2017/08/04

イデアとメタファーと


 村上春樹の新作長編、『騎士団長殺し』を読む。それほど自分としては前面に押し出している訳ではないが、村上春樹ファンを自負している身としては、新作の発表(しかも長編)は興奮以外の何物でもない。一気に読んでしまいたいところをグッと押さえつつ、極力じっくりと読む。『騎士団長殺し』、個人的にはなかなか良いと思う。いつも感じるが、作品のストラクチャーがしっかりとしていて、更にディテールの構成の妙(ズレのようなもの)が、村上春樹の世界の最大の魅力だと思う。本作は、それが非常に分かりやすい。後、一応今の所、2部(2巻)構成になっているが、3部(以降)があっても全然不思議でない感じも満々である。
 さて、村上春樹の作品となると、話中にさまざまな音楽が挿し込まれるのも楽しみの一つだが(今回は、もちろんモーツアルトの『ドン・ジョバンニ』とシュトラウス(リヒャルトの方)の『薔薇の騎士』が大きな位置を占めている)、物語の終盤で、主人公がブルース・スプリングスティーンのアルバム『リバー』を聴くシーンが個人的には非常に心に残る。思わず読みながら、棚からCDを出してきて聴いてしまった。そして、読み進めていくと、「CDでなくアナログLPで聴くべし」という内容が書かれていたので、少し申し訳ない気分になる。LPで持っている中で一番時代的に近そうなのが、『Born To Run(明日なき暴走)』なので、それを聴くことにする(まあ、音楽的にはちょっと(というか大分)違うものだけど、ブルース・ブルーススプリングスティーンのスピリッツは感じることができる)。こういう感じが至福の時だ。最近、軟弱にも、カルヴィン・ハリスの新譜なぞを聴いていたが、反省するばかりである。
 文中、内容が少し曖昧だが(アルバム『リバー』を聴くときのくだりである、念のため。)、「A面最後の『インディペンス・デイ』を聴き終わり、レコードを裏返して、B面一発目の『ハングリー・ハート』を聴く一連の行為は、そうあるべきで、それ以外のことは考えられない」というような文章があり、深くうなづく。
あまりに、その通りやで、と納得するしかない。本を広げながら、やや呆然と「ドライブ・オール・ナイト」(『リバー』より)を聴く。合掌。(TM)

2017/07/31

卒業設計作品集

 雑誌『近代建築』の別冊で、昨年度の卒業設計作品特集号が発行され送られてくる。毎年恒例で刊行されており、全国の各大学の卒業設計作品が掲載(大学の推薦による)されている。
 武蔵野大学では最優秀作品を掲載する流れになっており、昨年度は水谷研11期生のミスズが見事最優秀、という訳で掲載されている。頁内に推薦者の言葉として、推薦文を寄稿している次第。関係者以外は(多分)読まないと思うので、以下に流します。と、言っているうちに今年度の前期は終わりかけてきているのである。時間の経過は本当に早い。(TM)

■推薦の言葉
“いつか死ぬ。いつか絶対死ぬ。死んだ後も名を残すなんて。欲のかきすぎだ。”は、ロック・バンド、真心ブラザースの代表作『人間はもう終わりだ』のサビの有名な一節だ。高橋美鈴さんのこの作品をみて、真心のこの曲をどうしても連想してしまった。敷地は近傍に広大に広がる住宅地を両サイドに睨みながら、小高くそびえるふたつの連なる丘陵地を選定している。この2つの丘を結ぶかたちで、森の中、道なき道をつくるように葬祭場を設計する提案である。設計の手法としては、大きさ6004,000mmのさまざまな大きさの立方体のヴォリューム(実はこのオブジェクトが墓標となっている)が散策道のように緩やかに蛇行しながら、ランダムに連続するというシンプルな設計手法で構成されている。全国の卒業設計で評価されがちな、キャッチーなコンセプト&ルックが目を引く表現の類の作品(それはそれで良いとは思うのだけど、、、)ではない。学内の審査会でも、立体ヴォリュームのスケール感や長大な地下空間の必要性等に関して議論が噴出(「大き過ぎる」、「要らない」、等)したが、「住宅地という『生』を背景として、人間に必ず訪れる時間(『死』)を絶えず(そして静かに)訴えかける場所はとても大切だ。」という本人自身の思いが力強く表現されているところが最終的に評価された。近年見られる、優等生的な“社会的正義をバックにした解決策型”の案にはめ込めずに、自分の目指すべき姿を実直に追及することの美しさが心を打つ作品だ。まさに「死んだ後も名を残すなんて、欲のかきすぎだ」、と訴えているかのように。合掌。
(水谷俊博/武蔵野大学)

