2022/08/25

甲子園の随想2(再び)

 あっという間に8月も後半にさしかかり、子供たちの夏休みも終わりに近づいてきた。今年の夏もずっと東京に留まっていたので、特に何かすることがない時間ができたときは、積読状態の本を手に取って読みふける日々が続いた。その中で、『甲子園13本塁打の真実 清原和博への告白』(鈴木忠平著)を読む。これは、元プロ野球選手の清原和博に甲子園でホームランを打たれた人々にインタビューをしたノンフィクション物。一度、雑誌「Number」に掲載された記事に加筆して書籍化されたものになる。その雑誌掲載時も読んで「素晴らしい記事だ!」と思ったのだが、改めて書籍化されたものを読んでも、一話一話にドラマがあり、やはり涙腺が刺激され、静かな感動を呼び起こす。

今年の夏の高校野球も閉幕した訳だが、個人的には、昔、祖父母が甲子園に住んでいたので、高校野球に想い入れが非常に濃い。昨年このブログ(2021/8/30)でも、丁度この時期に、過去(2015/8/19)に一度UPした、高校野球に関する内容を再録掲載した次第である。そのブログの最後の最後で「まさに奇跡は続く。さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」という文章で結んでいる。ということで、その続編を、(楽しみにしている人はいないかもしれないけど(!))、今年も懲りずに再集録とさせていただきます。よければお楽しみください。

 

■甲子園随想 その2(2016/11/19を一部加筆し掲載)

昨年の2021/08/30のこのブログで『甲子園随想』というタイトルで甲子園(高校野球)に関して書いた。その際、僕が初めて甲子園球場に足を踏み入れた1977年の夏の大会について書いたのだが、その中で、「その翌年78年に続きがありますよ」的に、「さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」と結ばせて頂いた。ので、その想い出話の続きを今年も少々。

77年の決勝戦(の9回最後のシーンだけ)を甲子園で生で初めて観戦し、地元兵庫代表の劇的なサヨナラホームランによって決着がつくという熱戦に感動に浸ってしまった僕(当時7歳)は、翌78年も「甲子園に観戦に行きたい。」と親にせがんだ(ようだ)。当時の父親世代は仕事も忙しく日曜日も父は働きまくっていたという記憶があるが、かなり無理してくれたのか、決勝戦のチケット(その年はたまたま日曜に開催)を取ってくれて父母とともに親子3人で観に行くことになる。ちなみに父母とともに3人で野球を観戦したのはおそらくこれが最初で最後と記憶している(父と僕、母と僕、父と母という取り合わせでは、この後幾度ともなく野球を観に行っているのだが、不思議なものだ。)ので、残っている記憶も鮮烈である。

さて、決勝戦の試合は地元大阪の未だ優勝経験がない高校と、当時の野球王国である四国は高知の代表、優勝候補の雄、高知商業との対戦。

試合は決勝戦独特の高揚感があり、球場はもちろん超満員だった。今回は内野席でちゃんと座って観戦できていたので僕もご満悦だったが、試合はものすごく緊迫した投手戦に。はっきり言って、投手戦は子供にとっては試合展開に動きがないので、通常はとても退屈してしまうのだが、その時は球場全体の熱気がすさまじくて、手に汗をかきながら試合を観ることに没頭してしまった。

試合展開は序盤に高知商が先制し、20のままあっという間に最終回へ突入。地元大阪の高校は完全に抑えられており、まったく反撃の糸口がつかめない状況だった。ここで球場全体が初優勝を目指すチームにエールを送ることになる。最終回9回裏、大阪の高校の最後の攻撃でランナーが一人出たところで、球場の所々から拍手が起き始める。そして、ランナーが二人出た場面で、球場の熱気がシンクロし始め、球場全体で大拍手の嵐が起こりだした。僕は何と言っても初めての本格的な観戦だったので、その球場全体が一つになるという状況を呆然と、そして恍惚と見とれてるような感じだった。そこで、打者にエースで4番の選手が立つ。まさに舞台は整った。僕は遠い客席で観ながら、その異常に緊迫した場面にもかかわらず4番打者がバッターボックスでニヤリと笑ったような感じがした。まったく観えない距離なので、それはまさに錯覚なのだけど、球場の雰囲気全体がそう思わせる何かが憑りついていたのだろう。結果は追い込まれながらも(このあたり記憶が曖昧だ)、鋭く放った打球が1塁線を鋭く切り裂くタイムリー2塁打。同点。土壇場で追いついた!この段階で、球場は興奮の坩堝となり、まさに球場全体が揺れるような状態だった。続く、5番バッター。もう試合の流れは完全に動いていた。完全に高めに外れた球を左中間まで運び、見事、逆転サヨナラという劇的な幕切れとなった。

これで夏の甲子園は4年連続のサヨナラで優勝校が決定することになる。まさしく昨年の決勝をみて母親と「3年連続はあっても、まさか4年連続はないよねぇ。」と言ったいた、その「まさか」が起こった訳である。

試合の後、甲子園に住む、祖父母の家まで家族三人で遊びに行き、祖父母の家でも先程までおこなわれていた決勝戦の話で盛り上がっていたのを覚えている。当時は、それ程、夏の甲子園が大きな歳時記だったと言える。

時は流れ、40年近くが経ち、祖父母の家もすでに甲子園にはなく、僕もそれ程甲子園への情熱は失われてしまった。けど、あの時の熱気が渦巻く空気感は、何事にも代え難い体験であり、ある意味、貴重な建築空間体験だったと言えるだろう。

 さて、優勝した当時新進のその大阪の高校はこの後、甲子園という場で、数々の奇跡的な試合を残し、僕もその場面に幾度となく球場で遭遇することになる。ほぼ伝説的にまでになっている、その年の奇跡的な快進撃から人びとはそのチームを、リスペクトを込めて異名で呼ぶようになる。

 その名は『逆転のPL』。

 

その時を思い出しながら、今読んだ本の余韻に浸ってみる。まさに悲哀に満ちていて、ほろ苦い。だが、僕たちは前に進むしかない、と感じ入ってしまう。

「立派な王国が色あせていくのは 二流の共和国が崩壊するよりもずっと物哀しい」(村上春樹著、『カンガルー日和』「駄目になった王国」より)

(TM)