内なる、声を聞け!」。う~む、昨日の今日なので、少し考えさせられるな。世界の内なる声を聞け!のくだりがいいよね。さて、考えよう。ちょっとだけね。

2011/12/28

LOOK BACK 2011 その1

2011年もいよいよラストスパート。ということで、昨年もやりましたが全くな個人的なマイ・ベスト2011をふりかえり。まずは書籍編。以前も書きましたがが、僕は常時4冊の本を並行して読み進める、という読書スタイルなのである。他人からは「よくそんなんで4つの話がグチャグチャにならないねぇ。」と言われるが慣れてしまうと意外といいもんですよ。ちなみにその4つのスタイルはこんな感じ。
①じっくりと腰を落ち着けて読む本:これは1階の本棚に
②アート、建築系の専門をパラパラ読み齧る用の本:これは2階の食卓近くに。
③カバンに持ち歩いて電車の中等の移動中に読む本:もちろんカバンの中
④寝る前に気軽に読む本:これは3階のベッド枕元に
 2011年は数えてみたら48冊の書籍を読了した模様。昨年のブログを見返すとちょっと増えたかな。忙しくなるとなかなか本を読む時間もとれないが、例年通りという数字ということは、まあこんなもんなんだろう。2011年は特に傑作がなかったような気がするが、それ以上に自分自身が大きな業務が進行中で、充実し過ぎの生活を送っていたため本当に本を読んだ感じがしない。普段の生活が激務になると、大作系に対してどうしても食傷気味になることに改めて気づかされた。ので、今年は本当に軽めのものばかりを読んで、癒しを求めていたんだろうな。と思い入るこの年の瀬。
昨年から村上春樹ものの今まで読んでいない取りこぼしを拾って読んでいるのを継続。絶版になって法外な値段でしか市場に出回っていないものを除けば翻訳モノも含めてほとんどを読破できた、ような気がする。。。ちなみに村上春樹の小品群は④のスタイルで読んでいる。ので、枕元にはしばしば常に村上春樹の本が登場したことになる。
 その他④のカテゴリーでは、最近、森見登美彦、万城目学の京大’S小説家にはまっている。「今更、鴨川ホルモーかい!」って、ミーハーな感じで恥ずかしいですが、疲れている時にいいんですよね。後、京都に住んでたので昔を想い出すノスタルジーに浸れて、ほっこり感がまたいいんです。後、絶版になってますが、小田嶋隆著の『山手線膝栗毛』も最高だった。エッジの効いたシニカルなルーザー感が逆に気持ちよく読みながら吹笑ものでした。それにしてもこれ小田嶋さんが34歳の時に書いた作品らしく、それもびっくり。
 ②のスタイルでは、ソフィ・カルの『本当の話』を中古で入手できたのが嬉しかった。ずっと欲しかったので満足である。建築関係では最近出た、篠原一男の2Gとエルクロッキースのスタジオ・ムンバイの特集がよかったな。篠原一男の2Gは日本の建築雑誌は「やられたな」感があるのではないでしょうか?思い過ごしかな。
 ③のスタイルは、昨年から引き続き、スティーブン・キングの『ダーク・タワー』シリーズを読んでいる。なかなか進まない。終わるまでの読書の旅は長いですね。ため息。①のスタイルではトマス・ピンチョン著の『メイスン・アンド・ディクソン』を読み始めたばかり。だが、1年くらいまったく進まず。大作系に食指が伸びない如実な例を露呈してしまったな。これまたため息。ポール・オースターの『幻影の書』を文庫化を待ち購入。現在これが本棚に待機中なので年初めからの楽しみだ。
①から④はなんとなく比較しづらいので、昨年同様それぞれのスタイルで1冊ずつセレクトということで、こんな感じ。
 ①:該当なし。。。と、いうもの寂しいので、本当は④ですが無理やりで、、、『マンハッタン・オプ』Ⅰ~Ⅳ/矢作俊彦
 ②:『本当の話』/ソフィ・カル、番外で『さよならペンギン』/糸井重里・湯村輝彦
 ③:『ダークタワー』シリーズ(しか読んでません。しかも、なかなか進みません。)
④:『親鸞』/五木寛之
(クリスマスに親鸞≒浄土真宗を読了という荒業をやってのけた今年のゴールデン・クリスマス。ロンリーなクリスマスを過ごした諸氏に乾杯だ!)

2011/12/21

2011設計演習納め


2011年の武蔵野大学の設計演習の授業「空間造形4」の最終日。かつ講評審査会。
3年生後期に展開されている授業で、学生にとってはこれが最後の設計演習になる。
後は卒業設計しか残っていない。
ので、今日は学生にとってはいままでの成果を思い切りぶつけてもらうしかない。。。という思いで僕も授業に臨んでいる。もちろん僕にとっても最も大切な授業の一つだ。
今年度は4スタジオ制で授業を開催。ちなみに水谷スタジオの課題は『新バウスシアター』。吉祥寺にあるバウスシアターという映画館の敷地を対象にして、コミュニティ劇場を設計するという課題である。今年は7名の学生が履修。
・吉祥寺の路地と開放的な中庭を中心に施設を構成した劇場群
・舞台裏の雰囲気をみせる、こどものための劇場
・ピアノ庫を特徴的に配置したコンサートホール
・周辺環境のピクチャレスクと、都市を結ぶ機能をもったコミュニティホール
・折り紙構造による特徴的な造形モチーフの劇場
・外部舞台と連携した舞台構成をもつ能楽堂
・小さな劇場単位を分散配置した劇場市場
と、今年も特徴的な提案が提出された。
苦労しながら設計プロセスを蓄積して進む学生もいれば、つくっては壊し、つくっては壊しの連続で進んでいく学生もいる。まあ、いずれにせよ、この悪戦苦闘をするということが大切なんだと思う。まあ、やってる本人はそんな風には思えないだろうが、そういう苦労も楽しみの一部なんだよな。そう、楽しんでナンボ、の世界なのである。ほとんどの学生が徹夜明けなので、講評会の間はダウンしている学生がチラホラ。そんな中、スタジオを御担当の先生方、専攻の先生方と7時間以上にわたる講評会をおこなう。いや、さすがにこっちも頭がしびれてくるが、このアドレナリンが出てきてマゾヒスティック・ハイにる感じが気持ちいい。う~ん、ちょっぴり変態、、、っていう感じでしょうか。
さてさて、今年度の学生の作品の総評。全体としてはまとまりがあり、ある程度のレベルはクリアできているのだが、良くも悪くもぶっ飛んだ案は今年も見られなかった。その振れ幅が毎年小さくなってきている感じがする。残念。まあ仕方ないといえば仕方ないのだが、学生には本当に僕たち教員の評価なんて考えずに、自分のやりたい設計を達成してもらいたいと思う。良い子になるな、悪い子になれ!という感じかな。ちょっと、違うか。。。でも、褒められるために妥協するくらいなら、好きなことをどんな批評されようともやり遂げて欲しいですね。それが力になると思うから。そんな思いを抱きながら、講評会後の懇親会に突入。
今年の飲み会では提出の遅れた学生がゲリラ発表をおこなったりと、なかなか元気な所を見せてくれた。みんないろいろな想いがあるだろうが、終わった後にビールを飲んでる姿は解放感があり、学生のそんな姿をこっちがみて逆に開放されていく感じがうまれる。学生のみんなは本当にお疲れさまでした。
懇親会もはねて、大学の実習棟にひとりきりで、とりまとめの作業をおこなう。まさに、兵どもが夢の跡(ちょっと言い過ぎ)な感じに浸りながら、夜は更けていく。
また年末恒例の一大イベントが終わった。
さらに2011年カウントダウンの針が進む。
チークタク。チークタク。

