2022/12/31

Look Back 2022 その2

 昨日に引き続き、全く個人的なマイ・ベスト2022。今日は音楽編。今年もあまり新譜を手に入れることが少なく、もっぱら中古アナログレコードをボツボツとゲットしていたという次第。ので、セレクトするのにかなり迷ったのだが、2022年のマイ・ベストを選んでみる。

順番はこんな感じ。

 1位:『Earthling/ Eddie Vedder

 2位:『Midnight Rocker/Horace Andy

3位:『Fear Of The Dawn&Entering Heaven Alive/ Jack White

4位:『Free Time/ Jerry Paper

 5位:『Small World/ Metronomy

    『Good to Be.../ Keb’Mo’

 別枠:『Licorice Pizza/O.S.T.

今年は、エディ・ヴェダーの11年ぶりの新作にした。これは、個人的には今年ブッチ切りの1位なのだが、音楽雑誌等の年間ランキングでは、まったく評価されていなかった(笑)。この時代に、このロック・アルバムをつくるのは本当に素晴らしいと思う。「パール・ジャム」ファンとしては、これを置いてなし、なのである。

2位はホレス・アンディの新作。70歳を過ぎて、コンスタントに発表される、この音楽のクオリティ。もう脱帽しかあるまい。一時期、こればっかり聴いていた。

3位は反則で2枚でセットに。ジャック・ホワイトが立て続けにリリース。全くベクトルの違うこの2枚は、さすがの安定感。

4位はジェリー・ペーパーの新譜。NHK FMのラジオでゴンチチのお二人がやっている番組で流れて、即気に入ってしまった。質の高いポップセンスと、宅録で制作されるユーモア感たっぷりのオタク具合に、完全にツボにはまる。

5位も選び切れずに2作品。メトロノミーの新作もハマってしまった。エレクトロ・ポップの現在最先端系といったとことか。彼らも、ユーモアのセンスが個人的に好き。ケブ・モの新作も、さすがにデルタ・ブルースの末裔の面目躍如とあって、力強い。そして、新しい(と感じる)。

それにしても、今回セレクトした、ケブ・モとホレス・アンディが同じ歳と新しい気づき!どれだけ、元気なんだ!!、と思わずにはいられない。後、映画の続きということではないですが、「リコリス・ピザ」のサントラも素晴らしい。これもずっと聴いている。

そんなこんなで2022年もたくさんのいい音楽に出会えた。さて、2023年はどんな音楽に出会えるでしょうか!

よいお年を!(TM)

2022/12/30

Look Back 2022 その1

 2022年もいよいよラストです。と、いうわけで例年、誰に頼まれる訳でもなく勝手にやってますが、全く個人的なマイ・ベスト2022を振り返り。

で、まずは映画編。映画はまず映画館のスクリーンで観るべし、という主義。今年は秋から、いろいろとバタバタし過ぎで9月以降映画館は足を運べなかった。と、いう偏った期間の観た映画25作品の中から、今年のマイ・ベスト5はこんな感じ。


1位『リコリス・ピザ』/ポール・トーマス・アンダーソン

2位『アネット』/レオ・カラックス

  &『スパークス・ブラザース』/エドガー・ライト

3位『偶然と想像』/濱口竜介

4位『ダーク・ウォーターズ』/トッド・ヘインズ

5位『ナイトメア・アリー』/ギレルモ・デルトロ

『コーダ』/シアン・ヘダー

  『英雄の証明』/アスガ―・ハルファディ―

『ちょっと思い出しただけ』/松居大悟

別枠『ロッキー4』/シルベスター・スタローン(編)

『リコリス・ピザ』が、やはり、よかった。というか、好きだった。まさに映画館で、多幸感に浸りながら観るべき映画。映画の中の挿入歌群も最高である。そして、これは、何度でも観たい映画である。

『アネット』と『スパークス・ブラザース』のセットは反則気味だが、やはり、これは切り離せないものだと思う。よければ、このブログ2022/6/22もご覧ください。

CONSTRUCTION日記: ちょっと想い出してみただけ (mizarchi.blogspot.com)

『偶然と想像』は短編のオムニバスだが、無茶苦茶面白かった。『ドライブ・マイ・カー』のような大作感はないが、面白さでは1枚上かも。

『ダーク・ウォーターズ』は、巷ではほとんど話題にならなかったが、個が不正な組織にリベラルに立ち向かう、ド直球の映画。これを観て、ものすごく元気が出た。ラストに流れるジョニー・キャッシュが唄う「I Won’t Back Down」(原曲はトム・ペティ作)が泣ける。

5位は選べず、たくさん挙げてしまう。アカデミーを獲った『コーダ』は一番泣いた映画。作品自体も良いが、何といってもマーヴィン・ゲイ、ジョニ・ミッチェルの楽曲で涙腺が崩壊しまくる。

という感じで、来年もいい映画に巡り合いたいですね。

明日は音楽編、いきますよ。(TM)

2022/12/05

日事連建築賞(と熊本の話もう少し)

 熊本の話で書き忘れた話を少し。

 建築をいくつか見れた訳だが、やはり名作と謳われる、熊本県立美術館(設計:前川國男)は外せない訳で、足を運ぶ。有名建築は実際に観ると、感動の傑作と、期待外れに終わる、というどちらかになるのだが、これは完全に前者。

 いや、久しぶりに建築を観て、心震える。個人的には前川建築でベストかも。やはり、真ん中にある、吹き抜けのサンクン状に掘り込まれた、地下レベルの空間(展示ロビー)は圧巻。そのスケール感、採光の取り方、多様な素材の表情、痺れるディテール、アクセントとなる塗装色、等が一体となってモダニズムを超えた、独自の空間をつくりだしている。合掌。

 さて、最後に本題で。

 日事連建築賞(令和4年度)におきまして、設計・デザイン監修に携わりました、「武蔵野クリーンセンター・むさしのエコreゾート」が、優秀賞(一般建築部門)を受賞の運びとなりました。建築士事務所全国大会(熊本大会)にて表彰式が開催され、出席の運びに。ますますの施設の発展を祈念しております。このようなかたちで評価をいただき、励みになるとともに、さらに精進してゆく所存です。(TM)

2022/11/30

時を遡る感覚@熊本

 先月も同じようなことを言っていたのだが、11月に入って、ブログを更新しまくるつもりでいたのが、まったく進まず、最早12月へと突入しようとしている、やれやれ。

 ということで、若干時間をさかのぼり、10月の話になるのだが、所用で熊本へ。

 熊本では、いろいろな建築に触れる機会を得たのだが、久しぶりの出会いも。何と、大学受験浪人時代(予備校時代)の友人、オリタ君に再開。何せ浪人時代なので、約35年ぶり()の邂逅ということか。一気に自分の時代を遡る感覚に陥る。オリタ君も研究者として熊本でご活躍中、ということで、近況などをお互いに一気に語り合い、あっと言う間に時が過ぎてゆく。いや素晴らしい。感動の嵐である。

