2021/10/27

25年ぶりの

 我がバッファローズが、ついにリーグ優勝。ただ、ロッテが負けて優勝が決まる、という他力本願の結果だったため、嬉しさも若干控えめというところか。でも、めでたい!

仲の良い、知人友人から、お祝いのメイルをいただく。ありがとうございます!!別に球団関係者ではないのでお祝いを受ける義理もないのだが(笑)、圧倒的にファンが少ない球団なので(!)、こういう時はファン冥利に尽きる。

それにしても25年ぶり。25年前はまだ学生だったので、時の重みを感じる。またこの後、25年くらい優勝から遠ざかるということになると、、、と、考えるのはよそう。さて、いざ日本シリーズへ向けて、楽しみである。セリーグはどの球団が出てきても、「巨人:球界盟主との対戦」、「阪神:ザ・関西対決!」、「ヤクルト:26年前の日本シリーズリベンジ!!」、という感じで面白い対戦になる。まだまだ、今年の野球の幕は降りていないのであります。(TM)

2021/10/26

トーキング・ヘッズのいえ

 先週の話になってしまったが、武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4)の第1課題の講評会を開催。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の家シリーズの課題を提示する。もうこれも16年目(!)に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。

 今年度は「アメリカン・ユートピア」が今年日本でも上映された、ということで、「トーキング・ヘッズ」を投下。例年の出題対象のバンドとは若干異なり、超メジャー・バンドではない(トーキング・ヘッズのコアなファンの方にはこの表現ですみません)、というところが特徴か。当たり前のように学生世代の人たちにとっては、全く未知の存在のようで(ちなみに「アメリカン・ユートピア」の映画を観た、という学生は一人もいなかった)、まずは知るということから始まるのである。約3週間の短いスパンだが、履修者6名が課題に取り組み、66様のそれぞれ面白い提案が完成した。

 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。さまざまな技術や技能がどんどん展開していくこの世の中なのだが、最後は手描きのスケッチや絵が、まあまあパワーを持つということを今年も感じさせられて(もちろん、これは良いと思っている訳だけど)こういうのも大切だよね、と、完全に自己満足(及び、自己弁護(!))しながら講評も無事に終了。後、やはり建築自体がもつ力強さ大切さも改めて考えさせられた。

 さて、課題全文を下記に流します。学生諸君には第2課題も健闘を期待します。(TM)


■課題:「Talking Heads のいえ」 (指導担当教員:水谷俊博)

「スーパースターの家」シリーズの第16弾の課題は、ロック史上において、アメリカ(ニューヨーク)のインテリ派ロック・バンドの代表である、トーキング・ヘッズ。現在進行形で映画『アメリカン・ユートピア』が日本公開されており、トーキング・ヘッズが鳴り響いている。

トーキング・ヘッズは1974年に結成。デヴィッド・バーン(Vo&G)、ティマ・ウェイマス(B)、クリス・フランツ(Ds)、ジェリー・ハリスン(Key&G)4人編成(が基本のメンバー)。デビュー当時は、音楽的にニューヨーク・パンク・バンドのカテゴリーでみなされていたが、その後、ポスト・パンクやニュー・ウェーブの位置づけにもあったり、アート系の出自もありと、単一の音楽範疇にカテゴライズしづらいバンドである。また、黒人音楽を大胆に採り入れて音楽イメージを展開させていった経緯もあり、その流れも音楽評論家からは賛否両論[1]があり、話題は多い。

デビューアルバム『サイコ・キラー’77』に始まり、プロデューサーのブライアン・イーノ[2]と組んだり、先述の黒人音楽音楽へアプローチしたり、多様な民族音楽の要素を組み合わせたり、と多岐な前衛性を押し出しながらも、ポップ性(商業性)を的確に表現しながら、独自の音楽性を展開していった点は唯一無二と言ってもいいだろう。91年にバンド解散後も、フロントマンのデヴィッド・バーンは精力的に音楽活動を続け、現在も一戦で活躍をしている。

また、最大の特徴は、映像とのリンクである。83年に5作目『スピーキング・イン・タンズ』をリリースし、そのツアーの様子を映画監督のジョナサン・デミにより、『ストップ・メイキング・センス』のタイトルで映画化。史上最高の、音楽ライブ映画の一つという評価も得ている。86年はバーンが監督した映画『トゥルー・ストーリーズ』を公開。そして2020年、映画監督のスパイク・リーが、デヴィッド・バーンのライブの様子を収めた『アメリカン・ユートピア』を制作。ローリング・ストーンズ誌が2020年度のベスト映画3位に選出するなど、全世界で高い評価を受ける等、その創作コンテンツは音楽の枠をはみ出し(著書、映像等)多岐にわたる。

もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターのたちのいえ』[3]というコンペの課題である。今年度は、その『スーパースター』という像をどうとらえられるかということを、ロック史上でも希有な存在であるバンド、トーキング・ヘッズの存在を冠して考えてもらいたい。   

