2022/08/31

夏休みの最後の野球場

 偶然ですが、野球の話がつづきます。

 いよいよ、こどもたちの夏休みも終わる、ということで、新型コロナの影響で昨年に引き続き何もできなかった夏休みの終わりに、西武球場(あまり知られていないが、設計者は建築家の池原義郎氏。ので、かなり球場の空間構成が面白くて、個人的には好き。)へ野球を観に行く。平日の夜ということもあり、観客もそれ程入っていなくて、良い感じの観戦ができた。

 近年、球場に行くとほぼ超満員、という状況なのだが、昔(30年程前)は、ガラガラの球場によく野球を観に行った記憶がある。関西出身なので、もちろん甲子園球場。現在では、到底考えられないが、新聞の販売代理店が販促のために、よくおまけにチケットを配布していて、それを片手に、時折友人と共に足を運んでいた。当時は阪神タイガースの暗黒期ということもあって、のんびりとビール片手に観戦である。そんな、ゆる~い感じも、ある意味風情があっていいものだったが、今回の観戦は、何となく同じような風情が漂っていて心地いい。

 さて、試合は、ライオンズの森と呉のホームランが出てライオンズの勝利で,こどもたちもご満悦。個人的には、ファイターズの上沢は敗け投手になったが完投するという力投は見応えがあった。

 さて、あっという間に8月が終わり、9月に入っていく。相変わらず暑いですが、元気にいきましょう。(TM)

2022/08/25

甲子園の随想2(再び)

 あっという間に8月も後半にさしかかり、子供たちの夏休みも終わりに近づいてきた。今年の夏もずっと東京に留まっていたので、特に何かすることがない時間ができたときは、積読状態の本を手に取って読みふける日々が続いた。その中で、『甲子園13本塁打の真実 清原和博への告白』(鈴木忠平著)を読む。これは、元プロ野球選手の清原和博に甲子園でホームランを打たれた人々にインタビューをしたノンフィクション物。一度、雑誌「Number」に掲載された記事に加筆して書籍化されたものになる。その雑誌掲載時も読んで「素晴らしい記事だ!」と思ったのだが、改めて書籍化されたものを読んでも、一話一話にドラマがあり、やはり涙腺が刺激され、静かな感動を呼び起こす。

今年の夏の高校野球も閉幕した訳だが、個人的には、昔、祖父母が甲子園に住んでいたので、高校野球に想い入れが非常に濃い。昨年このブログ(2021/8/30)でも、丁度この時期に、過去(2015/8/19)に一度UPした、高校野球に関する内容を再録掲載した次第である。そのブログの最後の最後で「まさに奇跡は続く。さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」という文章で結んでいる。ということで、その続編を、(楽しみにしている人はいないかもしれないけど(!))、今年も懲りずに再集録とさせていただきます。よければお楽しみください。

 

■甲子園随想 その2(2016/11/19を一部加筆し掲載)

昨年の2021/08/30のこのブログで『甲子園随想』というタイトルで甲子園(高校野球)に関して書いた。その際、僕が初めて甲子園球場に足を踏み入れた1977年の夏の大会について書いたのだが、その中で、「その翌年78年に続きがありますよ」的に、「さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」と結ばせて頂いた。ので、その想い出話の続きを今年も少々。

77年の決勝戦(の9回最後のシーンだけ)を甲子園で生で初めて観戦し、地元兵庫代表の劇的なサヨナラホームランによって決着がつくという熱戦に感動に浸ってしまった僕(当時7歳)は、翌78年も「甲子園に観戦に行きたい。」と親にせがんだ(ようだ)。当時の父親世代は仕事も忙しく日曜日も父は働きまくっていたという記憶があるが、かなり無理してくれたのか、決勝戦のチケット(その年はたまたま日曜に開催)を取ってくれて父母とともに親子3人で観に行くことになる。ちなみに父母とともに3人で野球を観戦したのはおそらくこれが最初で最後と記憶している(父と僕、母と僕、父と母という取り合わせでは、この後幾度ともなく野球を観に行っているのだが、不思議なものだ。)ので、残っている記憶も鮮烈である。