 翌日は、福岡まで足を延ばして、組織事務所時代の同期のイソちゃんと久々に情報交換。というつもりだったが、イソちゃんが気を効かせて福岡在住の後輩陣に声がけしてくれていて、これまた、約20年振りに会える人もいて、ビックリり。いや、こうなると、時間の流れが揺らいでくる。不思議な感覚だ。

 そして、極めつけが、少し足を延ばして、玉名にある玉名天望館(設計:高崎正治氏)へ。この作品には、個人的にさまざまな思い入れがあり、一度は訪れたいと思っていた。学生最後の夏を数週間、鹿児島で過ごした思い出があり、その体験にリンクしてくる。それも、30年程前の話だ。施設に着いたら誰もいなく、独りで建築を歩き巡る。そして、その30年前に同じ場にいた、盟友である建築家の佐野修氏に思わずメールを打ってしまう(佐野君とも長い間会ってないなぁ)。この建築に直に触れて、今となっては、良いか悪いか、もう分からない存在になっているのだが、もうこんな建築はできないと思う(あの時代と場所が生んだ奇跡と言っていいだろう)ので、清々しくて何となく泣けてくる。

 そして、すごい昔の記憶をこれだけ連続してフラッシュバックする状況に陥ると、やはりフワフワとした、奇妙な感じが満載である。そんな熊本(と福岡)の日々でした。それにしても、熊本はすごく元気な街で、元気をもらった。前進していきましょう。(TM)

2022/11/07

トロールの森2022

 杉並区の善福寺公園で開催されている屋外アート展『トロールの森2022』に作品を出展しています。

http://www.trollsinthepark.com/

 作品名は「Thrak」。アート展全体のテーマ‘signきざし’ということを、木のインスタレーションで表現してみました。木の小片が入った小箱がいくつも吊り下げられていて、風や人の動きに合わせて、カラカラと音が出る様子を聴きながら、公園の自然が発する‘何かのきざし’を味わっていただければ、うれしい限りです。

 会期は20212/11/3から23日まで開催しています。入場無料ですので、お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。(TM)

2022/11/03

みの~れ祝20周年

 茨城県小美玉市の劇場、「小美玉市四季文化館」が、開館20周年ということで、記念式典にお招きいただき、馳せ参じる。

 組織設計事務所在籍時代に設計を担当したプロジェクトで、自分にとっては原点のような建築作品である。90年代あたりから住民参加型の設計ということが謳われ出し、その枠組みの設計事例としては、客観的にみてもかなり先駆的な試みだったと思う。住民参加型の設計も大変だった訳だが、設計監理者として、単身現地に住民票も移して過ごした2年間程は、何事にも代え難い経験だった。最後には、取組全体を書籍化(『文化がみの~れ物語』(茨城新聞社出版))するプロジェクトにも取り組み、執筆&編集をすることになったり、果ては、劇場のこけら落とし公演も住民参加型でおこなうということが決まり(公演名『田んぼの神様』)、その演劇にも出演する(!)、という無謀な活動までするということになった。とても濃密過ぎるあの頃を思い出してみると、本当に若い頃のパワーって、大事だなぁ、と感じる。

 さて、久しぶりに施設に足を踏み入れた訳だが、久しぶりにお会いする、みなさんの元気な様子を見られて感動する。そして、開館20年経って、丁寧に施設が利用されている様子がよく分かる。館でのプログラムもこの20年で広く深く展開できている様子を聞いていると、こちらも元気が出てくる。

 またこの次の20年での更なる発展を願うばかりである。何はともあれ、おめでとうございます。(TM

2022/10/31

偶然の聖地と日本シリーズ

 10月に入って、ブログを更新しまくるつもりでいたのが、まったく進まず、最早10月が終わろうとしている、やれやれ。

 宮内悠介著の『偶然の聖地』を読了。評判通りの不思議な小説で、読後の感想は軽くクラクラする感覚だった。地図にはなく、限定された人間の目の前に(ある意味意識下といってもいいかもしれない)、突如として偶然あらわれる山(イシュクト山)を巡る奇想の旅、の話。なのだが、途中から何を読んでいるのかよく分からなくなる、という謎の快感を味わえる小説である。カテゴリーでいうと、SF小説ということになると思うのだが、幻想小説、冒険譚、恋愛小説、或いはエッセイ、とも読めてしまう。そのストーリーもさることながら、この小説を特異な存在たらしめているのは、その体裁である。異常なまでに脚注が多いのである。もしかしたら本文よりも文字数が多いんじゃないか、と感じるほど。なので、この脚注を読んでいると、話がなかなか進まない。しかも、その脚注の内容が、本編のストーリーと全く関係のないこと(例えば、筆者の個人的な回想等)が突如差し込まれてくるので、話の内容に戻ってくるのに、頭をグルグル使う訳である。いや、面白かった。

 この何だか分からない感覚なのだが、我がバッファローズが、ついに26年ぶりに日本一に。

 それにしても今年の日本シリーズも大接戦の連続だったので、何だか、勝った実感がない、という不思議な感覚である。優勝が決まった瞬間、中嶋監督が頭を抱えていた気分は、観ていたファンも良く分かる。なんか現実感がなく、フワフワしている今日この頃である。

 自分の眼の前に“イシュクト山”が出てきたらどうしようか、と変な思いにも頭を巡らせながら、余韻に浸るのであります。はい。(TM

2022/10/12

鬼灯とロッキー

 10月に入って、いよいよ秋の気配が深まりだした。 “秋は食欲の秋”ということで、ちょっと前に、ホオズキを食する機会があった。これが、もの凄くおいしかったので(そもそもホオズキを食べる機会がほとんどないし)、静かに深く感動してしまった。ホオズキは漢字では、「鬼灯」と書くらしく、これは、赤く灯る提灯というのが由来、ということだが、帰ってくるご先祖様が迷わないように、という意味合いで、お盆になると仏壇にホオズキを飾るという習慣にも繋がっているようだ。

ということで、ご先祖ではないが、帰還(ロッキーの!)、の話である。

 ちょっと前に映画『ロッキー4』(85年作)のリメイク版『ロッキーVSドラゴ』が、突如として上映公開された、のである。シルベスター・スタローンが、コロナ禍で時間ができたので、『ロッキー4』の再生を試みて、完全に編集をし直してつくり直したとのこと。個人的にはロッキー・シリーズの中で、この『ロッキー4』への思い入れが一番強く、高校1年の夏に、友達と部活の後に姫路の映画館に観に行った記憶が鮮明だ。話題性とは反比例して、当時から批評的にはかなりバカにされがちな感じだったのだが(確かに、劇中にものすごい雪山をロッキーがトレーニングの一環で踏破するシーンがあり、「さすがに、これは、ないやろ!(爆笑)」と映画館でスクリーンを観ながら友達と言い合っていた想い出がある)、それがどう更新されたのか、ということで、吉祥寺では、2週間限定でアップリンクで上映とのことで、馳せ参じる。