2017/07/26

卒業研究発表会2017

武蔵野大学4年生の卒業研究の発表会。4年生にとっては前期の集大成となる。50名弱の全ての学生の発表会なので、かなりの長丁場になる。
 今年は朝9時スタートで、終了したのは夕刻前。そこから審査、及び再提出者の発表までかかる。学生諸君はお疲れさまでした。学生も大変だが、こっちもかなりクタクタになる。
 水谷研究室は総勢9名。再提出の試練が待ち受けている。頑張って最後まで頑張りましょう。それにしても、年々、学生の日本語力(文章を書く力)が低下しているような気がして、その点をチェックすることにかなりのエネルギーを費やしている事実を痛感する。世間は「グローバル化」を声高に提唱している訳だが、「その前にすべきことあるんちゃうの。。」、というのが正直なところ。学生へのアドバイスとしては、「なんでもいいから長編小説を読みなさい!」ということなのであるが、夏休みの宿題に読書感想文を課そうかなぁ(笑)、と半笑いでありながら、半分マジに考えてみるのでありました。
 吉祥寺の居酒屋で打ち上げ。
 ある意味、学生生活最後の学術論文の制作もこれで一段落。今後の糧にして欲しい。さて、後期の卒業設計&論文への展開が楽しみだ。(TM)

2017/07/22

トリノへ思いを馳せながら

 だいぶ以前にイタリアのトリノに関して文章を書く機会があり(世界各国の都市を紹介する書籍の企画で、その中のほんの一部分の項目を執筆させていただいた)、その企画が立ち消えそうになっていた模様だが、また再び動き出しそうだ、という案内(一報)があった。実はトリノは学生時代に一時期暮らしていた、ということで自分にとっては本当に思い入れのある都市である。
イタリアは日本人にとっては観光地として圧倒的に人気があるスポットな訳だが、なぜか、トリノに行く日本人はほぼ皆無で、おそらく日本人にとってはイタリアの都市の中では印象がとても薄い(冬季オリンピックがあったのと、フィアットのお膝元、そしてユベントスの本拠地、というイメージくらいかなぁ)都市な訳である。が、実は、イタリアではローマに次ぐバロック都市で、そういう訳でとても素晴らしく圧倒的に美しい都市だということはあまり認知されていない。はっきり言って、ミラノなんかつまらない大都市で、電車で1時間くらい離れたトリノの方が文化的にも芳醇な都市だと思えてしまう。
 後、デ・キリコの絵はトリノの都市像がベースだということも知る人ぞ知る事実である。その都市紹介の本では、トリノの都市としての起源から、そのデ・キリコくらいまでの時代背景と都市の変遷プロセスを紹介しながら、トリノの不思議な魅力に関して考察しているので、今後うまく企画が進めば改めてこのブログでも紹介します。
 さて、トリノに学生時代、一時期暮らしていた訳だが、日本に帰国する際に、現地で交流のできた学生達(トリノ工科大学の)からお土産としてTシャツをプレゼントしてもらった。イタリアの偉大な俳優、トト(アントニオ・デ・クルティス)をモチーフにしたデザインのもので、想い出の品、ということで大切に着続けていた。かれこれ25年!さすがに、かなりヨレヨレになってしまい、さすがにもう着れないかなぁ、という感じになってしまったので、断腸の思いで処分することに。丁度、トリノに関して執筆した企画の動きと重なったために、感じ入ってしまう。
 実は、そのトリノに行って(暮らして)以来、イタリアの地に足を下ろしていない(当時はいつでも行けると思っていたのに!)。
 いやはや。そろそろイタリア、そしてトリノに猛烈に行きたくなってきた。そう、25年ぶりに。時はあまりに早く流れる。(TM)

2017/07/08

環は閉じているか?

 子供たちの夏の納涼会があり、景品で発光ブレスレットのおもちゃを持って帰ってきた。子供たちが眠りについた後、何気なくそれをイジっていると、分解して連結できることが分かり大きな輪にしてみた。意外に幻想的に綺麗で、若干ウットリする。大きな輪が閉じている感じがいい。
 それにしても、非常に抽象的な話だが、若いころは輪が閉じていると「いい!」と思っていたような気がするが、年月を経てみると輪(環?かな??)は閉じてない方が、何となく心地よくなってきた。漠然と。。。
というような気持で、明日は都議会選挙。この盛り上がらない気分は何なんだ!と思いながら。やはり環は閉じてない方がいいような。。。と、オチも何もない話ですみません。はい。(TM)

