2017/02/22

音楽堂

 横浜の現場に立ち寄った後、少し時間ができたので、県立音楽堂(設計:前川國男)へ。こちらも今更恥ずかしながらではあるが、初訪問。丁度、公演が終わった後で、次の公演の準備に入る前というタイミングで、とても幸運なことに内を拝見することが可能だった。
 先日の今治に引き続き、モダニズム名建築の劇場を体感する。いや、素晴らしい。戦後間もない時期の建築ということもあり、現在には使いづらい箇所もあると思うが、愛情をもち使用されている感じに溢れている。空間の質感及び湿感が心地のいいもので、館の方からも音がいいと評判されている様子を聞かせいただく。劇場は数値的なもの(音響等)だけでなく、空間の在り様も非常に大切なのだと改めて実感する。
 この名建築も1年後くらいから改修に入るよう。いいかたちで継承されていくことを願うばかりである。(TM)

2017/02/19

怠け者どもの宴

「何で俺たちモテないんやろう?
モテない奴らに夕陽が染みた。。。」
 かれこれ約30年程むかし、京都で暮らすある者たちを表現するテキストである。
 彼らがモテない理由はおそらく百くらいある訳(ジェーン・スーさん的に)だが、一言で言うと、「怠け者だったから」ということである。

 「怠け者」と一言で言ってもいろいろな怠け者がいる訳だが、どのくらい怠け者だったかというと、何もせず怠けながら3週間くらいボーっと家にただ居ても平気、という類のモノである。時間の流れが京都ということもあり文字通り平安な訳である(まあ、平安時代を体感した訳ではないので、この表現は適切かどうかは分からないのであるが。。)。現在だといわゆる「引きこもり」と分類されてしまう可能性があるが、当時はそのような概念がなかったということもあり、ある意味健全ではあった訳だ。まあ、いい時代だったと言えばそれまでなのだが。
 さて、前置きが長くなったが、その怠け者軍団が一同に京都に集結することになった。
 かれこれ約30年程むかし、彼らにも青春の映画があった。メンバーのある者の下宿に集結し、何をすることもなくその映画を鑑賞し、そしてただただ阿保みたいに踊り呆けるという、アレである(って、その「アレってなによ?!」という感じなのは重々承知な訳であるが、それはひとまず置いておくことにする)。
 その映画の名は『ブルース・ブラザース』。
 先日、『スターウォーズ』のレイア姫で有名な女優キャリー・フィッシャーが亡くなった。実は、キャリー・フィッシャーがこの『ブルース・ブラザース』に重要な役どころで出演している。そこで、「キャリー・フィッシャーさんを追悼すべきである。この京都の片隅で。」企画がもちあがった次第である。そこで終結した面々。ぴぴ田、一ちゃん、ウエスタン、ザク、キノピタ、まいけるの6名の怠け者たち。現在は、各方面、各地で活躍する立派な大人になっている(筈である)。
 その者どもが、京都は元田中のとある場所で、映画『ブルース・ブラザース』をみながら、ささやかに、大女優を偲ぶ会を開催した。宴は・・・、もうこれ以上はここに記すことができない。だだ、怠け者の舞踏が、京都の空の下、故キャリー・フィッシャーに届いたことを祈念するばかりである。
 怠け者よ、永遠たれ。

(※この文章はフィクションであり、実在の人物・団体、添付の写真とは一先関係がありません。)        (TM)

2017/02/16

今治←大三島

 所用があり、愛媛の今治と瀬戸内の大三島(ここも実は今治市内)へ赴く。
 今治は何と言っても丹下建築。
 市中心街に、今治市庁舎・公会堂・市民会館の3つの建築が一体で存在している。丹下建築の中では大代表作という訳ではないが、初期の傑作の一つと言っていいだろう。改めてみてみると、最初期の広島平和会館(1952)と代々木体育館、東京カセドラル(1964)の丁度真ん中の時期(1958)の建築ということになる(※注:市民会館のみ65年の作品)。
 同一サイトに3つの建築が一群で存在する所が魅力と言えるだろう。丹下建築を語れる程知見がある訳ではないが、丹下建築にはコルビュジェ・イズムのモダニズムの手法と超越的なモニュメンタリズムの2つの(場合によっては相反するようにも見える)特徴がある、ように思う。
 そしてここ今治では、その特徴が一望できるというのがとても魅力的である。市役所が前者、公会堂が後者、市民会館は前者に自由度とバリエーションの展開形、という感じである。
 公会堂は5年前くらいに取壊しの検討もされたが、最終的には改修し存続したという経緯がある。新しく生まれ変わった劇場をみながら、残るか無くなるかの曲面を生き延びた哀愁が漂っているような妄想をしてしまう。
 今更ながら、建築は(も)はかない存在なのかもしれないな、と思う。ついでに、いい建築に触れることができる幸せも感じさせる、まちの真ん中、なのである。(TM)