 約90分の映画のうち、40分以上の未公開映像を加えて、しかも全体の時間ヴォリュームは変わっていない、ということなので、おそらく映画の中でバンバン流れていたロック・ミュージックのシーンはかなりカットされているのではないか(ちなみに、「ハーツ・オン・ファイヤー」(byジョン・キャファティ)は2回も流れる)、と予想していたのだが、35年の月日を経て、再構築された作品は素晴らしかった。

 35年前の当時は、冷戦時代ということもあり、非常に反ソ連的なプロパガンダの色合いが強かったのだが(なので、非常にバカっぽく見えた。ので、このウクライナ侵攻時の現在において、再構築された意味は大きいと思う。)、今回のリメイク版では、ロッキーとドラゴ(対戦相手のボクサー)とその周りの人々の人間性にドラマの軸が置かれて、ある意味普遍的な人間の多様性の重要さが浮かび上がってきている(と思えた)。そして我々は既に、『クリード2』(『ロッキー4』の後日譚的な映画(2019年日本公開))を観ている、のである。感動の度合いは、半端ない。スタローンも「タイム・マシーンに乗ったような感覚だった」、と言及していたが、まさに、青春時代へタイム・トリップした感覚を存分に味合うことができた。

 さて、心配していた劇中の音楽だが、オリジナルでは冒頭のシーンに流れていた「アイ・オブ・ザ・タイガー」(byサバイバー)は、今回のリメイク版では流れず、「完全にカットされたなぁ」、と思っていたら、最後の最後のクライマックス・シーンで、感動的に鳴り響いていた。観た者は全て、「アイ・オブ・ザ・タイガー」を口ずさみながら、映画館を後にすることになる。そして、ちゃんと、「ハーツ・オン・ファイヤー」は2度流れる。合掌。(TM

2022/10/02

そんなことが起こるんだな。

 10月に入った。時がたつのは、あまりにも早い。

 9月末からいろいろなことが起こり、ブログにUPすべきなのだが、それらはひとまず後日にいたします。

 まずは、これ!

 何と!、我がバッファローズが、優勝しました!!しかも、最終戦で決まる、という劇的な結果。まさか、優勝するとは思ってなかった(本当に大半の人々が思ってなかっただろう)ので、まさに「本当に、そんなことが起こるんだな。」という感慨である。

 自分は別に球団関係者ではないのでが、友人方々から祝福のメールやメッセージをいただく。これが、人気のない球団のファン冥利、といったところ。いや、素晴らしい。是非、日本シリーズで、スワローズへリベンジを!、と今から楽しみなのであります。合掌(TM

2022/09/26

ダーティ52

 私事で恐縮ですが、不肖、私めが52になりました。

 家族はじめ、祝福をいただく。ありがとうございました。この歳になってくると、嬉しいか?と聞かれれば、もう微妙な感じになってきてしまっているが、まあ、お祝いいただくのは、本当に嬉しいものですよね。

 暑さ寒さも彼岸まで、ということで、子供の頃は自分の誕生日(丁度彼岸が明けるタイミング)を境に、いよいよ涼しくなっていたのを想い出す。ここ数年、気候がおかしい感じだったが、今年は本当に涼しくなりそう。

さてさて、また更に精進いたします。(TM)

2022/09/18

アウト・トゥ・ランチ

 色々な偶然ということがあるが、ちょっとした偶然について。

 本当に久しぶりにレコード屋に行ったら、ジャズ・ミュージシャンの大友良英氏の「Out To Lunch」のLPが店頭に並んでいるのを見かけて、思わず「おお~っ!」と声を上げてしまった。これは、エリック・ドルフィー最後のスタジオ・アルバム(で、かつ不朽の名作とうたわれている)、『Out To Lunch』を大谷アレンジで全曲リメイクしたアルバム(そして、これも日本のジャズ史における名盤)であり、初めてLP化されてリリースされたようだ。小生はCDで持っているのだが、何となく懐かしくなり値札をみたら、さすがに手が出ないとあきらめる。

 その足で、道むこうの某洋服量販店にへ向かう。家にあるTシャツが古びてきたので、新しいTシャツを物色しに来た次第なのだが、何と、ありました!ドルフィーの、しかも『Out To Lunch』のTシャツ!!実は67年くらいに前に同じデザインのTシャツを手に入れたのだが、色違いでリバイバルされて再販とのこと。LPはあきらめたのだが、これは、いっとくしかあるまい。

 ということで、家に帰り、『Out To Lunch』のLPを引っ張り出して聴いてみる。新旧のTシャツを眺めながら。いや、何とも微妙に変な感じだな(もちろん、良い意味で言ってます。はい。)。

 ちょっとした偶然で、ちょっと気分良くなる今日この頃。どうでもいい話ですみません。合掌。(TM)

2022/09/08

われらの時代のサイン

 現代アーティスト、ライアン・ガンダーの『われらの時代のサイン』展が、オペラシティ・アートギャラリーで開催されていて、新宿方面に出向いたので観覧する。これは、昨年開催予定だった展覧会が新型コロナの影響で開催できなかったので、いわばリベンジ的な、満を持しての展覧会といってもいいだろう。(ちなみに、昨年は代替で、ライアン・ガンダーがキュレートして同館の収蔵作品を展示するという、これまた画期的な展示だった。ちなみに、このブログ2021/6/29でも書いていますので参照ください。)。

 さて、あまり期待しすぎると肩透かしを食らう、ということはよくあることだが、この展覧会はそんなジンクスは全く関係なく、すさまじかった。ここ近年でみた、展覧会の中では圧倒的に素晴らしい、と個人的には感じた。展示空間自体と作品が連動していて、そこが建築やってる者としてはたまらない(この会場でもそう感じるので、アーツ前橋でやったら、さぞ素晴らしいだろうと勝手に妄想)。この歳になってくると、あまり感動することがなくなってくるのだが、静かに感動の嵐である。合掌。

 作家の作品のテーマである、時間&お金&教育(転じて洗脳)、と“よく見ないと分からないもの”、ということを踏まえながら、それにユーモアの調味料をドップリと(しかし、超センス良く)ふりかけまくっている作品群に、完全にヤラれる。鑑賞者は、作品に各々のアクションを振る舞いながら、自分で「考え」なければいけないので、その鑑賞体験は非常に(静かな)刺激(衝撃?)を受けるのである。会場は写真撮影OK!、でも「撮影のための後ずさり禁止」(笑!)なので、その世界観を味わいたい。いや、面白い。そして、世界は広い。(TM)