2011/12/17

吉祥寺はしご


茨城県の小美玉より毎年恒例の忘年会にキンさんとGeoさんがいらっしゃる。おふたりはかつて劇場を設計させていただいた折に大変お世話になった方々。今年は娘が産まれたこともあるので、まずは娘の顔をご覧いただき、その後吉祥寺へ移動して年忘れの宴を開催するという流れに決定。
この年の瀬の週末だが、午後のまあまあ早い時間からビールを飲みながら過ごすというのは全くもって贅沢な時間です。
吉祥寺ということで、やはり「いせや」しかないかな、ということで直行。昼ではあるが相変わらずの盛況である。店が改装されてからは足が遠のいていたので、ほぼ5年ぶり(ん?もうちょっと経つかな?)に暖簾をくぐる。かつての面影は全くなくなっているが、まあ過ぎたことはあまり気にしないようにする。焼き鳥の煙がモウモウと漂う中、近況報告や仕事の話、家族の話、野球の話(ちなみに3人はジャイアンツ、ホークス、バッファローズのファンなので今年は特に争点はなくおだやかに話は進む)、後ちょっと恋の話(?)などをオヤジ3人でおこなう。それにしても初めてお会いしてから、もう10年以上が経ったことは改めて感慨深い。いやはや本当に時の流れは早い、って毎年そんな話をしているな。
「いせや」の後は、いつもの流れでハモニカ横丁の「美舟」へ。「いせや」→「美舟」の黄金リレーは、意外と初めてなのに気づく。濃い感じがするので今までスルーしていた感があるが、やってみると、、、やはり濃いいな。
2人が「こんな(よく言えば風情のある、悪くいえば薄汚れた、ということです)店は地方にはないよな。東京らしい。」という話しているのを聞いて、なるほどなと思う。普段何気なく生活をしているが、そのあたりが東京のまちの奥深い所なのだろうと改めて思う。時々客観的な方向から気づくこういう感触は大事にしたいものだなあ、と思う。
時間はあっという間に過ぎて、9時前にお別れ。昼から都合7時間以上飲んでいたことになる。
吉祥寺の時間の層を感じながら、またひとつ年末の恒例行事が終わる。
またカウントダウンの針が進む。

2011/12/11

さとがえる2011


日曜だけど大学で入試があるために出勤。来年度はまたどんな新入生が入ってくるのかと、ちょこっと期待を抱きながら業務に勤しむ。
業務終了後、NHKホールへ。
これまた毎年恒例になってきている感はあるが、矢野顕子の「さとがえる」コンサート。今年は例年とちがって、ピアニストの上原ひろみとのヂュオ・ライブである。
バックのバンド編成はなく、2人きりでピアノを弾くという、シンプルかつストロングなプログラムになっている。
いや、想像以上に素晴らしかった。力強い上原ひろみのプレイに、それを包み込む矢野顕子のセンス。ピアノだけの演奏で(しかもクラシックではない)これだけ奥深くエネルギッシュな雰囲気を堪能できるとは、という感じである。
最後は客電が灯いて、コンサート終了のアナウンスが流れているのに、アンコールの拍手が鳴りやまずに、再度アンコールで2人が登場したのは感動的だった。いやはや、まさしくスタンディングオベーションものですね。
それにしても、客電が灯いた後にアンコールで登場するのを観るのは本当に久しぶりだったな。ブルース・スプリングスティーン(あれは中学生か高校生の時)、と奥田民生(これは社会人になっていた)、くらいかな。いや、後、親に連れられて行ったフリオ・イグレシアスもそうだった。そういえば昔、村上春樹がフリオ・イグレシアスを否定的に書いたエッセイがあったけど、、、まあ、好き嫌いはあれ、すごいものはすごいんだなぁと改めて想い出してみる今日この頃。
と、全然関係ない話にずれていってしまったな。
でもやはり音楽はライブで聴くのが一番。生の音と演奏。そして、共有できる空間。それにつきるね、とあらためて、という程ではないか感じ入る。
また年末恒例のイベントが終わってしまった。
いよいよカウントダウンが始まる気配。そんな渋谷の夜。