課題へ取り組む糸口は、数多ある。トーキング・ヘッズ自体のイメージ[4]、ストップ・メイキング・センス等のアート的なパフォーマンス、デヴィッド・バーンの音への探求、バンド内バンドのトム・トム・クラブ[5]、或いは『アメリカン・ユーとピア』の演劇性、ロック史が激動する70年代~80年代(&~現在)という時代性、各々のメンバーや楽曲群、歌詞等など。

課題は、例年通りの前置になってしまうが、様々な社会性や文化性を持ったバンド(今もバーンは一応現役)、トーキング・ヘッズというバンドの住まいを設計することではない。音楽という世界を通して創造をしているトーキング・ヘッズの拠り所としての概念(→空間)はどのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな提案を期待している。


[1] 音楽評論家の渋谷陽一氏は、アルバム『リメイン・イン・ライト』に関して、「トーキング・ヘッズの黒人音楽へのアプローチは批判性に欠け、黒人音楽にないオリジナリティを感じられない、という点が、バンドの危うさを感じる。」と当時批判している。

[2] バンド、ロキシー・ミュージックの元メンバー。アンビエント・ミュージックを開拓した第一人者として評価をされ、音楽プロデューサーとしても、トーキング・ヘッズの他、デヴィッド・ボウイやU2、ディーボ、ウルトラボックス等多数のアーティストを手掛ける。

[3] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。

[4] 余談だが、村上春樹著の小説『ダンス・ダンス・ダンス』の作中で、トーキング・ヘッズのTシャツを着た少女が登場する場面があり、「『トーキング・ヘッズ』と僕は思った。悪くないバンド名だった。ケラワックの小説の一節みたいな名前だ。」というくだりがある。

[5] 81年以降、バンド内バンド「トムトムクラブ」が結成され、アルバムもリリース。トーキング・ヘッズ解散後も断続的に活動を継続。

2021/10/20

秋深まり

 秋は、「芸術の秋」とはよく言ったもので、いろいろなアート展やアートイベントが開催されるので、その準備が佳境に入ってきた。研究室・ゼミやプロジェクト等で、いくつかの場面に出展予定なので(今の所、善福寺、荻窪、立川、学内と立て続けに年末までにかけて出番がやってくる)、その準備がバタバタと続いている。

 その一つとして、学内のオープンキャンパスに合せて、文学部と協働で展示企画をおこなうのだが、文学部の土屋先生がケーブルテレビに働きかけていただいたおかげで、取材が入る。今日は、制作途中の撮影ということで、建築デザイン学科の学生の出番が多い。普段と違って、カメラが入った中での演習授業ということで、妙な空気感が出てきて面白い。何人かは個別の撮影で取材を受けていたので、張り切っていた。まあ、どれだけ実際の放送では使用されるか分からないが。また、出展のタイミングになったら、このブログでもアナウンスいたします。

 さて、秋も深まり、野球も最終盤に。西武ライオンズの松坂が引退。一つの時代が終わる。個人的に一番印象に残っているのは、夏の甲子園決勝のノーヒット・ノーラン。確か、日曜だったと記憶している。組織設計事務所時代に福島の博物館の実施設計が佳境に入っていて、ヘロヘロになりながら猛暑の中、日曜出勤をしていた。ほとんど誰もいないオフィスで図面確認をしていた時に、出社していた設備設計の先輩が、「ノーヒット・ノーランだってよ。」といいながら打合せスペースに入ってきて、そのニュースを知った(ので、映像はライブで観ていない)のである。関西出身なので、横浜は応援しない訳だが、「やれやれ、俺も頑張らなアカンなぁ。」と肝に銘じたのを憶えている。

時は流れる。急に寒くなってきましたが、元気にいきましょう。(TM)

2021/10/17

読み終えられない本の物語

 10月も半分が終わり、選挙まで2週間ほどになってきた。プロ野球も残り10試合を切り出し、いよいよ大詰め。我がバッファローズは、首位をあらそっているが(本当に何年ぶりのことだろうか!)、ついにロッテにマジックが点灯。まあ、過度な期待はおさえて、後は祈るばかりである。

 急に空気が冷たくなってきて、丁度季節の変わり目なので、衣替えや、どんな服を着るかを、毎朝悩んでしまう。今年の夏は比較的に暑さが厳しくなく、熱帯のような暑い日はそれ程なかったような気がするが、実際はどうだったのだろうか。季節はめぐっている。

さて、話をむりやりつなげている訳だが、「熱帯」である。ずっと、推理小説ばかり読んでいる訳にもいかないので、積読状態の本の山の中から取り出したのが、森見登美彦著の『熱帯』(最近出た文庫版)である。まだ、読み始めたばかりだが、まったく個人的な感覚で、これは、面白い、と思う。森見作品は小説に関しては全て読んできているのだが、最高傑作ではないだろうか。まあ、最後まで読んでみないと何とも言えませんが。

この小説も、小説内小説を軸に話が進む入れ子状態になっていて、面白くないはずがない。何となく、ディック・ミネのアンソロジー・アルバムを流しながら、読み進めていくと、これがまた非常に良い感じなのである。昭和ジャズと、どうしても「読み終えられない本」の物語と、秋の夜長。(TM)

2021/10/12

意外と知らない

 暑さもなくなり、一気に秋の気配になってきた。ここ近年は、秋の期間が短くなってきていて、すぐ冬になっているような気がする。気のせいなのかな?