2022/08/31

夏休みの最後の野球場

 偶然ですが、野球の話がつづきます。

 いよいよ、こどもたちの夏休みも終わる、ということで、新型コロナの影響で昨年に引き続き何もできなかった夏休みの終わりに、西武球場(あまり知られていないが、設計者は建築家の池原義郎氏。ので、かなり球場の空間構成が面白くて、個人的には好き。)へ野球を観に行く。平日の夜ということもあり、観客もそれ程入っていなくて、良い感じの観戦ができた。

 近年、球場に行くとほぼ超満員、という状況なのだが、昔(30年程前)は、ガラガラの球場によく野球を観に行った記憶がある。関西出身なので、もちろん甲子園球場。現在では、到底考えられないが、新聞の販売代理店が販促のために、よくおまけにチケットを配布していて、それを片手に、時折友人と共に足を運んでいた。当時は阪神タイガースの暗黒期ということもあって、のんびりとビール片手に観戦である。そんな、ゆる~い感じも、ある意味風情があっていいものだったが、今回の観戦は、何となく同じような風情が漂っていて心地いい。

 さて、試合は、ライオンズの森と呉のホームランが出てライオンズの勝利で,こどもたちもご満悦。個人的には、ファイターズの上沢は敗け投手になったが完投するという力投は見応えがあった。

 さて、あっという間に8月が終わり、9月に入っていく。相変わらず暑いですが、元気にいきましょう。(TM)

2022/08/25

甲子園の随想2(再び)

 あっという間に8月も後半にさしかかり、子供たちの夏休みも終わりに近づいてきた。今年の夏もずっと東京に留まっていたので、特に何かすることがない時間ができたときは、積読状態の本を手に取って読みふける日々が続いた。その中で、『甲子園13本塁打の真実 清原和博への告白』(鈴木忠平著)を読む。これは、元プロ野球選手の清原和博に甲子園でホームランを打たれた人々にインタビューをしたノンフィクション物。一度、雑誌「Number」に掲載された記事に加筆して書籍化されたものになる。その雑誌掲載時も読んで「素晴らしい記事だ!」と思ったのだが、改めて書籍化されたものを読んでも、一話一話にドラマがあり、やはり涙腺が刺激され、静かな感動を呼び起こす。

今年の夏の高校野球も閉幕した訳だが、個人的には、昔、祖父母が甲子園に住んでいたので、高校野球に想い入れが非常に濃い。昨年このブログ(2021/8/30)でも、丁度この時期に、過去(2015/8/19)に一度UPした、高校野球に関する内容を再録掲載した次第である。そのブログの最後の最後で「まさに奇跡は続く。さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」という文章で結んでいる。ということで、その続編を、(楽しみにしている人はいないかもしれないけど(!))、今年も懲りずに再集録とさせていただきます。よければお楽しみください。

 

■甲子園随想 その2(2016/11/19を一部加筆し掲載)

昨年の2021/08/30のこのブログで『甲子園随想』というタイトルで甲子園(高校野球)に関して書いた。その際、僕が初めて甲子園球場に足を踏み入れた1977年の夏の大会について書いたのだが、その中で、「その翌年78年に続きがありますよ」的に、「さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」と結ばせて頂いた。ので、その想い出話の続きを今年も少々。

77年の決勝戦(の9回最後のシーンだけ)を甲子園で生で初めて観戦し、地元兵庫代表の劇的なサヨナラホームランによって決着がつくという熱戦に感動に浸ってしまった僕(当時7歳)は、翌78年も「甲子園に観戦に行きたい。」と親にせがんだ(ようだ)。当時の父親世代は仕事も忙しく日曜日も父は働きまくっていたという記憶があるが、かなり無理してくれたのか、決勝戦のチケット(その年はたまたま日曜に開催)を取ってくれて父母とともに親子3人で観に行くことになる。ちなみに父母とともに3人で野球を観戦したのはおそらくこれが最初で最後と記憶している(父と僕、母と僕、父と母という取り合わせでは、この後幾度ともなく野球を観に行っているのだが、不思議なものだ。)ので、残っている記憶も鮮烈である。

さて、決勝戦の試合は地元大阪の未だ優勝経験がない高校と、当時の野球王国である四国は高知の代表、優勝候補の雄、高知商業との対戦。

試合は決勝戦独特の高揚感があり、球場はもちろん超満員だった。今回は内野席でちゃんと座って観戦できていたので僕もご満悦だったが、試合はものすごく緊迫した投手戦に。はっきり言って、投手戦は子供にとっては試合展開に動きがないので、通常はとても退屈してしまうのだが、その時は球場全体の熱気がすさまじくて、手に汗をかきながら試合を観ることに没頭してしまった。

試合展開は序盤に高知商が先制し、20のままあっという間に最終回へ突入。地元大阪の高校は完全に抑えられており、まったく反撃の糸口がつかめない状況だった。ここで球場全体が初優勝を目指すチームにエールを送ることになる。最終回9回裏、大阪の高校の最後の攻撃でランナーが一人出たところで、球場の所々から拍手が起き始める。そして、ランナーが二人出た場面で、球場の熱気がシンクロし始め、球場全体で大拍手の嵐が起こりだした。僕は何と言っても初めての本格的な観戦だったので、その球場全体が一つになるという状況を呆然と、そして恍惚と見とれてるような感じだった。そこで、打者にエースで4番の選手が立つ。まさに舞台は整った。僕は遠い客席で観ながら、その異常に緊迫した場面にもかかわらず4番打者がバッターボックスでニヤリと笑ったような感じがした。まったく観えない距離なので、それはまさに錯覚なのだけど、球場の雰囲気全体がそう思わせる何かが憑りついていたのだろう。結果は追い込まれながらも(このあたり記憶が曖昧だ)、鋭く放った打球が1塁線を鋭く切り裂くタイムリー2塁打。同点。土壇場で追いついた!この段階で、球場は興奮の坩堝となり、まさに球場全体が揺れるような状態だった。続く、5番バッター。もう試合の流れは完全に動いていた。完全に高めに外れた球を左中間まで運び、見事、逆転サヨナラという劇的な幕切れとなった。

これで夏の甲子園は4年連続のサヨナラで優勝校が決定することになる。まさしく昨年の決勝をみて母親と「3年連続はあっても、まさか4年連続はないよねぇ。」と言ったいた、その「まさか」が起こった訳である。

試合の後、甲子園に住む、祖父母の家まで家族三人で遊びに行き、祖父母の家でも先程までおこなわれていた決勝戦の話で盛り上がっていたのを覚えている。当時は、それ程、夏の甲子園が大きな歳時記だったと言える。

時は流れ、40年近くが経ち、祖父母の家もすでに甲子園にはなく、僕もそれ程甲子園への情熱は失われてしまった。けど、あの時の熱気が渦巻く空気感は、何事にも代え難い体験であり、ある意味、貴重な建築空間体験だったと言えるだろう。