2011/12/09

ぽっかりと空白の1日


ちょっとした事情で予定が変更になり、群馬県内でぽっかりと時間が空いてしまう。かっこよく言うと空白の1日というところか。同行していてくれた大阪の建築家のイケさんと、「折角群馬まで来ているので何もしないで帰るのももったいないので、、、」ということで、群馬県立近代美術館を観に行くことに。
学生時代に雑誌などで散々見ていたし、前橋までは頻繁に行っているのだが、訪問するのはこれが初めて。
いや、懐かしい~。と、いうのが真っ先な素直な感想。学生時代の感覚が思い浮かぶ、、、というか蘇る感じ。こういうの、なんて表現したらいいのかな?デジャヴという訳ではないし。。。そんな微妙な、感覚の中、磯崎作品を堪能。
いや、予想以上によかった。うん。素直に。ガッツリと建築をつくっている雰囲気がビンビンだ。今まで磯崎の展示施設作品は水戸芸、奈義町、西脇岡之山、原アーク、富山博、などを見ているが(そういえば北九州もまだ見ていないことに気づく)、群馬が一番好きかもしれない。明解なコンセプトかつ空間構成(群馬の場合は12mの立方体キューブフレームということになるだろう)で、というかほとんどそのペアセットだけで造形していくという行為は、建築のある意味初源的な魅力を表現できうるのかもしれない、と改めて感じ入る。こういう建築は現在はできないんだろうな。というか、流行りではないんだな。でも、いいものはいい。ということをまた改めてじっくりと感じさせられた。
空白の1日もいいもんだ。
と、無理やり思い込もうとしてると思ってるでしょ?まあ、いいんですよ。そんな感じで時は流れています。

2011/12/05

武蔵野八幡宮


お宮参りで武蔵野八幡宮へ。
土地の守り神である産土神様に、娘の健やかな成長を願う。
神戸から両家の母親もかけつけてくれて、みんなで祝うことができた。
こういう行事をおこなうと、やはりゲニウス・ロキ(地霊)ということを意識してしまう。境内は平日の昼間なのでとても静かで、本殿内で祝詞をあげていただきお参りをおこなっている時は、本当に厳粛な雰囲気に包まれる。こういう瞬間は、最近あまり経験することがないので貴重な空間体験なのだろうと思う。
その場所あっての建築。
あらためてその思いに感じ入る。
お参りの後に吉祥寺の第一ホテルに移動して母親たちとひとしきり話する。母親達が神戸に帰っていく姿を見送りながら時の流れの早さをふと感じる。
その場所、そして時間があっての建築。
あらためてその思いに感じ入る。
うん、まあ建築はどうでもいいんですけどね。一応、CONSTRUCTIONブログなので、、、まあそんな感じです。健やかな成長を願いながら。

2011/12/03

新宿ロック


嵐のような天気。
まだ朝が明けきらないうちに家を出て、豪雨の中、新宿へ向かう。
まったく私事ながら、今日は毎年恒例の年末ライブ。ライブというのは、実は趣味(?)でアマチュアのロック・バンドをやっていて、毎年恒例、この年末にさしかかった頃にライブをやっている(ちなみに僕は楽器が何もできないからという理由だけでVo.をやっておる次第)。ロック・バンドとはいいながら、もう正真正銘のおっさんバンド。今年をもってメンバー全員が40歳の大台に乗りました。
 とはいえ2011年のこの時点で活動をスタートして何と12年目。昨年も同じようなことを書いた記憶がありますが、まあ、ここまでくると続いていること自体がすごいことである。バンドをやったことがある人ならお分かりでしょうが、バンド活動を継続するのは、本当に難しい。。。のである。継続こそ力、なんだろうか?、とふと思う。
 ライブハウスは昨年同様新宿5丁目の方のSUN FACE。昨年演らせていただいて、とても気持ちがよかったので2年連続でお世話になる。今年は4バンドで対バン。なんと昨年同様、トリでの登場。まあ、何年やっててもステージに上がる時は緊張しますね。
今年は出演バンド数が多いので全7曲30分のステージ。最初から全開でいってもOKな尺なので、ぶっ飛ばす勢いでアクセル全開でいく。年々歳をとり、声の持久力もなくなってきている。いつまで、こんなロックを歌えるのか、と毎年思う。そんな気持ちを込めて、バッファ―ローズを今期限りで退団する田口荘選手のユニフォームTシャツを着てステージにあがった。
ライブハウスはお客さんで満員になり、最後のアンコールでMonkeesのDaydream Believerでしめ、なんとか無事終了。雨の中本当にたくさんのお客さんにお越しいただき感謝感謝である。今年は教え子のEjiとHaruも観に来てくれた。本当にどうもありがとうございました。
 ライブが終わり、これまた恒例の打ち上げへとなだれ込む。2次会の後半くらいからアルコール指数もUPしていき、路上立ち飲み屋や、新宿らしい居酒屋などをはしごして、最後はベースのダイスケと観に来てくれた大学時代の友人のタカネと共に5軒目で力尽きる。
この年末ライブが終わると、いよいよ年の瀬の声が一気に聞えてくる。酩酊した頭で、そんな思いを抱きながら新宿に乾杯する。
ロッケンロール!

2011/11/12

テーマは「働く男(いや、乙女でした)」


武蔵野大学で大学の支援のもとOBOG懇談会を開催。主に3年生を対象にして就職活動をひかえた学生に、社会で活躍している卒業生の先輩たちとの交流をおこなう場を設ける企画である。その担当にあずかったので、水谷研の卒業生に声をかけ、それぞれの話を聞かせてもらい在校生と交流をしてもらうことに。
1期生のHaru、トモ、EJI、3期生のナツミの4人に出陣してもらう。それぞれ設計事務所、施工会社、企業の営繕、ハウスメーカーと、特色のある各分野で活躍中なので、学生たちは先輩の生の声が聞けて、実感が沸いたのではないかと思う。
会もただありきたりな感じだとつまらないので、ちょっと趣向を凝らしてみる。
 スタッフの愛さんに墨書きで、タイトルや講演者のめくり幕をつくってもらったり(愛さん、ありがとうございました)、講演者には「今日の主役」と書いた巨大な札をつけてもらったり、また、オープニングにはユニコーン「働く男」を爆音でかけてスタートしたり(まあ、就職支援でもあるのでね。でも、ユニコーンが爆音でかかった時、一瞬我を忘れてしまったな。うん、青春だよなと。関係ない話ですみません、はい。)、と、バカバカしくもピリッときいた仕掛けをほどこしてみる。そんな(余計な)ことやるから、ただでさえ忙しいのにむだに忙しくなるんだよなぁ。。。
と少しだけ反省してみる。
会は4人の卒業生が一生懸命準備をして、話してくれたおかげで、聞いている僕もとても面白かった。学生は週末ということで半分くらいの出席率。もっと来るかな、と思ったが、ちと残念。ただ、参加した学生に書いてもらった感想を読むと彼らも刺激になったようで、それを読むと会を開催してよかったかなと思う。
ただ、大学の流れも変わってきたな、と改めて思う。本当に至れり尽くせりだよなぁ、と。
学生諸君にはこの過保護な空気感も存分に利用してこの不況の世界を乗り切って欲しいと思う。まあ、人生はミスマッチ(水谷研3期生スローガン)なんだから、やってみるしかないんだよな。と思う今日この頃。
何はともあれ、成長した卒業生の4人の姿を見れたのは嬉しかった。会の終わりにパチリ。
ほんとにありがとう。お疲れさまでした。