2017/07/02

太田市美術館図書館

 先日の武蔵野クリーンセンターに引き続き、布野修司先生にお誘いを受けて(本ブログ2017/6/16を参照ください)、太田市美術館・図書館の見学会に参加する(ちなみに雑誌『新建築』の同じ号(20175月号)に武蔵野クリーンセンターも掲載されているので、勝手ながら縁を感じているのであります)。週末ということもあり、無理を言って、子供(家族)連れで参加という運びに。
 設計者の平田晃久さんは大学の同級生で、大学を卒業して以来の対面。スタッフの方を含め、施設内を丁寧に案内していただく。本当に、ありがとうございました。
 雑誌で見ていたよりも施設の様子は圧倒的によくて、図書館の空間が文字通り螺旋をえがくように連続していくなかで、さまざまな居場所や抜けが生まれていて、施設全体が丘の中にいるような感覚を生じさせているように思えた。子供たちも走り回っていて、純粋に楽しめる空間なんだ、と改めて実感する。参加者のみなさんとも交流ができ充実した見学会。前橋と同様、太田もおそらく市街地の衰退の雰囲気が感じられ、地方都市の再生ということに対して、建築がどのような役割を果たせるか、というテーマを改めて考えさせられた。(TM)

2017/06/24

水の三部作展

移動の途中にポッと時間の空白ができる。場所は、銀座。
という訳で(ってどういう訳で?、ってつっこまないでくださいね)、銀座メゾンエルメスへちょっと立ち寄る。
アブラハム・クルズヴィエイガス(不勉強ながら初めて知る)の展示を開催中。メゾンエルメスはモダンアート専門の展示ギャラリー(展示スペースそのものの設定および構成がそうなので)ということで、いつも階下のエルメスのブティックとはまったく正反対の雰囲気(ここでは、モダンアートのザックバラン過ぎる作品のテイストのことを指してます)を醸し出しているのが、非常にエキセントリックな感じがして心地よい。
しかも別動線でアプローチするという設定ではないので、展示(無料)を観たい人は、店の中を通ってアクセスしなければ行けないので、その何となく申し訳なさ気な感じを漂わせながら革張りのエレベーターへとシズシズと向かい、階上の展示スペースへ到達する一連のシークエンスの体感が、むずむず感があり、そこはかとなく面白いのである。銀座のホッと一息な一時でありました。(TM)

2017/06/20

恋する演劇2017

ちょっと(1週間ほど)前の話。
武蔵野大学で木工演習の授業をしているのだが、その授業内で何故か毎年、グループに分かれて小演劇をおこなうことを課題の一つとしている。何故、木工の授業で演劇なのか?という、最大にして唯一の謎は相変わらず厳然と横たわっているのだが、もう毎年恒例になってしまったので、学生たちも当然の如くこの課題に取り組むようになっている。本日がその2017年度の開催(開演?)日。授業時間内にキャンパスに戻って来れる範囲であれば演じる場所は自由に設定できるので、教室外でほとんどの演目がおこなわれることになる。
今年は3グループによる公演。天候はあいにくの雨だったため、思い切ったパフォーマンスができ切れない感じは漂っていたが、各グループとも、様々な趣向が凝らせており面白い。シーンの展開が面白いグループ、ストーリー性を重視したグループ、場所を限定して参加型にするグループと、3つのグループそれぞれの面白さは表現できていた。今年は雨の中だったせいか、テーマが重めに感じた。それとも、これはある意味、どうしようもない閉塞感が何となく漂っているご時世(そうなのだ。就職状況がいいのにもかかわらず学生の間にはなんとなくそんな雰囲気が漂っている。いや、気のせいかもしれないが。。)の反映なのか。。。うむ。
演劇なので、雨なんか気にせず、爆裂するくらいのエネルギーを発散させてもいいんじゃないかと、観てる側からは勝手に思ってしまう 。いや、本当に勝手な意見ですみません。で、後期もやってみようかな!、とこれまた勝手に思うのでありました。(TM)
 

2017/06/18

起工式へ


 事業者選定の審査委員として携わった、町田市の熱回収施設(仮設)の起工式が開催されたので赴く。ごみに関しては我々が生活していく限りにおいて必要不可欠な施設であり、今後の施設の在り方というのは多様な視点から考えていくことが非常に大切だと改めて感じる。今後もいいかたちで施設整備がおこなわれることを期待したい。(TM)


