2016/05/26

外壁改装作品コンテスト

 ㈳建築改装協会が主催する「第六回外壁改装作品コンテスト」において「アーツ前橋」が入賞に選定されました。
http://www.kaiso.info/contest/exterior/index.html
 メルパルク東京において表彰式。例年、デザイン的な評価というよりは、応募企業の技術面の評価をされ、建設企業が受賞する例が多いようですが、審査講評ではアーツ前橋のデザイン性を評価いただき入賞の評価を頂きました。ありがとうございました。表彰式会場近くから見える東京タワーがきれいだ。(TM)

2016/05/22

幸せな宴@日比谷公園

 スタッフのharuの結婚披露宴に招待を受け、日比谷公園の会場へ。
 とても天気のいい中、ガーデン披露宴の形式で素敵なパーティだった。僕個人的には人前結婚式というかたちの式に初めて列席させて頂いたので、非常に新鮮な体験だった。
 最近の若い世代の人たちは結婚式をあげない傾向にあり、しかも、招待を受けるということも本当に稀になってしまったので、貴重な時間を過ごさせていただく。
 個人的には乾杯の発声という大役に預かり、「あまり長い時間喋ると、皆立っているから、迷惑だろうな。。。(内心ドキドキ)」と思いながら、はなむけの言葉をお贈りする。
 新郎新婦のコンセプトで、「言葉を大切にした」式という趣向。書道家の方のパフォーマンスあり、友人によるアコースティックライブパフォーマンスあり、と非常に楽しい式でした。
 最後のご両親への花束贈呈の時にニール・ヤングがかかり、グッとくるものがあった。さすがharu。「言葉を大切にした」式でニール・ヤング。
 おめでとうございます。(TM)

2016/05/15

黒田清輝展@上野

 ずっと観よう、観ようと思っていたが、やっと会期最終日に『生誕150年黒田清輝 日本近代絵画の巨匠』展を観覧に上野の国立博物館に。ある程度予想はしていたが、ものすごい人出で、やはり作品を観るというよりは、人を観ているという感じ(しかも小さな子供を2人連れていたので、じっくりと観ている余裕はない)。
 しかし、ある程度しっかりと絵画群を観ることができた。今回の展覧会の目玉は何といっても『智・感・情』の3組の絵画。これが会場の最後に展示されているという展示構成をとっていて、そこが圧巻だ。
 日本近代絵画の祖であり、日本における洋画を誕生させたとされる黒田清輝だが、代表作の『湖畔』や『読書』のような、いわゆる日本における洋画然としたスケッチから完成へと構築しているようなテイストと、『智・感・情』は全く違うものである。これが、黒田清輝の神髄といっても過言ではないだろう(美術評論界の話は詳しくないので、間違った見解かもですが。。)。しかしこの作品はパリ万博で一部のコアな層から評価されたが、国内ではまったく理解されず、師匠のラファエル・コランからもいい評を受けずに、自身でお蔵入りさせることになる、という経緯が興味深い。しかもこの後、黒田清輝は政界にも身を置くようになるため、新しい絵画の地平を開くという活動は(結果的に)影を潜めることになる。
 ここに、作品の本当のクオリティと評価の関係というものの妙があり、時代の悲哀というものを感じる。
 でも、実際の絵を眼前で観ることにより、西洋の模倣とみなされがちな日本における洋画の中に、真のオリジナリティをうみ出した作品も(しかもそれもたった一つ)ある、という事実に感動を禁じ得ないのである。現在ある評価というものも絶えず疑ってかかる柔軟性と審美眼が大切なんだよなぁ、と改めて思う、まさに上野の日曜美術館でありました。(TM)

2016/05/05

場所の位相@西武球場

  シーズン中は僕の生活のかなりの時間を注ぎ込むことになる野球観戦(しかもパリーグ)。シーズンが始まり1月以上が経つが、遅ればせながら西武球場西武球場(このブログで何度も書いていてしつこいようですが、設計は建築家の池原義郎)に我がバファローズ戦を観戦。
開幕当初はあまりにダメダメだったチーム状態も何とか3位圏内の争いには食らいついていけるくらいに挽回してきた。この試合もバファローズ近藤一樹の粘り強い投球もあり、何とか勝利する。西武球場に観に行って初めて勝ったんじゃないかな。いや、満足ですよ。
  実は試合が終わるまで知らなかったのだが、この日は特別に試合終了後に球場のフィールド内に下りて行けるというサービスデー。と、いう訳で初めて西武球場の地面に降り立つ。いやはや感動。さっきまで試合をしていた場所を、直に手を触れることができるのは、とてもいい意味で奇妙な感覚だ。
  不思議なことに観客席にいた時には非常に大きいと感じていた空間が、フィールドに降り立つと意外とヒューマンスケールな感じがして、これは何なんだろう?という感覚になる。こういった、いる場所によって空間体感のあり方がまったく違うことになってしまうというのは建築の醍醐味だよなぁ、と改めて感じる。フィールドに降り立った人たちが、みんな幸せそうなのが、また感動的な情景でありました。(TM)

2016/05/03

共にいることと個々の相関

  茨城方面で、とある会にお誘いをうけたので、ついでとばかりに水戸まででかける。会が夕方からなので、それまでの時間を県立美術館と水戸芸で開催中の展覧会をはしごして過ごすことにする。
  その中でも、水戸芸の『田中功起 共にいることの可能性、その試み』展は、非常にある意味現代的な展示内容だった。本当にザックリとだが、展示の内容は作品化を前提として参加者を募り、数日間の共同生活を送りながらワークショップを開催し、その記録映像をインスタレーションとして展示する、というものである。
  なので、作品に参加していない鑑賞者は、映像による、このある意味抽象的なプロセス自体を、自分なりに分析することが要求される(と、僕は思った)。この長大なプロセスの記録をみせるということは、結果のみを称揚することへの抵抗が作家のメインテーマな訳だが、鑑賞者には作品の多義的な意味に対する理解力と、ある意味(鑑賞時間を含めた)忍耐力と心の余裕が求められるなぁ、と感じながら、イマイチ乗り切れない自分を、心の余裕がないのだろうなぁ、と自己反省してしまった。
  来場者はほとんどが若い世代の人たちで(この難しいコンテンツにもかかわらず)盛況であり、その人たちが真剣に個々の映像をヘッドフォン装着しながら鑑賞している様子は、SNS世代の様子の一端を非常にリアルに感じることができたのでは、と思った。時代は変わりつつあるなぁと、思った一瞬でした。本当に興味深い。(TM)