2011/11/08

ザ・ウォールな昼下がり


 武蔵野大学の授業「環境論演習」でのひとコマ。毎年恒例になってきたが、授業の中で『散歩ライブ』をおこなう課題を出したところ、なぜかこんなことに。
 学生が倒れているのは御愛嬌。そもそも課題の主旨は場所を読み解いて、その場を表現できることを何らかのかたちで(表現方法は全くの自由)パフォーマンスをおこなう、というもの。そんな主旨はどこにやら(まあ、毎年そうなんですが)、というところだが、学生の意外なエネルギーにこっちも少し興味深かった。

 これはあるグループが、段ボールを大量に集めてきて即席で空間をつくる、という試みをしたところ。プログラム自体は特に何てことなく終わったのだが、一旦終わった後にある学生が「段ボールで壁を立ててブチ壊したい!」、と発言した所に端を発する。今までののんびりした雰囲気から一転、学生たちの動きが機敏になり段ボールの壁があっという間に立ち上がる。そして奇声を上げて、ドワーっ!!と壁を壊したところ、勢い余ってずっこけてます。
 それにしても、最近の若者は元気ないな、という感が世の中満載だが、いやいや。ロック魂は若者にもあるじゃないか、と思わされた一コマでした。
 ひとつひとつ積み上げた壁を壊す、という行為はさまざまなかたちで演じられたり、アート活動としておこなわれたり、文字通り壁を壊したりと、、、人間の壊したい欲求の根源的な表現方法なのかもしれないと、思ってしまう。ピナ・バウシュの『パレルモ・パレルモ』しかり、ジャン・ピエール・レイノーの『レイノーの家』しかり、そしてピンク・フロイドの『ザ・ウォール』しかり、である。(ピンク・フロイドは逆だったかな?最後に壊したような記憶があるが間違ってたらすみません。)
 そして期せずして、もうすぐ、吉祥寺バウスでピンク・フロイドの『ザ・ウォール』が始まる。
 今の若者はピンクの豚が見えるだろうか?
 そんなことに思いを馳せる昼下がり。
 なのである。

2011/11/06

むさしの環境フェスタ・アーチの森2011出陣



 毎年恒例になっている、木造仮設建築物を制作するプロジェクト、『アーチの森』。
 今年はもちろん『アーチの森2011』となる訳だが、武蔵野大学での学園祭での展示も終え、満を持して、武蔵野市が主催して行われるイベント「第4回むさしの環境フェスタ」に出展をおこなう。
 今年度は、今までの線材を使用した形態から、新たな方向性を探り、面材による構築物にチャレンジをおこなった。まだまだ改善の余地はあるが、なかなか面白い展開になりそうである。
が、周りの人たちの評判はあまり芳しくない。多分、ラワン合板を組み合わせただけのラフなテイストが受け入れられていのだと思う。建築関係の人たちは繊細できれいなもの好きだからね。
 でも、明確な批判があるわけではない(まあ、確かに面と向かっての批判はないわな)。明確な批判がないということは、明確に(或いは、顕著に?)悪い所があるわけではない。ということは、どこが悪いのか分からない、ということになる(と、いうか無理やりそうしてしまうことにする)。
 どこが悪いのか分からない時は、どうすればいいかいうと、もう、何が悪いか分からないので「気にせずドンドン進む」しかないのである。
 一件落着。
 それにしても、雨の中、たくさんの来場者の方にお越しいただいた。組み合わせた部材のスケールダウンした木のカケラを子供たちに、アーチ本体に差し込んでもらうワークショップも予定数をあっという間に完了して、なかなか盛況だったようだ。
 では、学生諸君、また来年度に向かってドンドン進んでいきましょう。

2011/10/31

ものがなしさといふこと

今日昼ごはんを買いに出かけて、かなしいことがあった。と、いうほど大きな事件があった訳ではないが。。。
 昼ご飯は、たまに持ってきたり、外食したりしてるのだが、だいたいが御弁当屋に買いに行っている。事務所から歩いて数分のところに、安くて、味もいい弁当屋があるので、そこまで行って買ってきて事務所で食べるということが習慣になっている。
その弁当屋は味やコストパフォーマンスがいいのもあるのだが、売っている人の人柄がそこはかとなくにじみ出ていて、そこがお気に入りの理由のひとつでもあった。先週買いに行った時は突然お店のおばちゃんに、
「ところで産まれたの?」
と突然聞かれてびっくり。
普段、話をしたことなんかなかったけど、妻と時々買いにいっていたので、状況がなんとなく分かってくれていたのだろう。
「ええ、おかげさまで。。。」と照れながら返事をさせてもらった。
まったく私ごとではあるが、東京の街中でも、コミュニティ感のようなものを感じる一場面であった。そんなことがあった矢先である。
今日買いに言ってみると、
『誠に勝手ながら29日をもって閉店とさせていただきました』の貼り紙。
 絶句して、乗っていた自転車からこけそうになった。まさに青天の霹靂だな。まあ、弁当ひとつで大袈裟な、と言われる方も多数いらっしゃるだろうけど、大切の昼ごはんのまさにエースがいなくなるのは、何とも表現しがたいもの哀しさがあるのである。
 まさに、ダルビッシュを失ったファイターズ状態である(日ハムはまだ失った訳ではないけど)。
日常生活の一部がなくなってしまう、或いは激変してしまうということは、往々にしてあることだ。が、改めて考えてみると、ハード(建築とかももちろん)であれソフト的なことであれ、やはり、それは、“ものがなしい”としか言いようがないのである。
 ため息をつくほか、仕方がない。
 これからの昼ごはんの物語が、ひとつ消えてしまったな、と思う今日この頃。
 まさにため息。

