2017/03/31

卒業と雑感と:2016(年度)

 あっという間に時間が過ぎ、3月も終わってしまい、新年度がスタートする。そして、2017年のプロ野球が開幕してしまう。いやはや。
 ちょっと遅くなりましたが、武蔵野大学の水谷研11期生のゼミ生8名が卒業。卒業式、謝恩会も無事執り行われて、ゼミ生からの素敵なプレゼントをいただく。ありがとうございます。学生諸君は改めて、おめでとう。4月から(って明日からだけど)の新しい世界での活躍を期待したい。
 謝恩会では、毎年恒例のパフォーマンス(何故か毎年恒例になってしまっているかは謎なのだが。。。)を、非常勤でお世話になっている建築家の大塚聡さんと熱演。今年も例年通り、卒業式前日の夜に大塚さんと西荻窪でリハーサルをおこなう(果たして学生はこの苦労が分かっているのか?(別にそこまでしなくていいんだけど、やってしまうのだなぁ。うむ。まあ、しょうがない。)と、例年通り思いながら)、というおまけつき(兎にも角にも大塚先生、ありがとうございました)。昨年も同じことを書いたが、歳を追うごとに中々このプログラムも体力的にきつくなってきている。今年は若干個人的な怪我もあったので、まさに満身創痍(ってちょっと言い過ぎ(笑))でのパフォーマンスと相成りました。
 さて、大学では年度毎に学生の作品集(『Mu』という冊子です)を制作している。その中で教員も毎年1年の総括をすることになっている。自分の担当している授業を総括するのが普通な訳ですが、僕は毎年、場違いに随想を勝手に書かせていただく。例年恒例という訳で、全文を以下に掲載します。卒業生のみなさんは懐かしさとともに、どうぞ。
(TM)

2016年度 回顧・雑感 
1500字以上、SNS世代の学生は誰も読まんだろうなぁと、プチ考えながら-

 2016年度を振り返ってということだが、この文章を31(2017)に書いている。丁度、さっきまで、卒業間近の研究室のゼミ生(11期生)と次の代を担う時期ゼミ生(12期生)の引継会(飲み会)が開催されたばっかりで、2016年度を振り返ると、やっぱり「アメリカ大統領かなぁ。」という話を学生に振ってみた。学生の意見もさまざまだが(まあ残念ながら、そもそも関心すらない、という意見もあるのだが。。。)、「え~、トランプ、中々面白くって、いいんじゃないっすかぁ。。」という風な意見も聞かれる。まあ、意見は多様であるべきだとは思う。
 それで思い出したのが、海外で最も有名な日本人の俳優と言われている、マシ・オカ氏(海外で「知ってる日本人俳優は?」といえば、確実にベスト3に入るといわれている程超有名な人らしい。僕は、不勉強ながら最近知りました。)が日本とアメリカのコメディ(お笑い)に関して比較をして、「アメリカでは絶対(叩き)ツッコミはない」とコメントをしていた記事に、「おお、そうなのねぇ。」とかすかな驚きを感じてしまった。理由のひとつとして、「日本ではツッコミが笑いの合図になってみな同じタイミングで笑うが、アメリカの劇場では、何が面白いかは人それぞれによって違うから、それぞれ自由に自分のタイミングで笑う。」ということだった。そこが、オーディエンス(客体)の多様性ということにつながり、そしてそれが、個々の個性というものにつながるのだと思う。(ここで現アメリカ大統領の各政策はこの個性というものとまったく逆行しているということに辿り着くのだが、この話をし出すと長くなってしまうのでここでは割愛します。)   で、ここからが重要なのだと思うのだが、この個性がある、ということと、いい作品をつくる、ということがイコールか?と考えるといろいろと面白く、そして、このことは、おそらく設計演習やプロジェクトにおけるデザイン行為のアウトプットに通じる所があるのではないだろうか、と思ってしまう。
 例えば、僕の展開する「木でつくる」授業(プロジェクト)の課題は『行動の時代は終わり我々は年老いた/でも、人生のするかしないかの分かれ道で/するということを選ぶ/そんな時に座るイス』という(例年、そうなのだが)非常に抽象的で、はっきり言って良く分からない課題である。ただ今年度の課題の立ち位置のあり方は、はっきりと方向性を有しており(一言で言うと、『ロッキー』(もちろん映画の)ということになるのだが)、その課題への答えはおそらく、平易な(良く言えば分かりやすい)コンセプトやそれを簡潔に(よく言えばきれいに)具現化したデザイン(造形)、ということだけでは全く不充分で、課題以上に考えさせられる内容や余白をデザインの背景に含有することが求められている。そもそも「するということを選んだときに、座ってるのか??いや座ってる訳ねぇじゃないか!バーッカッ!!」というくらいの批判的な独自の視座も欲しいところである(実際、講評会ではゲスト審査員の写真家キッチン・ミノル氏がそのような旨を発言していた)。
 さて、そこに個性とは、ということが、ひとつの重要なテーマになってき得る。さて、個性を育むにはどうしたらいいのだろう?一つ面白い事例がある。非常に個性的なインディー映画監督デレク・ジャーマンが、作品を制作するときに課した、という3つのルールがあるのだと言っている。それは、「現場には時間前に到着しろ、照明は自分で持て、ただ働きを覚悟しろ」、というものである。お~、これはあまりに新鮮だ!何故なら、あまりに没個性的なルールだから。だと思いませんか?実はそんな真摯な行為がベースにあることによって、はじめて強烈な個性につながっていくのかもしれない。学生諸君もさまざまなところに頭を巡らせて考えて欲しい。

