2018/02/28

見ることのリアル展

あくまでも個人的な感覚なのだが、六本木ヒルズができて以降、六本木に違和感を覚えだして、足が向かなくなってしまっている(昔はWAVEとかに行ってたけど。。。)。が、森美術館の展覧会が時折いい企画をするので、どうしても行かざるを得ない。
 開催中の『レアンドロ・エルリッヒ展 見ることのリアル』展へ。王道だが素晴らしい展覧会としか言いようがない。作品の一つ一つが質量とも高い水準で、それが一堂に展示される訳なので、もう文句のつけようがない。特に今回はレアンドロ・エルリッヒなので、作新のテーマは分かりやすく、ビジュアルも見栄えが抜群(ある意味インスタ映えバッチリ)である。それにしても来場者に、圧倒的に若い人たち、しかも女性、が多いのには少し驚いた。入場料かなりいいお値段なので、この人手の多さは静かな衝撃だ。そのあたりにアートの力(いや、六本木のパワーなのか?)に感じ入るのでありました。(TM)

2018/02/27

「アーチの森2017」掲載

 武蔵野大学水谷研で設計、施工をした、仮設木造建築作品、『Colors-アーチの森2017-』が雑誌「建築と社会」20172月号に掲載されました。
 学生にとってもこういう風にメディアに掲載されると、励みになってモチベーションもあがっていく。今後の活動も乞うご期待。(TM)

2018/02/23

MJ’s FES展

 川崎市民ミュージアムで開催中の、『MJ’s FESみうらじゅんフェス!マイブームの全貌展 SINCE1958』展を観る。まったく個人的な感想だが、世の中にはごく少数の本物の天才というのがいる、と思っているのだが、みうらじゅんは本当の天才だと思う。そんな思いを確認させられる展覧会。
 本人のコメントにもあるが、展覧会のキモは「展示されるその数」のおびただしさと、「一体、この展覧会は何なのか?」と感じさせるそのコンテンツである。そして展示が醸し出す雰囲気は、あくまでもユルい。会場(構成)のいい意味での中途半端さも、いい感じが出ていて素晴らしい。
 「誰からも頼まれることのない仕事」をまったくの自分だけの世界観でかたちづくるというのが、アートの神髄だと痛烈に感じさせられるし、継続こそ最も大切なこと、と改めてつくづくと認識させられる。やはり天才だ、と頷いてみる。(TM)

2018/02/22

萩~津和野へ

 23日で萩、津和野方面へ赴く。もちろん建築も観る訳だが、その主なラインナップは、萩市民館、萩市役所(設計:共に菊竹清訓)、山口県立萩美術館(設計:丹下健三)、明倫学舎、秋吉台国際芸術村(設計:磯崎新)、秋芳洞、津和野森鴎外記念館(設計:宮本忠長)、中原中也記念館(設計:プランツアソシエイツ)、という感じ。
 中でも萩市民館はやはり素晴らしいと思った。築50年が経過しているが、きれいなかたちで施設は稼働をしており、RCの躯体に乗るシンボリックでマッシヴな白い屋根がかたちづくる場所は本当にすがすがしく気持ちが良い。施設の方にお聞きしたところ、さすがに現在のソフトには対応ができなくなってきているところもあるようだが、非常に建物に対する愛を持たれながら施設管理をされている様子を伺えて感銘を受けた。モダニズム建築が次々となくなっていく流れは残念ながら押し寄せてくる気配も禁じ得ないが、いいかたちで、いい建築が利用されていくのを望むばかりである。(TM)

2018/02/14

始まりの庭展

 この時期バタバタしているのだが、『鈴木康広 始まりの庭』展を観に、箱根の森彫刻美術館へ。数年前の水戸芸術館の展覧会をわずか20分で観なければならないという鬼のスケジュールだったため、今回は少し無理してでも観たいと思っていた。
 箱根の森美術館も訪れる機会がなかったために、初めてだったのだが、いかんせん遠い(!笑)。やはり、もっとのんびりと来ないと行けない場所なのだなぁ、と改めて実感。
 展示のコンテンツとしては、ロンドン・ビエンナーレの凱旋展示という感じで、作家の現時点での集大成的な感じである。個人的には会場がやや狭い感じがして(まあ、それが良い、という意見もあると思うけど)、ヴォリュームの大きな(そして、空間にバリエーションのある)展示室の方が更に魅力が増すだろうなぁ、と感じさせられた。展示室内に鋼製の細い配管のようなオブジェを巡らせて、生じる結露を作品に採り入れているあたりは、ある意味建築的で本展示の白眉といってもいいだろう。
 箱根の山を登ってきた甲斐があった、という気分で山を下りるのでありました。(TM)