2011/10/29

豊田・金沢行軍


 美術館の設計をしていることもあり、どうしても見ておきたい美術館に見に行くことに。1泊2日の強行軍で、豊田市美術館(谷口吉生氏設計)と金沢21世紀美術館(SANAA設計)をみにいく。金沢は3回目だが、豊田はなんと初めての訪問。なかなか名古屋までいく機会があっても行けなかったので、“ついに”という気持ちも若干ある。
 金沢はやはり現在の建築の流れをつくっている(と僕は思っていますが)、という感があり現在の流行りの元祖的な空気感が漂っている。例えば、内藤廣さんが雑誌で石上純也さんのことを「極北に立って設計している」(すみません、表現はうる覚えなので正確ではないかもしれません)、と表現されていたが、極北への出入口的な作品だ。材料の選択や納まりなどは勝負をかけている様子が伝わってくる。
 豊田は、(まあ、まったく感想になってしまいますが)、ある意味その対極にある。と思う。ある意味、極南。ん?違うかな?いずれにしても、確かな素材感。そして確かなディテール。そして確かな存在感。建築家の大塚聡さんが、豊田を評して、「蜃気楼が建っているように見えた」と表現されていたが。さすがに、僕には蜃気楼とまでは見えませんでしたが、そんな気持ちは分からないでもないなぁ、と痛感した。
もうどっちがいいかは好みも問題かな、と思ったりする。極北か、極南か。。。
ふと、表現をするというのは、本当に難しいものだなと改めて思う。それは建築の作品に限ったことではなく。
ちょっと話がずれてしまうが。もっと、普段の僕たちのコミュニケーションに関わるようなことも含めてのはなしも考えてみる。
本当の自分の想いや意思を伝えるのはなかなか微妙なものだ。人は時に妙で突発的な行為をして、傷つけたり傷つけられたりして、真実やホントの気持ちや真意をなかなか伝えられないものなのだなぁ、と感じ入ってしまう。
 ましてや建築による表現は、いわんやをや、である。
 さて、我に返って、僕たちはどっちに進むべきかと考えてみる。極北も極南も取られてしまった。では、東か西か。そんなこと構わず、ど真ん中にストレートでいいんじゃないか。ホームランを打たれるかもしれなれど。腕を大きく振ることを心がけて直球を投げ込むだけだ。狙うは絶妙にズバッとアウトロー。
それでいいのだと思う金沢の夜。

2011/10/19

レッチリのいえ

武蔵野大学の設計演習で、3年後期の第1課題の講評会。例年通りだが、第1課題は3週間の小課題で、学生にはある意味、瞬発力を期待した課題でもある。
水谷スタジオは例年のとおり、『スーパースターのいえ』(ロック・アーティスト)シリーズ。今年で、このシリーズも7年目に突入したことになる。いやはや、長く続いてますね。
 そして今年の課題は『Red Hot Chilli Peppersのいえ』。
 この課題は敷地や建築条件など、特に規制や制約のない課題なので、学生は本当に困った顔で設計に取組むことになる。まずは設計(デザイン)のとっかかりを見つけなくてはいけない。普段はそんな、なんでもありな課題に接してないのでまずはそこで苦労する。そしてコンセプトを構築して、空間として表現し、その設計したものの意味を問わなければならないので大変そうである。
 学生と議論していると、「ある程度制約がないと、進められない。。。一体、何したらいいんですか?」という意見を年度を経るにつれて聞くようになってきている。自由さ故の不自由さ。そんなことを学生も実感しているのだろう。ここでのポイントは、助け船は決て出さないということ。これは、指導教員としてもとても悩ましいところではあるが、そこがツボである。自分で突破口を見つけることも大切なんだ(というか、そこに課題の一番の醍醐味がある)ということに気づいて欲しい、と思っている。でもね、なかなか最近の学生諸君は結果を求めたがるから、、、難しいのである。
 今年度は7名が履修。先週まではほとんどが完成しないんじゃないか、と心配していたが、蟻の巣のような空間があり、ストイックなまでに建築素材を積み上げていく形態のものもあり、場所性を認識させるしかけづくりだけで勝負する案もあり、ニューヨークの超高層ビルにガツンとやる都市的なアプローチもあり、まったく空間として機能していないメタフォリカルな案もありと面白かった。
 履修者のひとりがマレーシアからの留学生で、その彼が最後に、「この課題をやることの意味は一体何なんですか?」と聞いてきたのが刺激的だった。
「その意味を見つけることに、この課題の意味があるんじゃい!」。
と、いうのがひとまず僕の答え。
 なにはともあれ講評会は、ある意味、“ロックンロール・タイム”を自ら体感できる瞬間だ。
 さあ、学生のみんなはロックできたかな?

2011/10/16

住人十色


大阪の毎日放送の『住人十色』という番組に、「石神井台の家」をとりあげていただき、昨日がその放送日だった。ようだ。
と、いうのも、家族ができてバタバタなので、という以前に関西でしか放送が見れない、という以前にそもそも我が家にはテレビがない、、、ので、残念ながらオンタイムで放送が見ることができない。
大学や高校の同級生から、感想のコメントをメイルでいただく。

テレビがない生活を送っているので、「なんだか、テレビなんかなぁ。。。。」と、このところ続いたテレビの収録に食傷気味だったのだけど。本当に偶然テレビを見ていた人もいて、20年ぶりくらいに連絡をもらった人もいたりして、なんかうれしい。こういうことがあるとテレビにも出てみるもんだなぁ、と思う。。。うん、ちょっとだけですけどね、思ってみたりする。
感想も好意的なものをいただいたので(って、まあ、みなさん悪くは言わないよね。。。本当は思ってても。。。と、いうような裏読みはこの際しないことにする。)、放送局から送られてくる予定のDVDを楽しみにしましょう。
この前のBS朝日の放送とは内容も違ってて、この前は紹介されなかった3階の様子も映っているみたいなので2本見て全貌が分かるような感じらしいです。ご覧になった関西の方がいたら、感想くださいね。