 さて、優勝した当時新進のその大阪の高校はこの後、甲子園という場で、数々の奇跡的な試合を残し、僕もその場面に幾度となく球場で遭遇することになる。ほぼ伝説的にまでになっている、その年の奇跡的な快進撃から人びとはそのチームを、リスペクトを込めて異名で呼ぶようになる。

 その名は『逆転のPL』。

 

その時を思い出しながら、今読んだ本の余韻に浸ってみる。まさに悲哀に満ちていて、ほろ苦い。だが、僕たちは前に進むしかない、と感じ入ってしまう。

「立派な王国が色あせていくのは 二流の共和国が崩壊するよりもずっと物哀しい」(村上春樹著、『カンガルー日和』「駄目になった王国」より)

(TM)

2022/08/09

設計演習2022前期

 大学の授業の前期が終わり、学生達は夏季休暇に突入。前期の授業の整理をしていたら、武蔵野大学2年生の前期の設計演習(授業名:「設計製図1」)の写真データが出てきた。

 今年度から若干授業プログラムを変えて、春期休暇中に1つ課題をドロップして、その成果をもって1回目の授業でいきなり講評会を実施する、というスタイルでやってみた。という訳で学生は前期中に計3課題に取り組み、最後に作品ポートフォリオをまとめる、ということになる。

 最終授業のポートフォリオ講評で、一つ興味深いことがあった。一番、教員の議論が白熱したのが、学生があまりに文章が書けていない、というポイントだった。最終成果の作品シートは基本的に図面や模型写真やスケッチパースなどのビジュアルがメインになる訳だが、作品のコンセプトなどを説明するために文章も記載する。その文章が、何を言ってるのか(書いているのか)分からない学生が一定数いて、「これは、どうしたものか?」という教員達の嘆きになっていった次第である。最終的には、「長編小説を読みなさい!」というアドバイスに帰結していく訳だが、なかなか頭がいたい話ではある。

 特にSNSが普及してからは、長い文章を読めない人が増えてきている事実を痛切に感じる(これは決して、若者だけに限らない話だと思う)。長編小説なんて、いわんやをや、である。

 そこで、担当教員がお薦めの本と映画を挙げて、学生にアナウンスすることにした。この夏休みに、是非いい本に触れて欲しい。ちなみに、現在小生は、『偶然の聖地』(宮内悠介著)(いわば、SF小説ですが)をポツリポツリと読んでいる。読了後には、またブログに書いてみます。(TM)

2022/08/05

小田原の測候所にて

 施設視察で小田原の江之浦測候所(設計:新素材研究所)に赴く。現代美術作家の杉本博司氏が構想し、実現した場(展示公園(?)のようなもの)である。美術収集家としての一面も持つ杉本氏が集めてきたさまざまな物(像や井戸や石など)が、みかん畑の丘陵風景の中に点在しており、それを来館者は巡っていく、というかたちになっている。

 敷地内の新築の建築群自体は、大谷石などの自然素材をふんだんに用いながら、隙のないモダニズム建築を実現しているように見受けた。いわば、ミースとライトのハイブリッドにアート性を加味しているという感覚。また、公共建築にありがちな、安全側へ過剰に意識した要素は排除されており、そのあたりの運営面での潔さには感嘆させられた。

 個人的には、何となく、イタリアのヴォマルツォの公園や、日本国内だと中野区の哲学堂公園を思い起こしてしまった。何となくそんな不思議な空気感をまとっている。いやあくまでも、個人的な感想です。。。

それにしても、この場をつくったパワー(情熱と言ってもいいと思う)、はすさまじい、と思う。建築的行為のそうなのだが、人間とか自然とか社会とかに思いを馳せながら、いや、いろいろと考えさせられる。(TM)

2022/08/01

夏もさなかに

 最近、諸々に忙殺されてしまい、なかなかブログが更新できないでいたら、1月も経ってしまった。いやはや、面目ない次第。。。SNSを一切していないので、このブログが更新されないと、時折お気づかいの連絡をいただく。いや、ありがとうございます。身体は元気です。(肩と腰はこってるけど。。。)はい。

 子供たちも夏休みに入り、ものすごい暑さが続いている。近所の方に、メダカをおすそ分けしてもらったようで、2階のテラスで飼うことになった。昔は、どこにでもいたメダカが現在では絶滅危惧種になってしまっている(ちなみに、近年は、日本における「メダカ」の魚名は「キタノメダカ」と「ミナミノメダカ」に分かれて、既に存在していないらしい)のは、さびしい現実である。

 発泡スチロールの即席水槽の中でゆるやかに泳いでいるメダカをみながら、少しこの暑さを和らげたいと思う今日この頃。元気にいきましょう。(TM

2022/07/01

東京建築賞


 東京建築賞(第48回)におきまして、設計・デザイン監修に携わりました、「武蔵野クリーンセンター・むさしのエコreゾート」が、東京都建築士事務所協会会長賞(最優秀賞の位置づけ)を受賞し、一般二類部門(大きな規模の一般建築部門)の最優秀賞、の重賞という運びとなりました。

 表彰式が開催され、設計者、建築主、施工者の関係者の皆さんと出席の運びに。

 ますますの施設の発展を祈念しております。

 また、このようなかたちで評価をいただき、励みになるとともに、さらに精進してゆく所存です。(TM)

2022/06/27

恋する演劇2022

 武蔵野大学で木工演習の授業をしているのだが、その授業内で何故か毎年、グループに分かれて小演劇をおこなうことを課題の一つとしている。一昨年はコロナの関係で開催できなかった訳だが、何やかんやで10年以上はやっているような気がする。まさに、光陰矢の如し。

何故、木工の授業で演劇なのか?という、最大にして唯一の謎は相変わらず厳然と横たわっているのだが、もう毎年恒例になってしまったので、学生たちも当然の如くこの課題に取り組むようになっている。

 

先週、その2022年度の会が開催(開演?)された。授業時間内にキャンパスに戻って来れる範囲であれば演じる場所は自由に設定できるので、教室外でほとんどの演目がおこなわれることになる。今年は3グループによる公演。天候は雨が降りそうで降らない感じは漂っていたが、ものすごく蒸し暑い中、各グループとも様々な趣向が凝らせており楽しめた。

 場所の設定が面白いグループ、ストーリー性(エンデキング等)を重視したグループ、コント系で展開するグループと、3つのグループそれぞれの面白さは表現できていた。全体的に、おとなしい雰囲気だった下級生(2年生)が奮闘している様子がうかがえ、興味深かった。

今回は、まだ新型コロナの影響もあり、学外での開催はできなかったが、来年あたりは、再度キャンパスを飛び出しての開催もできるかもしれない。

演劇なので、遠慮なく思い切ってやって欲しい(誰にも怒られないし。多分。。)。

それが自分の殻を破るきっかけになるかもしれない、とこれまた勝手に思うのであります。(TM)