『このクソッタレの世の中の、
 するかしないかの分かれ道で、
 するということを選べ!
  Bang Zoom Crazy… Hello !!』

2017/03/20

「オトナリノベーション」掲載

 扶桑社が発行している雑誌「relife+(リライフプラス)」の特別編集版で、「オトナリノベーション」というタイトルのムック本にて、『松風台の家』が掲載されました。
 書店などでみかけましたらご覧ください。(TM)

2017/03/13

ラ・ラ・ランドの片隅で

  巷では、カデミー賞受賞作品も続々と公開されつつある。話題の『ラ・ラ・ランド』も上映されていて、かなり盛況な模様である、からという訳ではないが、やはり観たいと思うので映画館に赴く。
 うむ、確かに大作だとは思った。さまざまなメディアで取り上げられているが、オープニングのシーンは圧巻だとは思う。後、宣伝で見られるような多幸感が溢れる作品では決してない。ここを期待していくとかなり空振りに終わってしまう。でも、そこが悪いわけではない。最後数十秒のワンシーンは切なさすぎるが、名シーンだと思うし。。。
 でも、何か腑に落ちない、感覚がある。これは、あまりいい意味でない、腑に落ちない感だ。これは何なんだろうと、考えてしまうのだが、一言でザックリと言うと奥深さが何となく足りない、というか欠如しているのだ(ってザックリし過ぎだが)。まあ、こういう風に観た後に悩ましい映画は確かに名作なのかもしれないなぁ。でも、好き嫌いでいうとちょっと残念な方になってしまう。あくまで個人的な感想だ。
 さて、『ラ・ラ・ランド』の主演、ライアン・ゴズリングだが、ちょうど同時期にラッセル・クロウとW主演の映画が『ラ・ラ・ランド』の文字通り「片隅で」上映されている。タイトルは『ナイス・ガイズ!』。はっきり言って、B級のバディ・ムービー(若干ノワール系)。決して大作ではない。が、これが素晴らしい!!(これまた、オープニングは秀逸!そして音楽が最高!)、のである。最近の名作系の映画は何となく重たいのが多くて若干辟易気味だったので、このポップさは懐かしさとともに新鮮で、圧倒的に、好きなのである。これもまた、あくまで個人的な感想だ。
作品の良し悪しと好き嫌いの相関関係は、微妙で、面白い。そんなことを感じてしまう。メインストリームの片隅に、魅力的で面白いことが転がっているのです。(TM)

2017/03/03

「アーチの森2016」掲載

  武蔵野大学水谷研で設計、施工をした、仮設木造建築作品、『1.Outside-アーチの森2016-』が雑誌「建築と社会」20172月号に掲載されました。

  学生にとってもこういう風にメディアに掲載されると、励みになってモチベーションもあがっていく。
 今後の活動も乞うご期待。(TM)