2011/10/14

20111014

















まったくもって私事ですが、家族が増えました。
また新たな生活のスタートですね。
元気にいきますよ。みなさんも元気に。

2011/09/30

椅子とバファローズな日々

武蔵野大学で椅子をつくる授業をおこなっている。通称「いす環」。昨年度学生が制作したオリジナルの椅子作品を三鷹のギャラリーで展示をおこなうことになった。今日が展覧会期の丁度中日。
学外でこのような個展をおこなうのは実は5年ぶり(ちなみに5年前は高円寺のギャラリーで開催)。毎年、学生に発破をかけていたのだけど、なかなか実現できず今年久しぶりの対外的なアピールの場となる。とてもささやかな展覧会だけど、学生にとてもいい経験になるだろう。こじんまりとしたギャラリーだけど、道路を挟んで井の頭公園に面していてとても気持ちのいい空間だ。この気持ちのいい空間を感じながら、こうやってひとつひとつ丁寧に、デザインという行為を積み重ねていくということはとても大切だと思うのである。
という訳で、ひとつひとつの積み重ねつながりで、(無理やりだけど)もう1トピック。全く話は変わるが、ここにきて、我がバッファローズが好調だ。9月は俄然勝ち星を積み重ね、一時は10ゲーム差くらいあった2位ファイターズを射程距離に捉えた(現在2.5ゲーム差)。しかし、バファローズよりも圧倒的に勝ち星を重ねているライオンズの追い上げも半端ないので、大変なことになっている。後10試合ほど残っているだけなので、なんとかクライマックスシリーズに勝ち進んでもらいたい。今日はナイターでイーグルスのエース岩隈と対決。バッファローズはこちらもエース金子。いや、しびれるような投手戦だった。後藤が8回、得意のクソ・ローボールをセンター前にはじき返して勝負を決めた。
2人のピッチャーは、丁寧に1球、1球投げ込む投手戦。美しい試合というのは、こういうものなんだなと思う。
ひとつひとつ、ささやかに、やっていくことが大切なんですね。まあ、無理やりですが。。。

2011/09/26

そつけん&41th Birthday

ゼミ生(4年生)の卒業研究の審査会がおこなわれる。前期の総決算的な位置づけで、もちろんこれをしっかりやらないと後期の卒業設計(卒業論文)へとつながっていかないので学生は真剣に取り組んでる(と、僕は思っている)。
常々、ゼミ生には言っているが、おそらく学術研究(論文)というものを自分自身でつくっていくという経験は、後にも先にもこれが最後なのだから、思い切りやりなさい、ということを伝えている。なので、うちのゼミの学生は比較的自分の好きなテーマで卒業研究に取り組んでくれている(と、僕は思っている)。
そんな訳で、今年度もバリエーションのある研究テーマが並んだ。もちろん商店街を調査したり、都市の景観をある要素をターゲットにして調査したりというフィールドワーク系のものあるが、例えば、ある映画をひとつの空間として形成する試みとか、音楽と都市を言葉のイメージで結び付け(てひとつのチャート化する)る試みをおこなったり、夕陽が沈むシーンを延々と2000枚程毎日撮り続けて、それをなんかしら語ってみる、という面白いものがあった。
今年度は10名がゼミ生なので、10ものいろいろな題材を指導していくのは大変なのだけど、基本的に僕自身がそれを楽しんでいるのだから、まあ、いいのである。だからこそ、学生には、是非、自分の好きなテーマを見つけて、それを、(まあ基本的には最後は苦しむんだけども、、、)楽しんで研究を進めて欲しいという感でいっぱいである。
若い人たちの(学生の)パワーが少しずつダウンしているような風に世間では言われているが、そんなことは気にせずに学生諸君には元気に突き進んでもらいたい。でも、なかなか好きなことを見つけられないような様子も見てとれて悩ましいところなんだけど。。。
そんなこんなで前半が終わった。と思ったら、今日は自分の誕生日だった。サプライズで4年生から花束をいただく。なぜか、ゼミ生たちの顔写真が針金でバシバシと花束に突き刺さったオブジェ(?)のオマケ付き。忙しい中、用意するのは大変だっただろう。感謝感激である。さて、いよいよ後半に突入。今年度のゼミのテーマが「おまつり、わっしょい!」なのでアグレッシブにチャレンジしてもらいたい。

2011/09/05

ご案内

イベントのご案内です。
前橋市美術館(仮称)プロジェクトの「美術館プレイベントvol.13トーク」が9/10(土)に開催されます。
当日は、設計者・水谷俊博から美術館デザインのお話をさせていただく予定です。ご興味のある方は当日直接会場へお越しください。