2017/06/17

花は咲く。何もしなくても。


 6月ももう半ばになった。と、いうことで今月が終わるともう2017年の半分が終わったことになる。この時間の早さに、若干クラクラする。
 桜が終わり、チューリップが終わったら、家の裏に勝手に群生している紫蘭が咲き誇り、家の玄関先のコンクリート土間を突き破ってドクダミが元気に咲きだした(が、ブログの更新が滞っている間に、今は既に花は散ってしまいました。陳謝。)。まったく世話してなく、綺麗に(?)毎年花をつける様子をみて、素晴らしいと感慨に耽ってみる。
 ファーザー・ジョン・ミスティの新譜がでた。この時期に聴くのは何とも素晴らしい。そして楽曲の他に、このライナーノーツが素晴らしい。何て、長いライナーノーツなんだ!、と心の中で叫びながら、若干の驚きを禁じ得ない。メッセージを発する大切さを改めて感じ入る。そして、ブログを更新してみるのでありました。(TM)

2017/06/16

恩師と武蔵野で

 大学の恩師である布野修司先生が武蔵野クリーンセンターを見学に来てくださるということになり、ご案内に駆け付ける。建築ジャーナルの編集長と、吉祥寺周辺で建築ネットワークをつくりあげている建築家の方が同行され、そしてうちのゼミ生が1名加わり、施設を一通り紹介する。
 多少の緊張と、ワクワク感と。自分の学生時代の空気感を何んとなく思い出してしまう。そう、思い出さずにはいられないのである。
 終わった後、吉祥寺ハモニカの美舟で懇親会。夜が更けるにつれ建築関係の方々が集まってきて、いろいろな話をして楽しい時間を過ごす。いや、個人的には非常に充実感がありました。布野先生はじめ、みなさま、ありがとうございました。
 吉祥寺の酒場で、同じ宴席に師匠(布野先生)と弟子(ゼミ生)が一緒にいる光景を眺めながら、時の経過を感じるのでありました。(TM)

2017/06/01

伏見通りで、道すがら

 自転車で大学にアクセスする道すがら、あるモノが視界に入り、ひっくり返りそうになる(いや、悪い意味ではありません)。
 かれこれ11年程前に3年生のプレゼミの授業で、大学のキャンパス近くの,
商店会の依頼を受け、ベンチを設計・制作した。まちづくりサポートの一環でもあったし、元気がなくなっていく地元商店街を何とか盛り上げる一手が打てないか、という背景があった。
 当時、2期生のマリアが中心になってプロジェクトチームを動かして、何とか無事に完成、引き渡しにこぎつけたプロセスを思い出した。地域でも少し話題になり、朝日新聞の地方欄に取り上げられたりしたのもいい想い出だ。
 さて、そのベンチが、商店会から少し距離を置いた大きな交差点脇のちょっとした広場のようなスペースに鎮座しているのを発見したのである。さすがに10年以上経過しているので、かなり経年劣化はみられるが、未だにベンチとして機能している様子が見られるのは(更に、場所としては若干表舞台に動いてきているし)、感慨深い。時の流れは早いが、変わらなくあるモノもあるのだなぁ、と改めて実感。(TM)

2017/05/30

マルシェ、スタンバイ

武蔵野クリーンセンターで、イベント対応のためにマルシェと名付けられた屋台のような什器を整備することになった。これが、もう1年前くらいの話で、主催者であるクリーンセンターの事業者より、大学の研究室へ設計(デザイン)の依頼をいただく。
 昨年度の間いろいろと紆余曲折を経ながら、11期生のゼミ生とデザインをしたのだが、その什器本体がいよいよ完成をした。で、後、塗装工事が残っているので、これを今年度ゼミ生である12期生が色彩計画をおこない、実際に塗装して仕上げることとなり、現地に赴く。施工当日の天候は晴れ渡り、無事に何とかかたちになる。6/11にいよいよイベントの第1弾開催のようですので、お時間あれば是非クリーンセンターまでお越しください。
 そして、翌日の夜に打ち上げ。研究室のキックオフという意味合いもあり、いよいよゼミの活動が本格化していく。またこのブログでも随時報告しますので、乞うご期待。(TM)

