2015/08/31

塩屋~舞子に想う

 ちょっと時間がたってしまったが、夏季休暇を利用して実家の神戸に帰省する。例年ではあるが、舞子の浜と、今年は初めて塩屋のジェームス邸に立ち寄ってみた。3年ほど前に改装がありオープンしたのを知っていたが、なかなかチャンスがなかった。
 神戸の西方面にあたる須磨から垂水にかけては海と山の距離が非常に小さく、本当に猫の額のような地形に沿って家々が建ち並んでいる。なので結果、海と山にとても近いので、両方の良さを堪能できるという地の利もふんだんにある。僕は幼少時代、家から海水パンツ一枚で駆け出し、海岸まで毎日遊びに行っていた想い出がある。子供が遊ぶ環境としてはとても良好だし、やはり海の景観は素晴らしい。ジェームス邸からの眺めも本当に最高だ。改めて、地元の良さを感じてしまう。
 そして、舞子の浜は、歌川広重の『六十余州名所図会』の浮世絵に描かれているくらい、ある意味由緒正しい美しい浜辺で、現在は明石大橋ができてこの景観はまったく損なわれてしまっている、というのが通説だが、でも、その良さは現在でも感じることができる。これが「場の力なのかなぁ」と感じ入る。でも、子供の頃はまったくそんなこと意識してなかったけどね。
 時は経って、変わるものもあれば、変わらぬものもあり。まさに、その通りだよなぁ。(TM

2015/08/28

サイ・トォンブリー展

 品川に所用があり少し時間ができたので、原美術館で開催中のサイ・トォンブリーの展覧会を観に行く。いろいろな所で、評価が著しく高い展覧会なので期待大だったが、その期待に違わぬ良い展覧会である。まったく個人的な感想だが、サイ・トォンブリーの絵は、描くということの初源的なことを感じさせてくれる。なので観る者に、何か喚起するモノを与えてくれているような気がする。だから観ていて、何故か元気が出てくる作品(こんな風に思うのは僕だけかな?)と思えてしまう。また、原美術館の空間自体が、その喚起する様相を増長させている。この初源的な感じを、大切にしたいと思っていて、建築としても何かできるのではないか、と思ってみる。でも、それって、表現の域までもっていくのって、なかなか難しいんだよねぇ。(TM)

2015/08/22

新宿クリエイターズフェスタ2015出展

  新宿クリエイターズフェスタ2015に武蔵野大学水谷俊博研究室名義で作品を出展しています。
  作品名:『混線都』
  展示場所:新宿センタービル1階ロビー
 今年度の作品は例年と違い、メッセージ性というかアート性重視の作品です。建築的ではない所等、学生の狙いが個人的には興味深い。
   821日(金)から96日(日)までが会期になっています。お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。

2015/08/19

甲子園随想

  夏も真っ盛りで、今年の高校野球も佳境を迎えている。
  祖父母が甲子園に住んでいたこともあり、幼少の頃は春夏とも祖父母の家に一週間くらいずっとお世話になりながら、高校野球をずっと観ていた。あまり知られていないが、高校野球は外野席がタダで観られるので、子供のころは暇さえあればずっと球場に通っていた。
 その祖母も今では甲子園を越して、高齢のため施設に入ってしまったが、この夏子供たちを連れて面会にいった。祖母はもう我々のことがあまり分からなくなってしまっているが、親子4世代間の交流をみながら感じ入ることもある。さて、そんなこんなで少し想い出話しを。
 甲子園での高校野球も数々の名試合を球場で生で観戦したが、はじめて甲子園に足を踏み入れたのは1977年の夏の大会。しかも決勝戦。母親に連れられて行った想い出がある。小学校に入ったばかりの僕は非常におとなしい子(言いかえればガッツがない子)で、親が心配して、我が子に「何か熱いものに触れて欲しい!」という思いやりがあったようだ。母の実家が甲子園だったので、それなら高校野球を観に行こうとなった。
 対戦カードは奇しくも、地元兵庫代表の東洋大姫路と元祖甲子園アイドルである“バンビ坂本(って、もう誰も知らないかなぁ。)”がエースの愛知代表の東邦の組み合わせ。何せ地元優勝の可能性とアイドル投手との対戦というダブルでの盛り上がりということもあり、球場は超々満員。記憶が定かでないが、試合の本当に終盤に球場に着いたようで、ライトスタンドはもう人が下の通路まで溢れかえっていて、観客席まではとても上がれるような状況でなかった。もちろん外野フェンスの高い壁がそびえているため試合の様子が観れる訳もなく、母からは「もう、観れないから、帰ろうか。。。」と言われた。試合が観れない事実を知った僕は、もう強烈に大泣きしてしまい、母はとても困り途方にくれてしまったが、小さい子が泣いてる様子をあまりに可哀そうに思ったのか、外野席の最前列にいた、あるオジさんが、何と、「僕!こっちおいで!!」と客席から手を伸ばしてくれた。甲子園球場は、外野下の通路から高さ2mくらいの壁がある上から客席がはじまるのだが、そこで僕が取った行動は、その2mくらいの壁をよじ登ろうとしたのだった。周りの人が助けてくれて、そのオジサンの伸ばす手につかまり、オジサンが客席まで文字通り2mくらい上にずずーっと引き上げてくれた。そして、そこでやっと球場の様子を一望することができた。その見ず知らずのオジサンには感謝である。本当にいい時代だったなぁ、と思う。そして、初めて生で観る球場の様子は外野の芝が緑にキラキラと輝きとても美しかったのを覚えている。
 試合はとても緊迫した展開で9回でも決着がつかず、延長戦に突入しており、10回裏の東洋大姫路の攻撃。2死ながら塁上にはランナーが二人。まわりは地元の優勝を祈る大応援が轟いている。そんな中、4番バッターが打席に立った。球場が大きく揺らぐような感覚の中、バッターが打った打球が快音を残して、大きな弧を描き本当に目の前のライトのラッキーゾーンへ飛んできた。何と、優勝を決めるサヨナラ・ホームラン。球場は大興奮で大混乱状態。僕は降り注ぐ紙吹雪をかぶっていた帽子に集めながら、それをまた撒き散らしていた。ふと下を見下ろしてみると、下の通路で母親がまぶしそうに、こっちを見ている様子が印象的だった。母が見守る中、紙吹雪が乱れ飛ぶのが、何故か季節はずれの桜の花びらが散ってるような錯覚をしてしまい、とても幻想的な景色だった。これが僕と甲子園の出会いである。
 さて、このホームラン。決勝でのサヨナラホームランは史上初だったと記憶している(そして、その後もないんじゃないかな?)。しかも75年、76年も決勝戦はサヨナラで決まったため、この試合が3年連続のサヨナラでの優勝が決まった試合となった。この体験に非常に感動してしまった(これで感動しなければアホでしょ)僕は、次の年は両親に頼んで、ちゃんと内野席のチケットを買って決勝戦を観にいくことになる。そして次の年、78年の決勝は、「2度あることは3度あると言うけど、4度目はないよね。」と言っていたことが、それに反して現実になることを目の当たりにするのである。まさに奇跡は続く。

さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。(TM)