平成23年度美術館プレイベント vol.13 トーク
「美術館ができる 建築・デザイン・アート」

詳しくはこちらをご覧ください。

2011/08/07

初めてのテレビ体験

 ちょっとしたことがきっかけで、話は思わぬ方向に展開するもので・・・・、先日発売されたばかりの雑誌「住まいの設計 9・10月号」の記事をご覧になったテレビ番組制作会社の方から突然電話があったのは、7月末のこと。テレビ番組の中で「Off the Wall-石神井台の家」をご紹介いただけるかもしれないというお話を頂きました。「雑誌に掲載されたら、お客さんから住宅設計の依頼があるかな~」なんて期待していたら、第1号は全然違う方面からのお問い合わせでした。そんなもんでしょうか。
 その後、電話やメールで連絡をとって、実際に住宅をご覧いただいた結果、正式に決定。番組はBS朝日の「辰巳琢郎の家物語☆リモデルきらり」といって、リフォーム物件ばかりを紹介していて、30分番組の中で1物件をじっくりと取り上げていただけるというので、是非とお願いすることにしました。実は我が家はかれこれ7年近く自宅にテレビを置かない暮らしをおくっていて、番組のことは恥ずかしながら存知あげなかったのですが。
 そして、今日がその撮影第1日目。
 午前中から撮影スタッフさんが数名来られて、まずは吹き抜け部分に巨大な三脚を設置しての脚長椅子の撮影。当たり前ですが、写真と違って動きがあるので空間のつながりがよく表現されています。ただ、その映像の中に入る私たちにも何パターンかの動きが求められるので、「次はこのパターンで。」を何度も繰り返し。そんな感じで午前中はじっくりと脚長椅子の撮影。私が「じゃまになる」と文句を言い続けている脚長椅子が、こんなに注目されるとは・・・・・。まあいいけれど。
 午後からはいよいよ辰巳琢郎さんの登場。と同時に関係スタッフも急に増えて総計15名ほどに。外観をご覧いただく場面から始まって、内部は余すところなく隅々までご覧頂いての撮影。そこかしこの居場所を体験していただきました。詳しくは番組内でご覧いただくとして、撮影は各場所を案内しながら、水谷が設計について説明をしたり、暮らしの中での使い方をお話したりと進みました。番組は一体どのように編集されるのでしょうか。楽しみ半分、不安も半分。何せテレビは初めてのことですから、想像がつきません。
 その後、メインのリフォームエリアである1階のカウンターデスクでインタビューの撮影。この頃、あいにく外は土砂降りの雷雨で、部屋の中もかなり暗くなってしまったのですが、スタッフみなさんのご尽力により、1階での撮影となりました。照明の調整に苦労なさっていましたが、設計者としては、自分が設計した空間で撮影していただくのがやはり嬉しいです。
 最後に、インターネット用番組宣伝の撮影。辰巳さんと私たち3人でカメラに向かって「お楽しみに!」と決めてめでたく終了。
 この日は、特別に撮影後のお楽しみがありました。前日が辰巳さんのお誕生日だということで、ささやかなお祝い。みんなで♪ハッピーバースデーを歌ってケーキを一緒にいただきました。辰巳さん、おめでとうございます。(前にも書きましたが、うちにお客さんがある日はどうもお誕生日会になる傾向があります。)

 それにしても、大変な1日でした。慣れないことをするというのはこれほどにも疲れるものかと骨身にしみて感じました。皆さんがお帰りになった後は、ふたりでぐったり。食いしん坊の2人が、週末の夕食を適当に済ませてよしとするぐらい、ふらふらになりました。撮影は日を改めてもう一度。今度は日常の風景、インサート映像を撮影するとのこと。番組放映はもう少し先のことのようです。楽しみに待ちたいと思います。テレビはないけれど。

2011/04/16

オマージュ?!

 16日は「Off the Wall-石神井台の家(以下、石神井台の家)」の取材でした。空模様が気がかりでしたが、当日は初夏を思わせるような好天に恵まれました。
 取材にいらっしゃったのは、 松井編集室のライター松井晴子さんと写真家キッチンミノルさん。松井さんは3月末にプレ取材に来られて、石神井台の家のことはすでにご理解いただいているので、早速、取材開始。取材の趣旨をお2人で確認されながら全体をさっと見て回り、撮影場所と方法を手早く確認していたかと思えば撮影が始まっていて、人物を入れて撮影するコマになるとご指名がかかります。その段になるとキッチンさんのアドバイスで、私たちは椅子に腰かけたり、部屋の中を歩いたり。声がかからなくても、家事をしている姿が知らぬ間に撮影されてたことも。シャッター音がカシャカシャと手際よく鳴って、撮影は終始順調。途中、庭に出てティータイムの様子も撮影。 リフォームした1階に限らず、3階までの各所でまんべんなく撮影していただきました。その合間に、松井さんの核心に迫る取材。
 3時間ほどかけて、じっくりご覧いただいて、取材・撮影もそろそろ終盤という頃に編集長の鈴木康之さんのご登場。リフォームした1階はもちろんご覧いただきましたが、鈴木さんが気になったのは、今回のリフォームではほとんど手を入れなかった2階と3階のようで、ちょっと変わった作りになっている場所を見つけられては「不思議だ・・・」としばらく佇んでらっしゃいました。納得がいかない空間構成のようで、ずいぶん理解に困ってらっしゃったようにも見受けられました。住人として、当たり前の空間になりつつあるこの住宅が、いかに「変わったものであるか」を久しぶりに感じました。確かに、私たちも最初に訪れた時はすっと理解できず、繰り返し訪れて体で覚えようとした住宅でした。私たちだったらこんな風にはデザインしないだろうな・・・・と思う空間ではあるものの、実際にある空間は魅力があるという、説明しづらい住宅。
 印象的だったのは鈴木さんの感想で、既存の吹き抜け空間にリフォーム時に設置した家具(脚長椅子)をご覧になって「この家具は、元々の風変わりな空間を私たちは受け入れましたというオマージュですね」とおっしゃった言葉。私の実感としても、この住宅のリフォームは、既存の空間があまりに普通でないことに誘われるようにして進めたように感じます。そして住む段階になっても、無駄な空間がたくさんありすぎて、それらを使いこなすのに日々知恵を絞っています。
 一筋縄ではいかない石神井台の家、取材に来ていただいて、住む器としての魅力を改めて発見したように思います。

 この取材の内容は7月に発売される「住まいの設計9・10月号」に掲載される予定です。よろしければご覧ください。

2011/03/06

アーチの森2010 夜話

 昨年の秋に武蔵野市クリーンセンター主催の『CLEAN FES』に出展をした『アーチの森2010』が雑誌、新建築3月号に掲載されました。「セルフビルドによる木質材料のものづくり、木造ワークショップ」という特集への掲載をしていただきました。
 この木造建築物を制作するプロジェクトもスタートして6年がたった。一昨年は越後妻有のトリエンナーレにも出展させていただいたし、今回の記事掲載もひとつの大きな成果といえるだろう。学生もとても励みになることと思う。4月から7年目のプロジェクトがスタートする。どのような活動が生まれていくのか、僕も楽しみだ。

2011/03/05

水戸の幸せな宴

 ある結婚披露宴にご招待いただき、水戸まで出向く。丁度、偕楽園の梅見のシーズンのようで常磐線は満員状態。天気もよかったので、なおさらのことだろう。美術館にひたっている毎日なので、ちょっと早く出て、披露宴の前に水戸芸術館を観覧する。丁度、ポストモダンの時期にできた施設だが、非常に居心地のいい建築だといつ来ても思う。美術館の施設は現代美術がターゲットなので、自然光もバシバシと展示空間に取り込んでおり、その潔さがまた気持ちいい。