2018/02/11

卒業設計審査会2017(年度)

 武蔵野大学の卒業設計の公開審査会。
 1/16の学内審査を経て、今年度は8名が最終審査で発表をおこなう。個人的には今年度は5年続いた司会の大役を逃れることができたので、かなりリラックスした心持で審査会に臨むことができた。
 1300にスタートし学生の発表に続き、公開審査会に突入。今年も審査員の先生方、11名という大所帯で開催(しかも、公開で!)するので、これがなかなか審査会の運営上の難易度を上げている。
 最初に投票をおこない議論に入る。8作品から5作品まで絞り込むことができたが、ここからは、なかなか議論が前に進まず、ある意味決定打がない今年度の作品群の様子が、よく分かる。と、文章で書くと平坦な感じになるが、全体で6時間超えの審査会になる。結局、今年も同じような流れになり、作品をこれ以上絞り込むことができずに最終の決選投票へ舵を切る。ここ2年程同じような感じだが、今年も差がないので結果がまったく読めないというような状況だな、と予想したのだが。。。。開票の結果、1位とそれ以下に点数としては意外にも圧倒的な大差が出た。2位、3位と4位は接戦で1点差だったが、順位が一発で決まり審査会は無事終了。学生の皆さんはお疲れさまでした。
 水谷研からは、3名が審査会に臨み、ミズノが5位で次点(武蔵野大学は4位までが優秀賞なので)ということで涙をのんだが、フッチーが見事1位(最優秀)を獲得。ユリが4位(優秀賞)と頑張った。重ねてになるが本当にお疲れさまでした。審査する側もどっぷりと疲れました。
 終わった後、全体の懇親会をおこない、学生も(ついでに教員も)一様に「1年が終わった感」をにじませながら、学生の作品をツマにいろいろと話をする。
個人的な感想としては、予選ではそもそも作品数が少なかったので盛り上がらないなぁと思っていたが、最終の審査会はそこそこ面白かった。作品は、ぶっ飛んだ提案が年々少なくなってきているが、まあ、それは社会全体的な風潮がそうなってきているので、ある意味仕方がない、個人的には少し残念だが、まあ、良かったのではないかと自分を納得させることとする。
 学生たちには、卒業設計は卒業後も自身の語り草になるので大切にして欲しい、というようなことをメッセージとして伝えて、長い一日が終わる。会場を後にして、ゲストの審査員の方を交えて駅前でもう一献。
 さて、いよいよ年度末も佳境に突入。(TM)

2018/02/09

椅子の講評会2017(年度)


 例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、その講評会を開催。今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びに。木工作家の渡邊浩幸さん、映像ディレクターの土居京子さん、現代舞踏家の相原朋枝さん、写真家のキッチンミノルさんにお越し頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。僕以外はみなさん建築とは違った分野の方々なので、その講評も個人的にはとても楽しい。
 今年度は履修者14名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、課題に対する回答として、賛同側にまわるか、或いは批判的な立場をとる場合が多い訳だが、どちらにも立たない、という立ち位置もあり、それが面白い、ということである。
 昨年のこの会のコメントでも書いたような記憶があるが、作品が発する余白(のようなもの)というものの大切さを改めて感じさせられる。その作品の持つ余白(のようなもの)というものは、しっかりと作者がデザインの答えを持って初めて提示できる(逆に言うと、その答えを持ってないとダメということ)のであるが、プレゼンの仕方によっては、それは観る側や感じる側に委ねてしまえるやり方があるのだなぁ、と思った。そして、それがある強度を持ってできていると、作品自体の出来不出来はそれ程重要ではなくなってしまうのである。まあ、それが良いか悪いかは、ちょっと微妙なところなんだけどね。最後に個人的には、「課題の奥の意味(僕が考えているポイント)と、その課題に対するスタンスの在り方。」ということを総括で講評させてもらう。
 建築の設計も、ある程度は同様のことが言えるが、あまりデザインの裏を取りすぎてしまうとNG、という側面もあり、なかなか難しい。。。いやはや。
 終わった後は、履修学生全員を交えて30名程で三鷹の駅前で打ち上げ。1年の集大成ということで、学生は一様に充実感を漂わせてくれていて嬉しい。さて、次は2日後に卒業設計の審査会が控えている。怒涛の年度末が続いていくのです。はい。(TM)

