2022/02/24

鉛筆画展

 武蔵野市立吉祥寺美術館で、「土田圭介 鉛筆画展 心の灯り」が開催されており訪問。展示は文字通り、会場に作家の鉛筆画の作品が展示されている。まさに鉛筆一本で表現されている世界観に圧倒される。作品の制作過程の解説映像をみたところ、10Hから10Bの鉛筆を駆使しながら、ひたすら鉛筆による線を描き続けながら、作品を完成させていく手法をとっている。本当に気の遠くなる作業に思える。

 という背景があるからこそ、できた作品が観る者にうったえてくるのだろう。規模の小さな美術館ではあるが、来場者もそこそこいて、みな食い入るように作品を鑑賞していた。やはり手づくりの物には、非常に説得力があるなぁ、と改めて感じる。

 後、この展覧会を観ながら、ペーター・ヴァン・デン・エンデ著の絵本、『旅する小舟』を連想していた。絵を描くということ一つとっても非常に奥が深い。やはり一本の線の大切さを感じるのである。(TM)

2022/02/20

設計演習(M1)講評会

 引き続き、大学の設計演習の紹介です。こちらは、最終講評会を1/19に開催。急激に新型ウィルスの感染者数が増えてきた時期で、講評会が対面でできるか一抹の不安がよぎったが、何とか無事に開催できた。

 授業は建築家、生物建築舎の藤野高志さんと運営しており、課題は、「街の中の劇場的な場」というもので、文字通り、街中での新しい劇場の在り方の提案を問うている。課題文は下記の通り。

 今年度は履修者が6名いて、充実したものとなった。最終講評会には、劇場プロデューサーの伊東正示氏(シアターワークショップ代表)と、建築家の大塚聡、平田悠の各氏にお越しいただき、活発に講評いただいた。

 学生諸君も講評会後は、一様に充実感が漂い、解放された表情で、こちらも見ていて微笑ましい。今後の活躍に期待したい。年度末に向かって、元気にいきましょう。(TM)

■課題

「街の中の劇場的な場 -武蔵野芸能劇場改築計画-」

三鷹駅北側に位置する武蔵野芸能劇場。武蔵野市立武蔵野芸能劇場条例第 1 条に定め られている通り、郷土の古典芸能の保存、育成及び芸術文化の振興をはかることを目的 1984 年に建設された。武蔵野市の公共施設であり、武蔵野文化事業団が施設の管理 運営をおこなっている。施設は伝統芸能の他、現代劇の利用も対応した 154 席の小劇場 と、展示会や講演会に多目的に活用できる小ホールが設けられている。開館当時は、東 京都無形文化財にも指定されている江戸糸あやつり人形劇の公演の稼働率が高かった が、1990年代以降は特に伝統芸能に特化しない演目が開催されている傾向もみられる。 50 年が視野に入ってくるこの施設を新たな「劇場的な場」として改築計画をおこな うことを課題とする。 現代においては街と建築のつながりの重要性が叫ばれて久しい。大学における設計課 題でも都市への戦略をどうとらえてどう提案するのかということを求める課題も少な くない。そこで、今回の課題は建築と都市の関係をよりよいものとするための建築の計 画(建築デザインを含めて)を考えてもらいたい。 ここで言う「劇場的な場」というものは、既存の町にある一般的な劇場に限る必要は ない。ただ、まちの人(或いは、あなたでも構わない)がそのコミュニティ劇場でなん らかのモノ(文化活動やイベントや情報など)を発信できて、それを様々な人(もちろ んあなたも含める)が楽しめる仕組みを建築の中で構築してもらいたい。 上記の劇場機能の他、展示機能としてのギャラリー等、何らかの複合的な機能を併設 するものとする。その他自分のコンセプトに即した付加機能は自由に設けてよいものと する。既存の施設を利用した計画なども可能である。 計画においては周辺のまちや自然環境へどのように関わるかということへの提案は 大前提である。ハード、ソフト、環境が一体となり社会へ発信していき、魅力的な次世 代のまちづくりへとつながっていくような、新たな「劇場的な場」の提案を期待してい る。 特に敷地は三鷹駅直近ということもあり、駅との関連性、駅前の開発計画等をどうと らえるか、ということなど広い視点でじっくりと吟味してもらいたい。 蛇足ではあるが、この課題のポイントは場所を吉祥寺ではなく三鷹にしているところ である。これは武蔵野市の中の三鷹地域の場所性を吟味することに配慮してもらいたい という思いももちろんあるが、新宿や渋谷や六本木などの都心でもなく、住みたい街ラ ンキング上位常連の吉祥寺でもない、その街をどう捉えるかという課題も含んでいる。 それも頭の片隅に置きながら考えて欲しい。