2017/02/13

椅子の講評会2016(年度)

  例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、日付は前後してしまうが、今日はその講評会のお話を。今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びに。木工作家の渡邊浩幸さん、現代舞踏家の相原朋枝さん、写真家のキッチンミノルさんにお越し頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。
 今年度は履修者11名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、あまり要素をつめこみ過ぎて説明過多になった作品は、意外とつまなく感じてしまう(或いは、本当につまらない)ということである。
 昨年のこの会のコメントでも書いたような記憶があるが、作品が発する余白(のようなもの)というものの大切さを改めて感じさせられる。
 作品コンセプトと、実際にできた作品の姿がどちらも妥当性があり、さらにきちんとリンクしていることが大切なのだが、学生の説明を聞いていて、言うべきことを盛り込み過ぎて説明が冗長になってしまう(或いは、説明に終始してしまう)と、作品の持つ最も大切なポイントが横滑りしてしまい、何だか良く分からなくなってしまう(或いは、言うべきことが何もなくなってしまう)ということである。
 まあ、映画や小説でも、こっちに考えさせるものがあった方が傑作ということが多々ある。
 で、もう少し話を進めると、その作品の持つ余白(のようなもの)というものは、しっかりと作者がデザインの答えを持って初めて提示できる(逆に言うと、その答えを持ってないとダメということ)のである。要するに、自分のやりたい事にしっかり向き合って、それを情熱をもってバチッと作品の制作に落とし込んでいるか、ということである。そして、その際、プレゼンの出来不出来はそれ程重要ではなくなってしまうのである。ので、「作品に愛がない。。。それじゃ、ダメだよね~。」ということを総括で講評させてもらう。
 建築の設計も同様のことが言えるが、但し、建築に関してはしっかり説明ができないといけない、という側面もあり、なかなか難しい。。。いやはや。
 終わった後は、履修学生全員を交えて30名程で新宿で打ち上げ。1年の集大成ということで、学生は一様に充実感を漂わせてくれていて嬉しい。さて、次は2日後に卒業設計の審査会が控えている。年度の終わりが続いていくのです。はい。(TM)

2017/02/11

卒業設計審査会2016(年度)


 武蔵野大学の卒業設計公開審査会。
 1/17の学内審査を経て、今年度は9名が最終審査で発表をおこなう。個人的には今年度も司会の役を仰せつかったので(もう何年もやっているので、これでいいのかと若干不安)、なかなか大変な一日になった。
 1300にスタートし学生の発表に続き、公開審査会に突入。今年も審査員の先生方、10名という大所帯で開催(しかも、公開で!)するので、これがなかなか審査会の運営上の難易度を上げている。
 最初に投票をおこない議論に入る。9作品から7作品まで絞り込むことができたが、ここからはさまざまな評価軸と作品解釈が入り乱れる状態になり(って文章で書くと平坦な感じになるが、山あり谷ありで全体で6時間超えの審査会になる。結局、今年も同じような流れになってしまった。まあ、しょうがないですね。。)、作品をこれ以上絞り込むことができずに最終の決選投票へ舵を切る。ここ2年程同じような感じだが、今年も結果がまったく読めないというような状況。
 開票の結果、1位と2位は決まったが、3位と4位が同点となり、再度最終決戦投票。でも、また同点となり、審査委員長(学科長)決裁でやっとすべての順位が決定した。学生の皆さんはお疲れさまでした。
 水谷研からは、4名が審査会に臨み、ノリピーとツトムが5位、6位で次点(武蔵野大学は4位までが優秀賞なので)ということで涙をのんだが、オガチャンが3位、ミスズが堂々の最優秀という結果になった。重ねてになるが本当にお疲れさまでした。審査(ついでに司会も)する側もどっぷりと疲れました。
 終わった後、全体の懇親会をおこない、学生も(ついでに教員も)一応に「1年が終わった感」をにじませながら、学生の作品をツマにいろいろと話をする。
 個人的な感想としては、予選では個人的にイマイチ盛り上がらないなぁと思っていたが、最終の審査会はそこそこ面白かった。ゲスト審査員の方々が「武蔵野大の学生は、自分のやりたいことを卒業設計にしっかりと表現できているように見えるので、面白い。」というコメントをして頂いたので、うれしい限り。とび抜けた作品がなかったのは、個人的には少し残念だが、まあ、良かったのではないかと自分を納得させることとする。