2017/05/29

枠組みを疑うこと

学生時代の盟友、ピピ田君が上京。僕が学生時代は12年の間は学部の内の様々な学科がクラス単位でまとめられていて、学生生活において他学科の学生と交流するチャンスがあった(今もそうかもしれないけど。)。ピピ田君は化学の研究者で、専門もまったく異なるが、逆にだからこそ会話をしていて面白いこともある。
 今回は、大学生の就職を含めたキャリア(教育)に関しての議論へ話が展開して面白かった。結論から言うと、「そもそも、大学が学生の就職に関してコミットする必要はあるのか?!いや、ないんじゃない。」(ワオ!)、ということである。いや、まったくその通りである。そして、日本の「春一斉に就職活動解禁&開始取り決めは、やめてもらおう!」、そして「卒業してから就活すれば、いいんとちゃうの。」ということで大いに盛り上がった。
 近年、日本の大学生があまりに勉強しない問題が声高に叫ばれているが、3年までにほとんど何も研究らしきことができていない状況で就職先を決めなければいけないことが、高等教育のカリキュラム上において完全に破綻をきたしている、という明白な事実が横たわっている。
 おそらく卒業論文・研究(建築の場合は卒業設計も含めて)をもって就活しなければいけない状況になったら、おそらく大多数の大学生は必死になって勉強するんじゃぁないだろうか。少なくとも今のように、まったく勉強せずに卒業する学生はいなくなるだろうな。いやホントに。
 と、既存の枠組みを壊していくことの重要さを改めて認識したのでありました。しかし、所詮は酒席での戯言。現実は厳しくなかなか重たい。でも、こういう妄想も大切だ。「枠組みを疑い、超えてゆけ!」と学生諸君に密かに贈る言葉でありました。(TM)

2017/05/26

チャーミングな旅展

六本木の森美術館で、『NSハルシャ -チャーミングな旅』展が開催中。移動中に少しだけ時間ができたので、美術館へ駆け込む。六本木は、特に六本木ヒルズができてからは、何故か足が遠のいてしまったが、森美術館は非常にいい展覧会を開催することが多いので、時折足を運ぶ。
 展覧会のテーマ自体は非常にストレートなもの(非常にイデオロジカルなテイスト)で、また展示のコンテンツ、というかヴォリュームも非常に充実しているので、とても素直に見応えがあり、楽しめる。近年のアート作品は繊細な美しさや、微細なヒネリが魅力的なものが多いが、本当にある意味、ド真ん中の剛速球でねじ伏せられる快感がある。
 「そうだ、がんばろう。」と思わせてくれる、展覧会でありました。六本木も捨てたものじゃない、と勝手に思うのでありました。(TM)

2017/05/08

武蔵野クリーンセンター掲載


設計者としてはデザイン設計監修として携わっていた、
武蔵野市の「武蔵野クリーンセンター」が、雑誌『新建築』の5月号に掲載されました。
建築の紹介の他、事業のプロセスも紹介されています。
施設は平日の日中は自由に見学可能ですので、近くにいらした際はお立ち寄りください。(TM)

2017/05/05

球場の上

  例年言っていますが、シーズン中は僕の生活のかなりの時間を注ぎ込むことになる野球観戦(しかもパリーグ)。シーズンが始まり1月以上が経つが、遅ればせながら西武球場(このブログで何度も書いていてしつこいようですが、設計は建築家の池原義郎)に観戦へ。個人的にはバファローズファンなのだが、今年はこの黄金週間に対戦カードが実現しなかったので、楽天線へ。
 この日はラッキーなことに、特別に試合終了後に球場のフィールド内に下りて行けるというサービスデー。と、いう訳で、昨年から1年振りに西武球場の地面に降り立つ。さっきまで試合をしていた場所を、直に手を触れることができるのは、はやり、とてもいい意味で奇妙な感覚だ。フィールドに降り立ったたくさんの人たちが、みんな幸せそうに寛いだり、走り回ったり、している様子が、また感動的な情景でありました。ちなみに、フィールド上に寝そべるとものすごく気持ちがいいことを改めて実感。特別な場所性に、普段のアクティビティが掛け合わされた時の感覚を堪能できた。このイベントも何となくルーティン化しそうな気配がして、まあ、それはそれでいいものだなぁ、と思うのでありました。(TM)

2017/04/27

T2

 ターミネータではありません。
 映画は映画なのだが、『トレインスポッティング』、何と20年振り!!の新作。ちょっと前に映画館でこの予告編を観た時にひっくり返るくらいビックりしたが、いよいよ日本上陸。(余談だが、今回の上映前の映像で『ブレード・ランナー』の続編(総指揮:リドリー・スコット、監督:ドニ・ヴィルヌーヴ、主演?:ハリソン・フォード、ライアン・ゴズリング)の予告が流れ、またひっくり返りそうになった!)
 個人的には、20年前の学生最終盤の時期に『トレインスポッティング』第1作を観たわけだが、強烈なインパクトにやられて、映画を観終わった後に特大のポスタ―を、清水の舞台から飛び降り購入したくらいで、思い入れがムチャクチャ強い。ちなみに、そのポスターは引越しの度に我が家のインテリアの主要部分を飾り(何と言っても長辺が1m50cm以上あるので、小さい部屋に住んでた若い頃は置き(飾り)場所に大変だった)、現在も食卓脇の壁面に堂々と鎮座している、くらいである。
 久しぶりに映画を観る前からのワクワク度が最高潮に達していたのだが、1作目に思い入れのある身にとっては、まさにサイコー!、な至福の時間でありました。出演者の設定(実は演じている俳優自体も)が僕と同じ年齢(ので、ユアン・マクレガーと同い年なのを今更改めて認識)なので、1作目の学生時代から20年を経た50歳手前のオヤジとしての現在という、自分自身の時間の蓄積というものをガッツリと感じさせられた。
 個人的には、「人生は相変わらずクソみたいだ でも人生は続く そう、続いていくんだ!」、というメッセージを感じた。まさに身につまされる。合掌。
 ネタばれになるが、劇中の最後にイギー・ポップの「Lust For Life」がかかり、1作目と2作目の円環が閉じるようになっており、ここはもう最高である。家に戻り、映画のサントラを聴きながら、再び至福の時を過ごす。CD棚から1作目のサントラ、本棚から20年前の映画パンフレットを出してきて、並べて眺めてみる。時は流れている。そして、あまりに早く流れている。(TM)

