2019/02/24

椅子の講評会2018(年度)

  例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、その講評会を開催。今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びに。木工作家の渡邊浩幸さん、映像ディレクターの土居京子さん、現代舞踏家の相原朋枝さん、写真家のキッチンミノルさんにお越し頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。僕以外はみなさん建築とは違った分野の方々なので、その講評も個人的にはとても楽しい。
今年度は履修者18名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、プレゼンがしっかりとしていると、作品の良さが確実に伝わる、というあまりに当たり前のことが当たり前すぎて、それが面白い、ということであった。
昨年のこの会のコメントでも書いたような記憶があるが、作品が発する余白(のようなもの)というものの大切さを改めて感じさせられる。その作品の持つ余白(のようなもの)というものは、しっかりと作者がデザインの答えを持って初めて提示できる(逆に言うと、その答えを持ってないとダメということ)のであるが、プレゼンの仕方によっては、それは観る側や感じる側に委ねてしまえるやり方があるのだなぁ、と思った。そして、それがある強度を持ってできていて、作品自体の出来がよければ、椅子(成果物)としての妥当性はそれ程重要ではなくなってしまうのである。まあ、それが良いか悪いかは、ちょっと微妙なところなんだけどね。最後に個人的には、「課題の奥の意味(僕が考えているポイント)と、その課題に対するスタンスの在り方は、しっかりと各自が考えて欲しい。というか、そこを考えてないとダメだよねぇ。」ということを総括で講評させてもらう。
建築の設計も、ある程度は同様のことが言えるが、あまり裏を取りすぎてしまうとNG、という側面もあり、なかなか難しい。。。いやはや。
 終わった後は、履修学生全員を交えて30名程で井の頭公園の店で打ち上げ。1年の集大成ということで、学生は一様に充実感を漂わせてくれていて嬉しい。さて、怒涛の年度末が続いていくのです。はい。        (TM)

「イスをつくる」
 課題:「 優れた音楽を聴くには、
      聴くべき様式というものがある
           聴くべき姿勢というものがある
           アルバムをターンテーブルに載せて
           そんな時に座るイス」

【課題概要】
 国有地を一民間団体に格安で払い下げる、という超異例中の異例(異常中の異常)の事態に端を発した事実の連鎖が世間を賑わす。一国の元首の妻(或いはその元首自身に関しても取り沙汰されている)とその民間団体の密接な関係。民間団体の異常な極右教育。中央官庁による公文書改竄。そして、国会前でのデモ。それでも変わらない国会における議員答弁。そしてフェイク・ニュースを含め惑わすメディアの報道。これは一つの事例に過ぎないのだろう。然るべき問題に、然るべき提案をしても、誰からも感謝されない、ということはままある。場合によっては叱責される。だから、みんな黙っている。だから黙って破局の到来を待っている。
ので、いいのだろうか?

村上春樹著『騎士団長殺し』(2017)にこのような一節がある。
“私はブルース・スプリングスティーンの『ザ・リバー』をターンテーブルに載せた。(中略) ブルース・スプリングスティーンの『ザ・リバー』はそういう風にして聴くべき音楽なのだ、と私はあらためて思った。A面の「インディペンデンス・デイ」が終わったら両手でレコードを持ってひっくり返し、B面の冒頭に注意深く針を落とす。そして「ハングリー・ハート」が流れ出す。もしそういうことができないようなら、『ザ・リバー』というアルバムの価値はいったいどこにあるのだろう?”
そして、“優れた音楽を聴くには、聴くべき様式というものがある。聴くべき姿勢というものがある。”と結ばれる。さて、どのようなものが、聴くべき姿勢なのか?
様々に考えを巡らしてみてください。魅力的なイスに出会えることを期待しています。

2019/02/19

いすばかり展

武蔵野大学水谷研究室有志の学生たちによって、ささやかな展覧会が開催されています。椅子の展覧会です。学生が制作した9つのオリジナルチェアが展示されています。
『いすばかり展』
会期:2/19(火)~24(日) 11001900
場所:キチジョウジギャラリー(井の頭公園脇)

http://kichijojigallery.com/
http://kichijojigallery.com/?p=6733

本日からスタートしていますので、お近くにお越しの際は是非ご来場ください!(TM)

2019/02/02

卒業設計審査会2018(年度)

年明けからのバタバタさ加減が半端なく、しかもインフルエンザの罠にかかってしまったため、ブログがまったく更新できない。ので、いくつかを続けざまにUPする次第です。すみませんです、はい。
 さて、武蔵野大学の卒業設計の公開審査会。
 昨秋の学内審査及び4日前の敗者復活審査(インフルで自身は欠席)を経て、今年度は11名の学生が最終審査で発表をおこなう。個人的には決め手(の作品)がない、という感想だが、発表&審査でいろいろと考えも変わってくるのでその点は興味深い。
 1300にスタートし学生の発表に続き、公開審査会に突入。今年も審査員の先生方、12名という大所帯で開催(しかも、公開で!)するので、これがなかなか審査会の運営上の難易度を上げている。
 最初に投票をおこない議論に入る。11作品のうち得票が多い2作品があり、後はほぼ同列、という結果に。このあたりは、ある意味決定打がない今年度の作品群の様子がよく分かる。2度の追加中間投票をおこない4作品まで絞り込む。ここまでがかなり時間がかかってしまい、ここからは各審査員が推す作品への講評という流れになる。と、文章で書くと平坦な感じになるが、全体で6時間超えの審査会になる。結局、今年も同じような流れになり、作品の順位までを合議で決定することができずに最終の決選投票へ舵を切る。得票が多かった2作品の勝負になるかな、と予想したのだが、予想通りその2作品はかなり接戦で順位が決まった。1位から4位(武蔵野大学は4位までが優秀賞)はある意味、順当といえば順当な結果となった。
 水谷研からは、5名が審査会に臨み、ハルナとミナミが次点ということで涙をのんだが、アヤナが見事1位(最優秀)を獲得。レイが2位(優秀賞)、リョウタが4位(優秀賞)と頑張った。重ねてになるが本当にお疲れさまでした。審査する側もどっぷりと疲れました。   終わった後、全体の懇親会をおこない、学生も(ついでに教員も)一様に「1年が終わった感」をにじませながら、学生の作品をツマにいろいろと話をする。
 個人的な感想としては、予選から時間がかなりあったのに、作品のブラッシュアップがなかなか進まなかったなぁ、というのが残念なところ。そもそもブラッシュアップの意味が良く分かっていないようにも見受けられた。スキルの良し悪しに関わらず、もう少し自分の作品にじっくりと向き合うような時間とエネルギーを学生たちには持ってほしいと感じた。
 学生たちには、卒業設計は卒業後も自身の語り草になるので大切にして欲しい、というようなことをメッセージとして伝えて、長い一日が終わる。今年は会場が学内なので遅くまで会が続いていき、会場の閉館をも届けて帰途に就く。
さて、いよいよ年度末も佳境に突入。(TM)