学生たちには、卒業設計は卒業後も自身の語り草になるので大切にして欲しい、というようなことをメッセージとして伝えて、長い一日が終わる。
 作品展は有明キャンパスにて明日まで開催していますので、是非会場にお越しください。さて、いよいよ年度末も佳境に突入。(TM)

2017/02/09

既存樹木の椅子

 設計監修で携わっている、武蔵野クリーンセンターも4月の新施設オープンに向けて最終段階に入っている。設計監修の流れで、施設内の椅子の設計をおこなうことになった。
 敷地が限定されており、敷地内建て替えという施工プログラムを経るということもあり、敷地内のイチョウの樹を伐採しなければならなくなったという経緯があった。
 樹木自体は2年前くらいには伐採されており、乾燥期間等を経て、やっと完成の日の目を見ることとなった。施設全体の建築デザインが「武蔵野の雑木林」ということをコンセプトにし、ルーバーによるデザイン・モチーフでゆるやかにつながっているので、椅子のデザインにもこのコンセプトを(もちろん)展開させている。
4月から自由に施設を見学できますので、施設に来場し是非座ってみてください。(TM

2017/02/08

『Blond』をLPで聴きながら

 昨年リリースのフランク・オーシャンの『Blond』はネット配信しかされなく、アナログ人間の僕にとっては、本当に残念としか言いようがなかった。が、急遽、アナログ盤LP2枚組)が発売。CDはすっ飛ばしての発売なので、僕としてはここで買うしかなく、あわてて吉祥寺のレコード屋へ走りゲット。
 盤は何故か、黄色(タイトルと関係を持たせているのかなぁ?)。
 最近、ゲット(CDです)した、チャイルディシュ・ガンビーノとどうしても比較してしまうのだが、やはりフランク・オーシャンの方が圧倒的だ。前作に比べて内省的な雰囲気があり、個人的には非常に好きで夜な夜な聴いている感じ。
 そして、たまたま、おそらく息子(2歳)が、いたずらで棚から散らかした、スライ&ザ・ファミリーストーンの『暴動』(『There's a Riot Goin' On』)のアルバムが、帰宅したら床に転がっていたので聴いてみる。スライとフランク・オーシャンを比べてはいけないかもしれないが、改めて、本当に改めて、やはりスライは圧倒的だ。
 フランク・オーシャンのアルバムも錚々たるメンバーが参加(ビヨンセやケンドリック・ラマー、等)しているが、『暴動』のジャケットを見ると、ボビー・ウーマックやアイク・ターナー、ビリー・プレストン、がクレジットされており、ラリー・グラハム(ドレイクの叔父さん!)もまだメンバーに残っている。いや、改めて(そして、今更ですみません)凄いな。。。音楽の系譜は続いている。合掌。(TM

2017/02/07

屋根の上の景

 「黄金町のいえ」も完成が近づいている。
 丁度、屋根スラブの型枠もばれる時期となり、後は内装工事へと進んでいくばかり。
 敷地が線路脇にあるため、建築(屋根)と線路(電車)の関係が面白い。
 写真はスタッフのharuが躯体確認のために屋根の上に乗っているところ。
 
 足場がばれると、こういう風なアクテビティはできなくなってしまうが、設計コンセプトを表しているなぁ、と感じパシャリ。
 内部もいい感じです。竣工までもうしばらくおまちください。(TM