2017/04/18

はなが咲く季節

  2週間程まえに花見へでかけた。毎年恒例で、近所の武蔵関公園のまったく同じ場所で。武蔵関公園はそれ程人出が多くないので、そんなことが可能なのである。かれこれ7年くらい、ある意味ルーティーンになってきている。
 桜の後を追うように、我が家の庭に植えたチューリップが満開に。庭のチューリップもこの3年くらい同じ感じで、これまたルーティーン化してきている。
 例年ブログに書いている気がするが、いつもの季節のいつもの光景を体感している。
 こういうのもいいですよね。(TM)

2017/04/14

ART BOX作品集掲載

 ART BOX発行の書籍、『店舗・施設の仕事 建築・インテリア作品集』に「アーツ前橋」が掲載されました。
 なかなか立派なつくりの書籍です。
 書店の他、全国の美術館や図書館に所蔵されるようですので、お目にかかればぜひご覧ください。(TM)

2017/04/12

ピアノ画(スケッチ)

 ミュージシャンの遠藤憲司氏がリリースした、『けんちゃんのピアノ画(スケッチ)』というアルバムが感動的に素晴らしい。NHKのラジオ番組で、音楽家の大友良英氏が推薦していたので、知った次第。いわゆる正当なピアノを学んだことがないミュージシャンが奏でるピアノの音は、まさしく初めて聞くタイプの音だ。いや、奥が深い。
 アルバムには大友氏のチームが、収録曲を書き起こした譜面があり、これも素晴らしい。もう譜面というよりは、絵というか、現代アートになっている。既成概念を吹き飛ばす音楽に、既成概念にはないかたちでの楽譜による表現。道徳の教科書なんかどうでもいいから、子供たちも是非聴いてもらいたいなぁ、と思わせるのである、うむ。(TM)

2017/04/01

武蔵野クリーンセンター始動

 2010年から7年をかけて携わってきた、武蔵野市の武蔵野クリーンセンター。メインの新しい工場棟がついにオープンをしました。設計者の立場としてはデザイン設計監修として携わっています
 この施設は、クリーンセンター(ゴミ処理工場)としては常識を覆す施設で、見学は開館時間帯はフリーで、ゴミが処理されていく様子をつぶさに見ることができます。常時自由に来館できますので、お近くにいらした際は是非ご来場ください。そして手前ミソですが、ゴミ処理場とは思えない建築デザインです。
 さて、このプロジェクトは、部分的にオープンという段階ですのでまだ続きます。施設全体の整備まで後3年程はかかりそうです。また、折をみて報告します。乞うご期待。(TM)

2017/03/31

卒業と雑感と:2016(年度)

 あっという間に時間が過ぎ、3月も終わってしまい、新年度がスタートする。そして、2017年のプロ野球が開幕してしまう。いやはや。
 ちょっと遅くなりましたが、武蔵野大学の水谷研11期生のゼミ生8名が卒業。卒業式、謝恩会も無事執り行われて、ゼミ生からの素敵なプレゼントをいただく。ありがとうございます。学生諸君は改めて、おめでとう。4月から(って明日からだけど)の新しい世界での活躍を期待したい。
 謝恩会では、毎年恒例のパフォーマンス(何故か毎年恒例になってしまっているかは謎なのだが。。。)を、非常勤でお世話になっている建築家の大塚聡さんと熱演。今年も例年通り、卒業式前日の夜に大塚さんと西荻窪でリハーサルをおこなう(果たして学生はこの苦労が分かっているのか?(別にそこまでしなくていいんだけど、やってしまうのだなぁ。うむ。まあ、しょうがない。)と、例年通り思いながら)、というおまけつき(兎にも角にも大塚先生、ありがとうございました)。昨年も同じことを書いたが、歳を追うごとに中々このプログラムも体力的にきつくなってきている。今年は若干個人的な怪我もあったので、まさに満身創痍(ってちょっと言い過ぎ(笑))でのパフォーマンスと相成りました。
 さて、大学では年度毎に学生の作品集(『Mu』という冊子です)を制作している。その中で教員も毎年1年の総括をすることになっている。自分の担当している授業を総括するのが普通な訳ですが、僕は毎年、場違いに随想を勝手に書かせていただく。例年恒例という訳で、全文を以下に掲載します。卒業生のみなさんは懐かしさとともに、どうぞ。
(TM)