2022/06/22

ちょっと想い出してみただけ

 ロック・バンドのスパークスのドキュメンタリー映画『スパークス・ブラザース』(ちなみに、この映画をみると、レオス・カラックス監督の映画『アネット』の本来の意味、というものがあぶり出され、『アネット』を観終わった後の変なモヤモヤ感が昇華していき、また、逆に『スパークス・ブラザース』に深みが出てくる、という妙な無限ループの円環構造をもっている、というのを最近気づいた次第)の映像をみていたら、ロック・バンドのフランツ・フェルディナンドが出てきて、そこで、(映画とは全く関係ないところで)何とも言えない妙な感じ、というか気分で、何かが引っかかっていた。何かをどこかで、ものすごく昔、見た感じなのだが、それが想い出せない、という状況である。最近、こんなことがよくある。

 で、こんなことは、ふとした事で思い出す、訳である。それは、フランツ・フェルディナンドだった。このバンド名は、第一次世界大戦のきっかけとなった「サラエボ事件」で暗殺された大公の名前からとっている(すっかり忘れていた訳だが)のだが(ちなみに、これはバンド的には、単に語呂が良いだけ、という理由だったと記憶している)、このフランツ・フェルディナンド大公にちなんだ、摩訶不思議な博物館が、建築家のハンス・ホラインによって提案されていた、という記憶だった。おぼつかない記憶によると、その不思議博物館には、考古学的な古墳があって、そこで来場者は埋蔵されたお宝を自由に掘り出すことができて、壊れた遺品が誤って鑑定されて展示ケースに並んでいる、という感じの設計(?提案のようなもの)だった。

 そこまでは想い出したのだが、細かい所までは想い出せない。ずっとモヤモヤしているのも何なので、ちょっと調べ始めたのだが、これが中々大変なことになった。まず、ハンス・ホライン関係の本がなかなか見つからない状況に若干静かな衝撃を受けながら、ネットでもこれといって情報にたどり着けない。あまりに時間の無駄な感じがしてきたのだが、乗りかかった船という感じでリサーチ(大したことはないのだが)を続け、古い建築雑誌で、やっとたどり着けた。ヤレヤレ。

 その、不思議博物館は、メンフェングラートバッハ市立美術館での展覧会(1970年(ワオ!小生の生まれた年だ))の展示作品で、フランツ・フェルディナンドをモチーフにしていた(しかもメイン・モチーフではなかった)のは、1972年のヴェネチア・ビエンナーレの展示だった。ということで、ニアミスであった。ただ、若干言い訳すると、この二つの展示は、非常にコンセプトが似ている(ように感じる)、のである。

 映画『ちょっと想い出してみただけ』(監督:松居大悟)が、映画監督のジム・ジャームッシュの作品『ナイト・オン・ザ・プラネット』にインスパイヤ―されてつくった、ミュージシャンの尾崎世界観がつくった楽曲を、モチーフにしてつくられた映画(と、これも相関関係の連鎖がありまくる訳だが)、ということもあり、映画館では何故かジム・ジャームッシュの総集編のようなパンフレットが販売されいる(ちなみに、これはちょっと前のはなし)。これがコンテンツとヴォリュームの両面から素晴らしく、思わずゲットせずにはいられない。

 さて、ジム・ジャームッシュのパンフをパラパラと眺めながら、ちょっと想い出してみた、だけで、「何か、ここのところ無駄に大変だったなぁ。別に何かを得た訳ではないんだけど。。。それにしても、摩訶不思議博物館はヤバいなぁ。。ハンス・ホラインは若干世間から忘れかけられている気配やけど。。。」と、独り言つ、今日この頃である。そして、また、『ナイト・オン・ザ・プラネット』をビデオで観ていた頃の30年くらい前を、ちょっと想い出してみるのである。うむ。合掌。(TM

2022/06/17

SDGsの授業

 大学も1学期が終わり、2学期に入る。写真を整理しながら、1学期で終了した授業を振り返っている今日この頃。武蔵野大学に「SDGs」という授業が昨年度から開講されているのだが(1年次の教養授業のような位置づけのような科目である)、今年度は学科の事情もあり、おそらく今年限定ということで、この枠組みの中で「SDGs基礎」という授業を担当することになり、その授業が1学期終了とともに無事に終了した次第。学生は選択できずに大学に自動的に振り分けられる仕組みなので、こちらもどんな学生が受講するのかが直前まで分からないのだが、この度は薬学部の学生を受け持つことになった。

 この授業、おそらくオーソドックスに考えると、SDGsの各項目を学習しながら、学生間でのディスカッションや勉強会等をふまえながら、分析(のようなもの)をおこない、何らかのレポートや提案を作成し、発表をする、という流れになる、ということが想像できた。

 さて、そこで、自分の学生時代(しかも1年次)を真剣に思い出してみることに。出した結論は、「普通の講義授業だとつまらないので学生の記憶に全く残らない」(と思われる。実際、自分がその通りなので)ので、「他の授業ではできない、何か変なこと(だけど何かクリエイティブなこと)を学生に体験してもらおう!」、ということを思うに至った。

 そこから、いろいろと考えていく作業が大変だった訳だが、そのモチベーションで思案した結果、授業の最終到達目標の指針を、『「SDGsをふまえて」(これは、勿論当然のこと)、「協働で」(これも全学的に求められていること)、「デザイン的な側面から」(ちょっと建築学科のテイストを加えてみた)、「自身の身体を使って表現(パフォーマンス)せよ」(!、っとこれは、おそらく他にないだろう)』と設定した。

 後は、学生のみなさんが、“笛吹けど踊らず”状態になったら、哀しいなぁ、という若干の不安があった訳だが、最終的に、予想を超える最終成果(パフォーマンス)をみせてくれて、静かな感動を覚えた。

 授業期間中、突然モノづくり(作品デザイン&制作)をさせられたり、変な映像(映画『家族ゲーム』のラストシーン、暗黒舞踏集団「山海塾」のパフォーマンス、現代アート作家のアーウィン・ワームの作品をモチーフにして映像ディレクターのアントン・コービンが撮影したショートフィルム、ミュージシャンのファットボーイ・スリムの楽曲“Praise You”のPV、等々)をみせられたり、と、薬学部の学生も大変だったと思うが、学生たちに何らかの刺激が提供できていれば(&今回の授業の意義のようなものを10年後くらいにでも思い当ってもらえれば)、それは嬉しいかぎりである。

 ということに想いを馳せながら、季節はすぎていくのである。おそらく、教室に、ファットボーイ・スリムが爆音で響き渡ることは、もうない。(TM

2022/06/10

AACA賞

 日本建築美術工芸協会が主催する、AACA賞(第31回、令和3年度)において、「むさしのエコ re ゾート」が入選の運びとなり、表彰式に出席する機を得る。新型コロナウィルスの影響もあり、表彰式のタイミングもかなりずれ込んだようだが、無事開催された。現地審査の時に、施設がコロナワクチン接種会場として使用されていたため、見れる場所がかなり限定されており非常に逆風だった訳だが、ひとまず、一定の評価を得ることができ良かった。