2017/03/02

Lab.引継会@吉祥寺


 年度末ということもありさまざまな事柄がまとめに入っている。
 4年生は卒業間近になってきた。
 来年度水谷研に配属のメンバーを交え、11期生、12期生の引継会を吉祥寺にて開催。1学年しか違わないので、さすがに知らない顔はいないと思うが、じっくり話したことない学生同士の関係もあり、我ながら本当にいい機会だと思う。
年度末のまとめの一環だが、大学では年度毎に学生の作品集(『Mu』というタイトルの小冊子です)を制作しており、そこに掲載するための文章も現在進行形でバリバリと執筆中。その中で、今年度は巻頭あいさつのテキストを書くことになった。ちょっとフライング気味ですが、2016年度を振り返るということで、全文を以下に掲載させていただきます。
 さて、いよいよ来年度へ向けて始動しだす。

2016年度『Mu 』はじめに
 2016年度(今年度)を振り返ると、やはり、アメリカの大統領が交代したことが最も大きなニュースと言ってもいいかもしれません。この文章を書いている今も、現在進行形で新しいアメリカ大統領に関するさまざまなニュースが流れており(残念ながら、それらのほとんどが、あまり良いとは言えないものではありますが。。。)、世界の状況はなかなか油断ができなくなってきているように感じます。そういう訳で、昨今はどうしても新しい大統領に目を奪われがちですが、今年度ということになると、ひとつ大きな出来事がありました。それは、2016年の527日に前大統領であるバラク・オバマ大統領が広島を訪問した、ということです。
 その時の演説(オバマ前米大統領 広島演説)は、序盤「なぜ私たちはこの場所に、広島に来るのでしょうか?」という言葉で始まります。この言葉に『場所(性)』ということが非常に強く読み取れると僕は感じます。舞台の中心になった広島平和記念公園、及び広島平和記念資料館は建築家の丹下健三が全体の計画をおこなったという経緯があります。広島という場所性に建築的な手法で更なる場所性を付加することにより、この空間にいる人々が重層的に広島の場所としての空気を享受することができているのではないかと思います。建築のもつ力(そしてその影響)というものを実感として感じることのできる、素晴らしい実例だと思います。
 そしてオバマ前大統領は演説の最終盤で私たちが広島に来る理由を語ります。「この場所において世界は永久に変わってしまいましたが、今日この街の子供たちは平和に一日を過ごすはずです。何と貴いことでしょう。それは護るに値する、そしてすべての子供たちに届けてゆくに値するものです。それこそが私たちが選びうる未来なのです。」、と。
 さて、この冊子『Mu』も本号でNo.13となり、創刊から13年が経過したことになります(正確にいうと創刊準備号のNo.0がありましたので14年ということになりますが)。この歳月は、広島からの71年という年月と比較するとちっぽけなものかもしれませんが、時間の蓄積の大きさをある程度充分に感じさせるものだと感じます。その蓄積があって、この冊子に掲載されているような作品群が今年度もつくり上げることができた、という思いを禁じえません。さて、次の2017年度はどんな学生たちの活動が展開するでしょうか?
 オバマ広島演説は最後にこのメッセージで終わります。「その未来にあって、広島と長崎は、核戦争の幕開けの場としてではなく、私たちの道義心が目覚めた場として知られることになるのです。」
 やはり最後も場所性ということを強く意識させられると感じます。さて、僕たちの場所性はどうでしょうか?武蔵野、有明の各々の場所で培ってきたものはここで学んだ学生のみなさんが護るべきモノとして多かれ少なかれ育んでくれることを期待しています。そして、建築をベースに、何らかのスピリッツが目覚めることを、自分も含め、心がけていきたいと思います。いつしか、ささやかながら、ということでもいいと思いますが、建築をデザインする行為が道義的想像力に繋がることを目指して。
(※文中のオバマ前米大統領による広島演説に関しては、雑誌『SWITCH20167月号に掲載の、翻訳家の柴田元幸氏によるテキストより適宜抜粋をしました。)
(TM)

2017/03/01

小さな景と大きな景

 所用で京都、神戸へ赴く。
 京都では大徳寺の塔頭、瑞峯院へ。重森三玲の設計した3つの小さな庭園が特徴的。一部、創建当時からは改築されてしまったものがあるが、限定された空間で厳密にデザインされた小さな世界観は心地よい。
 一方、神戸では垂水方面にある五色塚古墳へ。瀬戸内海を臨み、非常に雄大な世界観が感じられる。歴史の奥深さもあるが、この大らかな空間を体感すると、本当に時間という概念を想起させられる。
 内部に紡ぐ小さな景の世界感と、あくまでも大きな開放感あふれる大きな景の世界感。この対極を感じることも乙なものである。日本の奥深さを感じる関西の日々。(TM)