2016年度 回顧・雑感 
1500字以上、SNS世代の学生は誰も読まんだろうなぁと、プチ考えながら-

 2016年度を振り返ってということだが、この文章を31(2017)に書いている。丁度、さっきまで、卒業間近の研究室のゼミ生(11期生)と次の代を担う時期ゼミ生(12期生)の引継会(飲み会)が開催されたばっかりで、2016年度を振り返ると、やっぱり「アメリカ大統領かなぁ。」という話を学生に振ってみた。学生の意見もさまざまだが(まあ残念ながら、そもそも関心すらない、という意見もあるのだが。。。)、「え~、トランプ、中々面白くって、いいんじゃないっすかぁ。。」という風な意見も聞かれる。まあ、意見は多様であるべきだとは思う。
 それで思い出したのが、海外で最も有名な日本人の俳優と言われている、マシ・オカ氏(海外で「知ってる日本人俳優は?」といえば、確実にベスト3に入るといわれている程超有名な人らしい。僕は、不勉強ながら最近知りました。)が日本とアメリカのコメディ(お笑い)に関して比較をして、「アメリカでは絶対(叩き)ツッコミはない」とコメントをしていた記事に、「おお、そうなのねぇ。」とかすかな驚きを感じてしまった。理由のひとつとして、「日本ではツッコミが笑いの合図になってみな同じタイミングで笑うが、アメリカの劇場では、何が面白いかは人それぞれによって違うから、それぞれ自由に自分のタイミングで笑う。」ということだった。そこが、オーディエンス(客体)の多様性ということにつながり、そしてそれが、個々の個性というものにつながるのだと思う。(ここで現アメリカ大統領の各政策はこの個性というものとまったく逆行しているということに辿り着くのだが、この話をし出すと長くなってしまうのでここでは割愛します。)   で、ここからが重要なのだと思うのだが、この個性がある、ということと、いい作品をつくる、ということがイコールか?と考えるといろいろと面白く、そして、このことは、おそらく設計演習やプロジェクトにおけるデザイン行為のアウトプットに通じる所があるのではないだろうか、と思ってしまう。
 例えば、僕の展開する「木でつくる」授業(プロジェクト)の課題は『行動の時代は終わり我々は年老いた/でも、人生のするかしないかの分かれ道で/するということを選ぶ/そんな時に座るイス』という(例年、そうなのだが)非常に抽象的で、はっきり言って良く分からない課題である。ただ今年度の課題の立ち位置のあり方は、はっきりと方向性を有しており(一言で言うと、『ロッキー』(もちろん映画の)ということになるのだが)、その課題への答えはおそらく、平易な(良く言えば分かりやすい)コンセプトやそれを簡潔に(よく言えばきれいに)具現化したデザイン(造形)、ということだけでは全く不充分で、課題以上に考えさせられる内容や余白をデザインの背景に含有することが求められている。そもそも「するということを選んだときに、座ってるのか??いや座ってる訳ねぇじゃないか!バーッカッ!!」というくらいの批判的な独自の視座も欲しいところである(実際、講評会ではゲスト審査員の写真家キッチン・ミノル氏がそのような旨を発言していた)。
 さて、そこに個性とは、ということが、ひとつの重要なテーマになってき得る。さて、個性を育むにはどうしたらいいのだろう?一つ面白い事例がある。非常に個性的なインディー映画監督デレク・ジャーマンが、作品を制作するときに課した、という3つのルールがあるのだと言っている。それは、「現場には時間前に到着しろ、照明は自分で持て、ただ働きを覚悟しろ」、というものである。お~、これはあまりに新鮮だ!何故なら、あまりに没個性的なルールだから。だと思いませんか?実はそんな真摯な行為がベースにあることによって、はじめて強烈な個性につながっていくのかもしれない。学生諸君もさまざまなところに頭を巡らせて考えて欲しい。