2022/02/18

設計演習(3年)講評会

 講評会の話題の続き、ということで、このところ写真データを整理していて出てきた昨年ブログに書けなかった講評会の紹介を(かなりタイミング遅くなってしまいすみません!)。武蔵野大学3年生、設計演習2021年度最終課題の講評会。武蔵野大学は4年生に設計演習の授業がないので、これが授業としてはラストの設計課題となり、後は卒業設計を残すのみとなる。

 3年生後期は僕も含めて5名の建築家によるスタジオ制(各建築家により異なる課題を出して、少人数のスタジオのようなかたちでおこなわれる設計演習)での設計演習のかたちをとっており、他のスタジオの課題が見られるのはこの講評会だけなので、教員としても楽しみである。

 水谷スタジオの2021年度課題は(例年とそれ程変化なく)『武蔵野市現代美術館』。敷地はかつてバウスシアターが存在していたサイト。発表者を3名セレクトする訳だが、水谷スタジオの今年度の履修者6名も課題に奮闘した。

  ・円形の小さな広場を美術館へ誘導する装置として全体をつなぐ美術館

  ・敷地全体をゆるやかにうねる2つの細長い動線空間を軸に結ぶ美術館

  ・雲の造形のような、建築全体がゆるやかに隆起した造形的な美術館

  ・小さな諸室を敷地全体に分散配置にして、各空間を巡っていく美術館

  ・回遊動線を辿りながら、2層の展示室を断面的にも関係づけた美術館

  ・アーティスト・イン・レジデンスを取り込みアートと暮らす美術館

と、いう具合にそれぞれに魅力的な提案を完成させた。講評会も、無事対面で開催できてよかった。

 学生諸君には、この成果を是非、卒業設計につなげて欲しい。 (TM)     

2022/02/14

椅子の講評会2021(年度)

 例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、その講評会を開催。オミクロンがなかなか落ち着かない状況だが、制限つきではあるが、今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びに。木工作家の渡邊浩幸さん、映像ディレクターの土居京子さん、現代舞踏家の相原朋枝さんにお越し頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。僕以外はみなさん建築とは違った分野の方々なので、その講評も個人的にはとても楽しい。

 今年度は履修者13名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、プレゼンテーションの大切さである。あまりに当たり前のことなのだが。実際に制作をした本人が、自分の作品の本質や意味を捉えられていないと、あまり作品の良さが伝わらない、ということになってしまう。そして、その逆も然り、である。後、木工作家の渡邊さんが、この課題文から、自身の「みうらじゅん」論を展開され(ボブ・ディランの話からの展開な訳だが)、学生は、かなり“ポカン”として聞いていた。(まあ、そういう“ポカン”とする局面を体験するのも大切なんだよなぁ。)やはり、自分の作品への偏愛(?)の在り方なのだと思うのだが、それがデザインを考えていく上での醍醐味、ということがいえそうな気がする。

 例年であれば、終わった後は、履修学生全員を交えて盛大に打上会を開催する訳だが、今年はそれも叶わないため、なかなか完結した感が湧いてこないのも正直なところ。学生には充実感を持ってくれれば嬉しい限り。さて、怒涛の年度末が続いていくのです。はい。(TM)

 課題:

ミラーボールが煌めくなか
解放戦線に立ち続け
Play it ,Fucking Loud!」と叫ぶ
そんな時に座るイス」
 
【課題概要】
ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔が主宰するユニット、DC/PRGDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN)が、突如解散宣言をおこない、ラスト・ライブが開催された。そのライブ MC で観客に向かって菊地は言った。 「君らは、今いくつで、20 年前はいくつだった? この 20 年間で、解放されたかね?それとも拘束されたかね?」 

 NHK のラジオで小説家の高橋源一が、自身がMCを務める番組に、同じく小説家の宇佐見 りんをゲストに招いた放送で、ボブ・ディランの話が番組冒頭で紹介された。そこから想 起される 1966 5 17 日、イギリス、マンチェスターでのコンサート。ボブ・ディラン は、このイギリス国内のツアー中、全ての会場で、エレキギターとバンド編成の演奏での ぞんでいた。そのパフォーマンスに対して、怒涛のブーイングや観客の途中退場が、各地 でみられていた。マーティン・スコセッシ監督の映画、『No Direction Home(ノー・ディ レクション・ホーム)』のラストシーン。客席から「ユダ!」と叫ばれる中、『ライク・ア・ ローリング・ストーンズ』をプレイ。プレイする直前にディランが、バックを務めるロビ ー・ロバートソンを含めたバンドのメンバーにこの言葉を放つ。「Play it ,Fucking Loud (ガンガンにいこうぜ!(拙訳 by 水谷))」。何かへ立ち向かうということがどんなこと なのか、それはどのような決意でのぞまなければならないのか、ということを伝える寓意 的なシーンである。 

 さて、「この 20 年間で、解放されたかね?それとも拘束されたかね?」 様々に考えを巡らしてみてください。魅力的なイスに出会えることを期待しています。(水谷俊博)

2022/02/07

虚像のような

 小説家の中村文則氏が、毎日新聞に定期的に文章を書いており、その文章を読み、納得する。同じ島国でもあるのにかかわらず、ニュージーランドや台湾の感染者数は100人前後なのに、日本は10万人に近づこうという勢い、という事実を引き合いにしながら、「政治のミスを、それをフォローするためメディアに出ている人々が、自己責任論をまき散らし、よって社会がギスギスする、という悪循環が、もう何年もつづいている」(以上、要約抜粋)と言及している。どうすればいいのか、ということを本当に再認識するが、我々個々も、しっかりと考えていかなければいけないのだろうな、と感じる。

 近くの公園の遊具が、真っ白に塗られている。この後、色がついた塗装を施す下準備なのだろうが、この感じが、何となく虚像のようにみえてしまう錯覚を覚えてしまう。

 虚像に惑わされてはいけない、と思うが、虚像を感じることにより、いろいろなことが見えてくる、という可能性もあるのでは?、と少し思った。

 いや、オチがない話ですみません。(TM)

2022/02/01

天命反転

 三鷹にある荒川修作+マドリン・ギンズ設計の(集合)住宅『三鷹天命反転住宅』にステイする機会を得る。実は今回2回目の訪問である。前回は、この住宅に関して簡単な文章を書く企画があり、そのための現地視察という意味合いもあったが(ちなみに、既に原稿も入稿したのだが、企画全体がストップした模様で、日の目を見ることはないのかもしれない。。。)、今回は再度じっくりと空間を体験する機会となる。

 建築の界隈においては、アーティスト物としてみられている建築作品だが、やはり、他の建築とは明らかに一線を画していることは、改めて知覚でき、荒川修作が目指した「死なない方向に進むための」建築は、今後どのように新たな局面を展開し、新たな建築思想の実現へ向けていくのか、非常に興味深い。後、個人的には今回2回目ということもあり、前回はこの住宅でのステイにかなり疲れた印象があるが、今回は何となく元気をもらった気がする。いや、気のせいか。「死なない家」の本質が、もしかしたら少し分かり始めたのかもしれない。いや、やっぱり、気のせいかな。(TM)