 今回は、エコreゾート単体での応募だったが、今後、「武蔵野クリーンセンター・むさしのエコreゾート」と一体の応募案件もあるため、いいかたちで建築の評価がされていくことを願いながら。今後の展開が楽しみである。(TM

2022/06/01

文学館のトンネル

 ゼミの建築施設見学で、早稲田大学の国際文学館を参加希望のゼミ生と訪問。入館には事前予約が必要という、一定の煩わしさがあるのにもかかわらず、館内は来館者でいっぱいだった。これは、村上春樹人気の影響なのかは、分からないところではあるが、この静かな賑わい性は非常に感心してしまう。

建築自体は、よくメディアで見かける、床を減築して3層吹き抜けにした本棚のトンネル状の空間が見どころである訳だが、その階段状の場所に座って、まわりにある本を取って読むという行為は、素直にいい感じがする。建築的には特に新しい発見がある訳ではないのだが、細部までソツなく設計されている様子は伝わってくる。少しキレイに仕上げすぎている感じが、好き嫌いが分かれるところかな。

 徐々に学生の活動の範囲も広がってきている。元気に、いろいろと吸収して欲しい。(TM

2022/05/28

季節がめぐる

 毎年このブログで書いているような気がするが、自宅に野生で生殖している雑草たちが、花を咲かせてにぎやかだ。

 チューリップが終わったら、シランが咲き始め、今はタンポポがが満開で綿毛を飛ばしまくっている。この後、ドクダミが花を咲かせつつある。それに歩調を合わせるように、赤ダニがコンクリートの床や壁に蠢きだす。大きさ1mmにも満たない赤い点のようなもので、何故か黒く塗装されたスチール部にたくさんいる。子供たちは、キャーキャー言っているが、赤ダニにも生活があり、健康被害がある生物ではないようなので、ほったらかしている。

 そんな感じが7月に入るまで、うつろいながら続いていくのであります。季節はめぐる。(TM

2022/05/23

熊谷守一美術館

 所用があり池袋方面に赴くことがあり、近くまで来たので、豊島区立熊谷守一美術館に立ち寄る。一度、訪れてみたいと思っていたのだが、なかなかチャンスがなく(中途半端に、近くもなく遠くもないと中々足が向かない、というパターン)、やっと訪問の機を得た次第。元々、画家の熊谷守一の自邸&アトリエだった場所に、美術館として整備した施設のため、とても規模が小さいのだが、建築としての魅力が半端ない。

 美術館という機能に関する点は置いておいたとして、建築に携わる者が観ると、なかなか興奮する(に違いない、と強く感じる)建築である。空間のスケール感、建築のテクスチャー、ほぼオリジナルに制作しているディテール、等々いわゆるモダニズム建築とは一味違った場を創りだしてるところが心地いい。その中でも建築やってる人が着目するのは、建具(窓)の在り方。基本的には、スチール建具なのだが、ガラス一枚(枠無し!)が縦すべり出しで開くようになっている。トイレの窓も同じ形式だったので、開けみて静かに興奮してしまった。

 こういう建築に出会うと元気が出る。そうです、元気にいきましょう。(TM

2022/05/19

西武球場

 GWが終わり、特に何かがあった訳ではないが、慌ただしくしているうちにブログの更新が滞る。いやはや。

コロナの影響で、連休中はほとんど何もできなかったが、唯一のイベントが、子供の日の野球観戦@西武ドーム(今年から、名称はベルーナ・ドーム)。整理していたら、写真データが出てきた。ほぼ1年ぶりくらいに、生で野球観戦。子供の日ということで、球場では子供ちには源田選手仕様のグローブが配られ(いや、太っ腹!)、子供たちは満足そうだ。ゲームは、中村&山川のアベック・ホームランが飛び出し、ライオンズの圧勝。まさに、ライオンズ・デー。

その裏で、我がバファローズは連敗街道をひた走っている、勝者あれば、敗者あり。その逆も、また真なり。元気にまいりましょう。(TM

2022/05/06

GWはミステリーで

 5月になり、GWに入った。今年も新型ウィルスの影響で、田舎に帰省することもなく東京で過ごすことに。時間がある時に、積読状態の本に手を延ばす。推理小説物が好物な訳だが、ミーハーにも巷でも流行っている、アンソニー・ホロビッツにはまっている。「ヨルガオ雑人事件」を読了。

今回も楽しんだ。前作の、「カササギ殺人事件」の続編。まさか、続編が出るとは思ってなかったので、うれしい誤算。特に前作の「カササギ殺人事件」は秀逸で、上下巻に分かれているが、上巻での伏線(というか、小説の大前提)が下巻の冒頭でひっくり返されるので、思わず下巻を読み始めた所で、「おぉっ!」と声を上げてしまう、、、のである。

今回の「ヨルガオ殺人事件」も小説内小説が展開される入れ子構造になっている点が最高な訳だが、白眉はこの小説内小説の方がヴォリュームが充実していて、もうどっちが本編なのか分からない、という所にある。

どっちが本体で、どっちがゴーストか?、というシフトチェンジはまさに小説の醍醐味である。建築にも、そんなテイストが盛り込めたら面白いのになぁ、と思いながら我がノートPCに向かう、今日この頃であります。。。はい。(TM

2022/04/22

“タガタメ”の街並みやら

 その昔、ミュージシャンの上田現氏(当時、小生の羅針盤的存在だった。もう亡くなって14年が経つのか、という事実に気づき、時の流れのあまりの早さに戸惑ってしまう)が、自身の『もう逢えない人に』(アルバム『夕焼けロック』収録)という曲の中で、

「掛けられた密かな魔法は / あなたがいなくなっても / 続いています、あの電信柱に / 遠くどこまでも続く家並に」、という詞を唄っている。

 街中で、無秩序世に開発されている街の様子に出くわすと、何故かこの曲を憶い出してしまうのだが、吉祥寺の駅前で現在進行している工事現場で出くわした。吉祥寺でも有名だった銭湯の建物が、道路側の建物が取り壊されたために、期せずして、もの凄く街の前面に出てきてしまっている、今日この頃である。おそらく月日が経つと、また殺風景な高いビルが建ってしまうし、そう遅くない時期にこの銭湯自体も取り壊されてしまうだろうから、ある意味、一瞬の景観が誕生している、と言えるだろう。まさに蜃気楼のようだ。

 そうして、時の流れの早さを改めて感じさせられる、のである。僕たちの街の様相は、いとも簡単に書き換えられていく、という流れは如何ともしがたい。そして、それに対して、あまり人々が興味を持っていない(ようにみえてしまう)ということが、また人々を寂しい気持ちにさせるのである。うむ、合掌。