「イスをつくる」
課題:「 作戦であり、謀略であり、計画であり、
    宗教であり、数学であり、建築であり、
    退行&進化、そして哲学を全て統合したステージで
    スマホを捨て、SNSを捨てた
    そんな時に座るイス」

【課題概要】
 「動画発信サービス「Ustream(ユーストリーム)」のブランドがサービス10年で消滅する」、という事態になった、というニュースが流れた(201746日の日本経済新聞の記事より)。ネットによる動画配信としては日本国内では「ニコニコ生サービス」と並んで知名度の高いサービスだ(った:あえて過去形に)が、サービス開始当初からパソコンでの視聴を想定していため、スマートフォン(スマホ)への対応が後手に回ったことが原因らしい。
 まさに、スマホの時代である。総務省の情報通信白書(平成27年度版)によると、スマホの世帯普及率は72.0%、20歳代のスマホによるインターネット利用率は何と91.3%という結果になっている。まさにスマホがないと生きていけなくなっているんじゃないだろうか、とさえ思わせる実情である。そして、SNS。もちろん便利なものだが、その中毒性もさまざまなに指摘されている(世間的にはまったく無視同然だが。。。)。タバコがガンの病因になり得るように、SNSは鬱病やパニック発作や病的な苛立ちの病因になり得る、と言われている事実もある。
 さて、そんな、今現在、スマホとSNSとどう向き合うか?(って若い世代には酷な設問、或いはバカな質問だ。)、或いは、投げ捨てた時どうなるのか?
 演劇家の寺山修司は、「書を捨てよ、町へ出よう」と謳った。さあ、みんな、「スマホ(とSNS)を捨てよ!」。何処へ出ようか?
 様々に考えを巡らしてみてください。魅力的なイスに出会えることを期待しています

2018/02/08

広報の撮影@クリーンセンター

 行事(&イベント)が目白押しで、怒涛のように時間が過ぎてゆく。
 武蔵野大学の広報の撮影というのがあり、学生と一緒に武蔵野クリーンセンターへ。大学広報が特集を組んでおり、「地域と大学の連携」というテーマで、さまざまな取り組みをとり上げていく企画、ということだ。
 研究室で武蔵野クリーンセンターと協働でおこなっている取り組みを紹介する、ということになり昨年、設計デザインから施工まで関わったエコ・マルシェを囲んで撮影。クリーンセンターの施設の方々にもご協力いただきました。いい天気にも恵まれて、撮影は良い感じで終了。広報は春先に中央線の車内にも掲示されるようですので、見かけたら記事を読んでみていただければ幸いです。(TM)

2018/02/07

痕跡の妄想

  2週間ばかり前に東京は大雪が降った次第で、その時、自宅の庭で小さは雪だるまを子供たちとつくってみた。それ以来忘れ去られていた存在なのだが、ほとんど雪が溶けて消えてしまった後、その雪だるま君の痕跡として、小さな雪のカタマリ、しかも若干丸い形をとどめているオブジェクトが残っている。と、いうか、逆に、ポッと置かれたように存在している。
 これに哲学的な意味を読み取るのは、難解なようで以外に簡単だ。そこで、あまり哲学的に考えずにいこうと思ってみた。これが雪じゃないとすると、何に見えるか?
 小さく白い隕石、季節外れなお化け、はたまたマシュマロマンの赤ちゃんか!。。。まあ、妄想することはいいことだと勝手に思ってみる、2月の朝。(TM)

2018/02/03

浮世絵博

 所用があり、松本へ。市内はそれほど雪が深くなく、(今年のこの時期に限ってなのだろうが、)東京の方が雪が多いような感じがする。
 日本浮世絵博物館(設計者:篠原一男)に赴く。篠原一男の設計作品としては数少ない公共(的)規模の建築、と認識している。
 それにしても、不思議な建築だ。抽象的な空間でありながら、何となく手作り感のような作りこんだ芳醇な建築要素が端々に見え隠れしているような気持ちになる。想像以上に垂直方向のスケール感が空間(ロビー空間)を律していて、展示室と対比を成しているのも少し不思議な感じがした。立地は決して便のいい場所という訳でもなく、ポツンと存在している。雪が残る冬だからそう感じるのかもしれないが、やはり不思議な感じがする(決して悪い意味ではありません。念のため。)。建築の意味を考えさせられるのでありました。(TM)