という訳で、日が暮れるのも早くなってくるので、秋の夜長をどう過ごすか?、である。定番は読書ということになるが、個人的には推理小説に目が無いので、手が離せない。積読状態になっているものを、読んでいく。そして、最近アレックス・パヴェージ著の「第八の探偵」を読了。まず、作中作が7編あり、小説が入子状態になっている構成が興味深い。そして各編の間に二人の登場人物(基本的にリアルな登場人物はこの二人だけ)の、推理小説の論考が取り交わされる、というのが、数学の博士号をもつ作者の面目躍如というところか。文庫本の巻末に、このような入子状ミステリー小説の紹介がされており、たくさんの系譜があることが分かり、知らなかったなぁ、と感じ入る。推理小説はたくさん読んでる気がしてたのだが、新たな発見は常にある。

 さて、ベランダのオクラがものすごく立派に育ってきている。ちなみにオクラは日本だけでなく、世界で「オクラ:okura」と呼ばれていることを、不勉強ながら最近知った次第。

で、改めて、オクラがこんな風に実をつけるのって、、、知らなかった(イメージでは上下逆だったんだけど)。

意外と知らない、ことって多いな、と感じる今日この頃。(TM)

2021/10/06

“推し”の世界感

 若干季節外れの暑さが続いているが、新内閣が発足した。あまり前政権から変わり映えしない結果は、まあ予想通りという感じだが、逆にこれで、総選挙が楽しみになってきた。さて、誰(どこ)を推すのか、ということだが、、

ということで、最近、「推し」という言葉に触れることが多くなった。宇佐美りん著の小説の『推し、燃ゆ』(芥川賞受賞)がきっかけだろう。現在、武蔵野大学の文学部と協働でオープンキャンパスの企画を進めているが、その企画のタイトルが「推し本」(文学部らしく)ということだ(ちなみに、推し本の一覧を文学部の学生から見せてもらったが、『推し、燃ゆ』は入っていなかった)。

また、先日、プロジェクトの授業で、授業TA4年生と1年生向けの小課題を考えていたのだが、結局最後は「あなたの推しアイテム制作」という課題にすることに落ち着いた(また、この小課題もこのブログで触れるかもしれませんのでお楽しみを!)。世の中、「推し」という言葉があふれているみたいだ。

さて、そんな感じの中、積読状態だった、『推し、燃ゆ』(宇佐美りん著)に(ものすご~く遅ればせながらではあるが)手を伸ばし、読了。確かに、新しい文学の雰囲気を感じる。が、不思議な小説だ。若い筆者だが、小説としての構成や文章表現は、もう円熟といっていいような気がした(専門家でもないので、あくまで感覚で、だが)。ただ、正直にいうと、物足りなさも感じる。ある意味、非の打ちどころのない小説だと言ってもいい、と思うが、何かひっかかりがなくて、す~っと読めてしまう、というところが個人的には食い切れない所があるのである。あくまで、個人的な感想。でも、建築でも、こういう感覚あると思う。いや、難しい。

 ある学生に、「先生の‘推し’は何ですか?」と質問されたが、「ノーコメント」ということにして、是非、このブログから読み取って欲しい、と伝えた。さて、‘推し’もふまえて、元気にいきましょう。(TM)

2021/10/01

年度の折り返しで諸々

 10月に入り、年度も折り返し下半期に入る。そして、緊急事態宣言が明ける。と、同時に何故か、マスクをしないで歩いている人を街中によく見かけるようになった。若干、不安な気にさせるが、また感染者がリバウンドしそうで、まだ先行きは分からない。
 大学も対面授業が再開となり、対応をシフトチェンジする。既に何度もこの変更があるので、幾分慣れてきているような気がする。
 都民の日ということで子供たちは学校が休みなのだが、生憎の台風再来で雨が降り続く。ので、借りてきたビデオをずっと観ている。「呪術廻戦」というのが流行っているらしく、「鬼滅の刃」の次はこれがマイ・ブームになっている模様。横目でチラチラ見ながら、アニメのクオリティの高さには、相変わらず感嘆する。
 一旦はズルズルと負け出した、我がバッファローズが、奇跡の復活を果たし、首位に返り咲く。いよいよ、優勝へ向けて最後のデッドヒートへと流れ込む。
 朝顔が、最後の一咲き、という感じで咲き乱れている。
 さて、諸々のことが進んでいきます。下半期も元気にまいりましょう。(TM)