 タイトルに“タガタメ”とPCのキーボードを打ってしまったが、これはもちろん、“誰が為”ということである。いや、念のため。(TM

2022/04/11

完全試合

 ロッテの佐々木朗希投手が完全試合を達成。何と相手は、我がバッファローズ、ということで、まさに手も足も出ない、というのは、こういうことを言うのだな、と納得。

 92死で、おそらく全国の大多数の人々が、佐々木の完全試合達成を望んでいたと思われるが、まさにあの瞬間、「杉本、打て!しかもホームラン!!」と強く念じていた、数少ない人間がここにいる。しかし、願いは通じなかった。。。

 それにしても、試合を観戦していて、まったく打てる気配がしなかったので、あそこまですごいと逆に気持ちいい感じすら漂う。ただ、コロナの影響で、バファローズ打線はベストメンバーからは程遠かった、ということは付記させていただく(まさに負け犬の何とやら。。。)。間違いなく、投手としては大谷翔平よりスゴイと思う。期待も込めて末恐ろしい。

庭のチューリップが満開で、すごい勢いで咲いている。気温も急激に上がってきて、いよいよ季節の変わっていくのを実感する。元気にまいりましょう。(TM

2022/04/08

スパークス

 いよいよ新年度に入って、諸々のことが動き出す。大学も入学式があり、新1年生が入ってくる。それにしても、コロナに戦争に地震(最近、よく揺れるよなぁ。。)に、と本当に大変な時代に大人になっていく時間感ってどんなのだろうなぁ、と漠然と思ってみる。

 というようなことを考えてたら、4月から、レオス・カラックスの新作映画『アネット』の公開がスタート。ひとまず、いつものレオス・カラックス作品の通り、観る人を選ぶ映画感満載で、かなり不思議な作品だ。ということはおいておいて、この映画ほぼ全編、スパークス(ロック・バンドの)の音楽満載、なのである(巷では、ダーク・ファンタジー・ロック・オペラ、と呼ばれているようだが、何じゃ、その日本語?!という感じ)。スパークスを知っている人は、特にオープニングは震えます!!映画冒頭のメッセージは、「それでは、どうぞ息すらも止めて、ご覧ください」。

 スパークスの1979年の作品『No.1イン・ヘヴン』のLPを引っ張り出してきて聴いてみる。いや、素晴らしい。スパークはデビューして50年が過ぎている。まだまだ、元気にまいりましょう。(TM

2022/04/04

石を感じてみる

 新年度になる。所用で、石の作品を観る機会を得た折の写真が出てきた。実際に手で触れて触れることのできる作品もあるという、展示ソフトとしては、非常にめずらしい取り組みに感心した記憶が甦る。いろいろな石の姿に触れながら、石の奥深さを感じる。

 石というと、なぜか、つげ義春の漫画、「無能の人」シリーズの「石を売る」話を思い出す。職を無くした男が、川べりに小屋を建て、そこで河岸に落ちている石を集めて売る商売をする、という話なのだが、もちろん、石は売れる訳なく、、、、という非常に静かで若干不気味な哀愁が漂う作品だ。

石は太古から、そこに存在する訳で、だから、人々は石に惹かれるのかもしれない。不安定な今の時代だからこそ(ウクライナのニュースをみながら)、石に触れて、いろいろ考えてみてもいいのかもしれない、と感じてみる。

「人間は石から生まれて石に戻る」(イサム・ノグチ)    (TM)

2022/03/30

たまらなくAOR

 いよいよプロ野球が開幕。我がバッファローズは開幕戦をエース山本で勝ち、ついに12年ぶりに開幕戦敗戦の負のスパイラルから脱することができた!と、喜んだのもつかの間、開幕3連戦は、結局その1勝のみで終わり、特に第3戦は6点差をひっくり返される、という、ある意味例年通りの感じを垣間見せている。いや、でも、まあ仕方ない。弱小チーム応援者の性なのである。

 そして年度末ということで、個人的には哀しいニュースが。作家の田中康夫氏がDJをつとめる、ラジオ番組『たまらなくAOR』(84.7エフエム横浜)が、本日をもって6年半くらいの歴史の幕を下ろした。いいラジオ番組がなくなるのは、本当に、いつの時代も寂しさを感じずにはいられない。田中康夫原著の『なんとなくクリスタル』を映画化した、サントラ盤のLPを引っ張りだしてきて、聴いてみる。スティーブ・ギブ「Tell Me That You Love Me」、デヴィッド・ポメランツ「オールド・ソング」、ジム・メッシーナ「Seeing You」、などなど、しみる楽曲群。そして3月が終わり、季節が変わる。(TM

2022/03/24

戦争をやめさせるための音楽

 大変遅ればせながら、しかも若干数日前の話になるが、作家の村上春樹が不定期にTOKYO FMでおこなっているラジオ番組「村上RADIO」をradikoのタイムフリーで聴く。実は、コロナワクチン3回目接種の副反応で横になっていたのだが、真夜中(おそらく3時くらい)に急に目が覚めてしまい、そして逆に眠れなくなってしまい、radikoで聴いた次第。特別放送の回(2022/3/18放送)で、テーマは「戦争をやめさせる音楽」というもの。もちろん、今回のウクライナ侵攻の戦争を射程に入れている。

 そして、これが神回だった。

 今回の放送では、各曲に村上春樹が訳詞をのせてプレイしていくというスタイル。真夜中に聴くと特に感動するのである。いや、元気をもらった気がする。

 番組内でかかった曲のセットリストの中で自宅にあった、ドアーズの3rdアルバムを改めて聴きなおす。「The Unknown Soldier」。うむ。いろいろと考えながら前に進みましょう。(TM

2022/03/20

卒業と、雑感と

 一昨日の話になってしまったが、武蔵野大学の水谷研16期生のゼミ生7名全員が卒業。前日の夜にかなり大きな地震で揺れたので、一瞬どうなるか?と思ったが、無事に卒業式は開催の運びに。

 新型コロナの影響で卒業式は小規模に小分けに開催(&謝恩会は昨年に引き続き中止)になったが、学位記を取りに来た卒業生たちが研究室に集まってくる。そうしたら、ゼミ生からサプライズで、本当に素敵なプレゼントをいただく。これで1年の疲れも吹っ飛びますね。ありがとうございます。学生諸君は改めて、おめでとう。

 コロナに戦争に地震に、もう本当に大変な時代を象徴しているのだと思う。4月からの新しい世界での活躍を期待したい。今年の水谷研のキャッチフレーズ(毎年勝手に小生が定めている次第。。。)は、DCPRGの解散時に菊地成孔が放ったメッセージをモチーフにしている。この言葉も、戦争が実際に起こると、非常に別の大きな意味を持ってくる、と感じてしまう。それでは、卒業生へのはなむけに。

 「この 4年間で、解放されたかね? それとも拘束されたかね?

  人生は短い

  ワイルド・サイドを歩け!」 (TM