さて、決勝戦の試合は地元大阪の未だ優勝経験がない高校と、当時の野球王国である四国は高知の代表、優勝候補の雄、高知商業との対戦。

試合は決勝戦独特の高揚感があり、球場はもちろん超満員だった。今回は内野席でちゃんと座って観戦できていたので僕もご満悦だったが、試合はものすごく緊迫した投手戦に。はっきり言って、投手戦は子供にとっては試合展開に動きがないので、通常はとても退屈してしまうのだが、その時は球場全体の熱気がすさまじくて、手に汗をかきながら試合を観ることに没頭してしまった。

試合展開は序盤に高知商が先制し、20のままあっという間に最終回へ突入。地元大阪の高校は完全に抑えられており、まったく反撃の糸口がつかめない状況だった。ここで球場全体が初優勝を目指すチームにエールを送ることになる。最終回9回裏、大阪の高校の最後の攻撃でランナーが一人出たところで、球場の所々から拍手が起き始める。そして、ランナーが二人出た場面で、球場の熱気がシンクロし始め、球場全体で大拍手の嵐が起こりだした。僕は何と言っても初めての本格的な観戦だったので、その球場全体が一つになるという状況を呆然と、そして恍惚と見とれてるような感じだった。そこで、打者にエースで4番の選手が立つ。まさに舞台は整った。僕は遠い客席で観ながら、その異常に緊迫した場面にもかかわらず4番打者がバッターボックスでニヤリと笑ったような感じがした。まったく観えない距離なので、それはまさに錯覚なのだけど、球場の雰囲気全体がそう思わせる何かが憑りついていたのだろう。結果は追い込まれながらも(このあたり記憶が曖昧だ)、鋭く放った打球が1塁線を鋭く切り裂くタイムリー2塁打。同点。土壇場で追いついた!この段階で、球場は興奮の坩堝となり、まさに球場全体が揺れるような状態だった。続く、5番バッター。もう試合の流れは完全に動いていた。完全に高めに外れた球を左中間まで運び、見事、逆転サヨナラという劇的な幕切れとなった。

これで夏の甲子園は4年連続のサヨナラで優勝校が決定することになる。まさしく昨年の決勝をみて母親と「3年連続はあっても、まさか4年連続はないよねぇ。」と言ったいた、その「まさか」が起こった訳である。

試合の後、甲子園に住む、祖父母の家まで家族三人で遊びに行き、祖父母の家でも先程までおこなわれていた決勝戦の話で盛り上がっていたのを覚えている。当時は、それ程、夏の甲子園が大きな歳時記だったと言える。

時は流れ、40年近くが経ち、祖父母の家もすでに甲子園にはなく、僕もそれ程甲子園への情熱は失われてしまった。けど、あの時の熱気が渦巻く空気感は、何事にも代え難い体験であり、ある意味、貴重な建築空間体験だったと言えるだろう。

 さて、優勝した当時新進のその大阪の高校はこの後、甲子園という場で、数々の奇跡的な試合を残し、僕もその場面に幾度となく球場で遭遇することになる。ほぼ伝説的にまでになっている、その年の奇跡的な快進撃から人びとはそのチームを、リスペクトを込めて異名で呼ぶようになる。

 その名は『逆転のPL』。

 

その時を思い出しながら、今読んだ本の余韻に浸ってみる。まさに悲哀に満ちていて、ほろ苦い。だが、僕たちは前に進むしかない、と感じ入ってしまう。

「立派な王国が色あせていくのは 二流の共和国が崩壊するよりもずっと物哀しい」(村上春樹著、『カンガルー日和』「駄目になった王国」より)

(TM)

