2013/06/21

I’ll Wait








『1984』と聞いて何を連想するか?、というトピックをスタッフのharuと話していて、間髪を入れず「ヴァン・ヘイレン」と答えたところ、「え~!何でですかっ?(信じられない!!)」ってリアクションがあったのを想い出す(おそらく彼女はオーソン・ウェルズや村上春樹、といったところなんだろうが。。。)。
そしてその数ヶ月後前橋の現場でそれと全く同じトピックの話になった時に、周りは僕と同年代の人ばかりしかいなく、みな異口同音に「ヴァン・ヘイレンしかありえへんやろ!」と言われ、彼女は沈黙するしかないといったこともあったなぁ、ということも想い出しながら、東京ドームへ。
ついにこの日が来たかという万感の思い。会場は、おそらく僕と同じ気持ちの人ばかり。それにしてもすごい人だ。しかも年齢層はかなり上、男性比率が圧倒的に高い、という熱(苦し)過ぎる会場の盛り上がりをみせていた。

ライブは、ほとんどMCもなくひたすら演奏をし続けるという構成で、そこがしびれる。後、当たり前の話だが、サミー・ヘイガー以降のヴァン・ヘイレンの曲は一切演奏しないし、デイヴ・リー・ロスのソロも全く演奏しない、という潔いセット・リスト。そしてアンコールはなく全て本編に納めてオーラスを迎えるというライブ構成も気持ちいいくらいシンプルなものだった。
音楽評論家の渋谷陽一さんが、ライブのレヴューでヴァン・ヘイレンの魅力を「ハードロックバンドでありながら、ハードロックの最大の武器である、暗さとセンチメンタリズムというふたつの要素を持たずにこれだけ歴史に残るバンドとしてのキャリアを重ねてきたのは驚異的なこと。」と表現しているのにとても納得。
エディ・ヴァンヘイレンの、あの抒情性を全く排除したギター奏法がそれを如実に物語っているが、だからこそある意味ユニバーサルな普遍の魅力があるのだと思う。ライブでも「Eruption」のギターインストを演奏し始めた瞬間、モニターに映しだされるエディの無邪気な笑顔満載の姿とその超絶演奏に口がポカンと空き、空いたままもう閉じることがないんじゃないか、と思わせるその恍惚感は文章ではもう表現しきれない。おそらく会場にいた1万人がそんな状況だったんじゃないかな、と思う。そしてそれとミックスされるデイブ・リー・ロスの超楽天的なヴォーカリストとしての存在感は、まさにヴァンヘイレンの真骨頂と言えると、あらためて感じさせられたライブだった。
1984から約30年。
”I’ll Wait”(from『1984』)はプレイされた。
その瞬間意味もなくちょっと泣きそうになった。
時はあまりに早く流れる。 (TM)

2013/06/06

10人が集って住む空間

 

 武蔵野大学3年生の設計演習、前期の第2課題がスタート。 1週間遅れだが第1課題について少々。実はその第1課題「10人が集って住む空間」は、この学科が始まったときからの鉄板の課題。9年ずっと続いたことになる。
  来年度から授業開催キャンパスが有明に移転する予定のため、この長らく続いた課題も先週をもって終焉を迎えた。非常勤で担当いただいている建築家の大塚聡さんと一緒にこの授業を立ち上げた時のことが頭をよぎり、感慨深いものがある(まあ、学生にとっては関係のない話なのだが)。すべては始まるときがあれば、終わるときがある、ということか。
  講評は教員とTAが票を投じた16人が発表。圧倒的にパワーがある作品がある訳ではないが、未発表の作品も含めて粒ぞろいの作品群、といった感。年々加速するその感じは、まあしょうがない。最後ということもあり珍しくセレクションされなかった学生の発表挑戦も受けて立ったが、希望者は(何と!)ゼロで、まことに痛恨の思い。
  最後のコメントで、「それぞれ個々の色彩をもつよう(村上春樹に掛けてますよ。もちろん)、それこそ貪欲にいろいろと吸収するよう」に激励する。丁度、吉祥寺バウスシアターで爆音映画祭、そしてそれが終わったらカラックスの『ホーリー・モーターズ』が来るので、観るように発破をかける。まあ、建築とは関係ないけど、いろいろ感じて眼から鱗をボロボロ落として欲しい。と、いう思い。
  第2課題もスタート。はじけろ!学生。The Kids Are Allight!
。。。と、いいつつ全くの蛇足ですが、はじけるつながりで。普段まったく炭酸系のジュースを飲まないのですが、急に飲みたくなって三ツ矢サイダーの梅サイダーを衝動的に購入。これいいですね。パッケージデザインもレトロな感じをおさえつつイカしてる。ちなみに、ソーダの横に写ってるのはボビー・マクファーリンの新譜。これもいい。自分のルーツ音楽に沿った内容で、懐かしさとともにまだ健在なのが嬉しい限り。まあ、関係のないところに話が脱線してすみません。しかもオチはありません。はい。 (TM)