 披露宴に出席するためにあわただしく会場へ。招待いただいた新郎の方は8年前に設計に携わらせていただいた劇場施設の関係者の方。いつ伺っても、温かく出迎えて頂けるので第二の故郷のような雰囲気にひたってしまう。総勢200名くらいの披露宴。最近、大きな結婚披露宴にはお目にかかれないので、会場のエネルギーはすごく、会場全体の様相も圧倒的なものである。それにしても結婚式というものはいつ出席しても気持ちのいいものである。幸せな気分を分けていただき、こちらも少し幸せになった気分で常磐線で帰路につく。おめでとうございます。

2011/03/04

前橋市 美術館

 2月に開催された前橋市美術館(仮称)プロポーザルコンペティションにおいて審査の結果、最優秀賞に選定されました。日経アーキテクチャーの2月25日号などにも記事が掲載されたため、各方面から激励のメイルや連絡をいただき、ありがとうございます。


いよいよ設計がスタートします。前橋にどっぷりとつかりながら、いい美術館ができるように邁進していきます。

2011/01/12

卒業設計といふこと

 武蔵野大学の4年生が卒業設計の発表会。学生にとっては4年間の集大成の発表の場。2月に最終の審査会があるので、今回は予選会といった感じ。しかし全員発表し、それに教員たちがひとつひとつ講評をしていく。学生にとってはとても恵まれている。僕が学生の時と比べると雲泥の差だ。
 常々、学生には伝えてきたが、卒業設計は「褒められよう、評価されよう、と思ってはダメ。」だということだ。このあたりが設計演習との大きな違い。もちろん社会に出て設計の業務に携わると、さまざまな制約があり、自分の思いだけで建築ができていくという可能性は全くの「ゼロ」である。というのは紛れもない事実。ただ、それだからといって、目の前にある課題点に対応をして、実現性の高い、いいデザインの建築を設計すれば、「はい、終わり!」という訳にはいかない。と、僕は思う。もちろん他の先生方には違う意見の人たちもいるだろうが。。。
 学生時代の集大成なんだから夢を持ってほしい。そして、それを凄まじいまでの情熱をもって表現して欲しいと思っている。実現性なんかは、吹き飛んでしまうくらいの何かを見たい!と思っている。そう、今にも建ちそうな建築なんて考えても、クソみたいなもんだ。って感じでいいと思う。建築が描ける夢はまだまだ無限なんだから。そして、「自分一人が味方だぜ。楽しくやらんかい!(byどんと)」って感じかな。
 いざ、発表会。年々感じることだが、全く駄目な作品は減っている。だが、これ!といった作品も減っている。おとなしく、きれいにまとめている作品ばかりだ。年々その傾向が高くなっている。他の大学もそうなんだろうか。建築の行く末はどうなるんだろうか、とふと頭をよぎる。
 審査の結果、決勝ラウンドに残るのは16作品に決定。今年は2つの作品に「少し面白い!」と感じたものがあった。残念ながらそのうち1つは決勝には残らなかった。うちのゼミ生は7名が決勝ラウンドに駒を進めた。予選の感じだと決勝ではかなり苦労するだろう。思い切ってやって欲しい。

そう、
レッツ ロック アゲイン!!

2011/01/07

新年

明けましておめでとうございます。

本日ようやく全スタッフがそろったこともあり、遅ればせながら事務所近くの神社に初詣をし、気持ちを新たに2011年のスタートを切りました。

本年もどうぞよろしくお願いします。

2011/01/06

2011スタート

 2011年が始まった。
 年初めから父親の3回忌、年末に緊急入院した祖母のお見舞い、今年は本厄なので厄払いと立て続けに、深いコンテンツでスタートする。
 祖母は今年90歳になる。2年前の父の葬儀の時に会えたがその時以来。高齢なため、もう僕のことが誰だか分からないような状況だ。一抹の寂しさは感じるが、見舞った病院では身体は元気そうだったので少し安心する。おそらくもう病院から出ることはできないだろう。母は「人間、歳をとることは、こういうことなんだよ。」という箴言を呟きながら看病をしている。時は流れている。祖母が病室の窓を眺めながら「あ、飛行機がとんでるね。」と言ったのが印象的だった。僕の目でもかなり注意しないと分からないくらい、小さく空に浮かんでいたが、それを目にとめて口にしたのだった。なぜか、妙に感心してしまった。   
 父の3回忌も無事に終わった。思えば父が亡くなってから、父に関してはいろいろな想いを封印しているような気がする。と、お坊さんの読経を聞きながらふと思う。父が亡くなったことで何が自分の中で起こったか?と少し考えてみる。大切な人をなくしたときの思い。大切な人をなくした後自分はどう歩んでいくべきかという心持ち。そして、そもそも大切なものとはどういうものなのか?と考える内なる省み。そんなことを、すべてひっくるめて感じるようになったのだろう。まあ、漠然としていて分からないような感覚ではある。言葉にするのは難しい。コーエン兄弟監督の『ノ―・カントリー』の最後を想い出す。トミー・リー・ジョーンズが演じる警察官が奥さんを相手にダイニングテーブルで自分のみた夢について話すシーン。彼は夢の中で雪の中をトボトボ歩いているが、後ろからすでに亡くなっている父親がロウソクを燈した篝火を持ちながら歩いてきて先に進んでいく、というくだりである。何のメタファーなのかはさまざまな考え方があるだろうが、どんなに状況でも火を燈しながら前に進むことによって何か未来へのてがかりを感じる、ということなんだろう。ある意味、ブルース・スプリングスティーンの『Dancing In The Dark』の世界だ。これは僕なりの(かなりの)意訳。

君は火を熾すことができないんだ。なにもなければ火を熾すことはできない。
なにかが火を燈すためにそこにある
たとえ僕たちが暗闇で踊っているとしても。
ヘイ、ベイビー!

この最後の、「ヘイ、ベイビー!」がいいんだよな。
そんなこんなで、2011年が始まりました。
そして、2011年のテーマは、これにした。
『「前進!前進!!前進!!!」の旅だぜ。』
前進あるのみ!ロッケンロール。