2022/08/09

設計演習2022前期

 大学の授業の前期が終わり、学生達は夏季休暇に突入。前期の授業の整理をしていたら、武蔵野大学2年生の前期の設計演習(授業名:「設計製図1」)の写真データが出てきた。

 今年度から若干授業プログラムを変えて、春期休暇中に1つ課題をドロップして、その成果をもって1回目の授業でいきなり講評会を実施する、というスタイルでやってみた。という訳で学生は前期中に計3課題に取り組み、最後に作品ポートフォリオをまとめる、ということになる。

 最終授業のポートフォリオ講評で、一つ興味深いことがあった。一番、教員の議論が白熱したのが、学生があまりに文章が書けていない、というポイントだった。最終成果の作品シートは基本的に図面や模型写真やスケッチパースなどのビジュアルがメインになる訳だが、作品のコンセプトなどを説明するために文章も記載する。その文章が、何を言ってるのか(書いているのか)分からない学生が一定数いて、「これは、どうしたものか?」という教員達の嘆きになっていった次第である。最終的には、「長編小説を読みなさい!」というアドバイスに帰結していく訳だが、なかなか頭がいたい話ではある。

 特にSNSが普及してからは、長い文章を読めない人が増えてきている事実を痛切に感じる(これは決して、若者だけに限らない話だと思う)。長編小説なんて、いわんやをや、である。

 そこで、担当教員がお薦めの本と映画を挙げて、学生にアナウンスすることにした。この夏休みに、是非いい本に触れて欲しい。ちなみに、現在小生は、『偶然の聖地』(宮内悠介著)(いわば、SF小説ですが)をポツリポツリと読んでいる。読了後には、またブログに書いてみます。(TM)

2022/08/05

小田原の測候所にて

 施設視察で小田原の江之浦測候所(設計:新素材研究所)に赴く。現代美術作家の杉本博司氏が構想し、実現した場(展示公園(?)のようなもの)である。美術収集家としての一面も持つ杉本氏が集めてきたさまざまな物(像や井戸や石など)が、みかん畑の丘陵風景の中に点在しており、それを来館者は巡っていく、というかたちになっている。

 敷地内の新築の建築群自体は、大谷石などの自然素材をふんだんに用いながら、隙のないモダニズム建築を実現しているように見受けた。いわば、ミースとライトのハイブリッドにアート性を加味しているという感覚。また、公共建築にありがちな、安全側へ過剰に意識した要素は排除されており、そのあたりの運営面での潔さには感嘆させられた。

 個人的には、何となく、イタリアのヴォマルツォの公園や、日本国内だと中野区の哲学堂公園を思い起こしてしまった。何となくそんな不思議な空気感をまとっている。いやあくまでも、個人的な感想です。。。

それにしても、この場をつくったパワー(情熱と言ってもいいと思う)、はすさまじい、と思う。建築的行為のそうなのだが、人間とか自然とか社会とかに思いを馳せながら、いや、いろいろと考えさせられる。(TM)

2022/08/01

夏もさなかに

 最近、諸々に忙殺されてしまい、なかなかブログが更新できないでいたら、1月も経ってしまった。いやはや、面目ない次第。。。SNSを一切していないので、このブログが更新されないと、時折お気づかいの連絡をいただく。いや、ありがとうございます。身体は元気です。(肩と腰はこってるけど。。。)はい。

 子供たちも夏休みに入り、ものすごい暑さが続いている。近所の方に、メダカをおすそ分けしてもらったようで、2階のテラスで飼うことになった。昔は、どこにでもいたメダカが現在では絶滅危惧種になってしまっている(ちなみに、近年は、日本における「メダカ」の魚名は「キタノメダカ」と「ミナミノメダカ」に分かれて、既に存在していないらしい)のは、さびしい現実である。

 発泡スチロールの即席水槽の中でゆるやかに泳いでいるメダカをみながら、少しこの暑さを和らげたいと思う今日この頃。元気にいきましょう。(TM