『このクソッタレの世の中の、
 するかしないかの分かれ道で、
 するということを選べ!
  Bang Zoom Crazy… Hello !!』

2017/03/20

「オトナリノベーション」掲載

 扶桑社が発行している雑誌「relife+(リライフプラス)」の特別編集版で、「オトナリノベーション」というタイトルのムック本にて、『松風台の家』が掲載されました。
 書店などでみかけましたらご覧ください。(TM)

2017/03/13

ラ・ラ・ランドの片隅で

  巷では、カデミー賞受賞作品も続々と公開されつつある。話題の『ラ・ラ・ランド』も上映されていて、かなり盛況な模様である、からという訳ではないが、やはり観たいと思うので映画館に赴く。
 うむ、確かに大作だとは思った。さまざまなメディアで取り上げられているが、オープニングのシーンは圧巻だとは思う。後、宣伝で見られるような多幸感が溢れる作品では決してない。ここを期待していくとかなり空振りに終わってしまう。でも、そこが悪いわけではない。最後数十秒のワンシーンは切なさすぎるが、名シーンだと思うし。。。
 でも、何か腑に落ちない、感覚がある。これは、あまりいい意味でない、腑に落ちない感だ。これは何なんだろうと、考えてしまうのだが、一言でザックリと言うと奥深さが何となく足りない、というか欠如しているのだ(ってザックリし過ぎだが)。まあ、こういう風に観た後に悩ましい映画は確かに名作なのかもしれないなぁ。でも、好き嫌いでいうとちょっと残念な方になってしまう。あくまで個人的な感想だ。
 さて、『ラ・ラ・ランド』の主演、ライアン・ゴズリングだが、ちょうど同時期にラッセル・クロウとW主演の映画が『ラ・ラ・ランド』の文字通り「片隅で」上映されている。タイトルは『ナイス・ガイズ!』。はっきり言って、B級のバディ・ムービー(若干ノワール系)。決して大作ではない。が、これが素晴らしい!!(これまた、オープニングは秀逸!そして音楽が最高!)、のである。最近の名作系の映画は何となく重たいのが多くて若干辟易気味だったので、このポップさは懐かしさとともに新鮮で、圧倒的に、好きなのである。これもまた、あくまで個人的な感想だ。
作品の良し悪しと好き嫌いの相関関係は、微妙で、面白い。そんなことを感じてしまう。メインストリームの片隅に、魅力的で面白いことが転がっているのです。(TM)

2017/03/03

「アーチの森2016」掲載

  武蔵野大学水谷研で設計、施工をした、仮設木造建築作品、『1.Outside-アーチの森2016-』が雑誌「建築と社会」20172月号に掲載されました。

  学生にとってもこういう風にメディアに掲載されると、励みになってモチベーションもあがっていく。
 今後の活動も乞うご期待。(TM)

2017/03/02

Lab.引継会@吉祥寺


 年度末ということもありさまざまな事柄がまとめに入っている。
 4年生は卒業間近になってきた。
 来年度水谷研に配属のメンバーを交え、11期生、12期生の引継会を吉祥寺にて開催。1学年しか違わないので、さすがに知らない顔はいないと思うが、じっくり話したことない学生同士の関係もあり、我ながら本当にいい機会だと思う。
年度末のまとめの一環だが、大学では年度毎に学生の作品集(『Mu』というタイトルの小冊子です)を制作しており、そこに掲載するための文章も現在進行形でバリバリと執筆中。その中で、今年度は巻頭あいさつのテキストを書くことになった。ちょっとフライング気味ですが、2016年度を振り返るということで、全文を以下に掲載させていただきます。
 さて、いよいよ来年度へ向けて始動しだす。

2016年度『Mu 』はじめに
 2016年度(今年度)を振り返ると、やはり、アメリカの大統領が交代したことが最も大きなニュースと言ってもいいかもしれません。この文章を書いている今も、現在進行形で新しいアメリカ大統領に関するさまざまなニュースが流れており(残念ながら、それらのほとんどが、あまり良いとは言えないものではありますが。。。)、世界の状況はなかなか油断ができなくなってきているように感じます。そういう訳で、昨今はどうしても新しい大統領に目を奪われがちですが、今年度ということになると、ひとつ大きな出来事がありました。それは、2016年の527日に前大統領であるバラク・オバマ大統領が広島を訪問した、ということです。
 その時の演説(オバマ前米大統領 広島演説)は、序盤「なぜ私たちはこの場所に、広島に来るのでしょうか?」という言葉で始まります。この言葉に『場所(性)』ということが非常に強く読み取れると僕は感じます。舞台の中心になった広島平和記念公園、及び広島平和記念資料館は建築家の丹下健三が全体の計画をおこなったという経緯があります。広島という場所性に建築的な手法で更なる場所性を付加することにより、この空間にいる人々が重層的に広島の場所としての空気を享受することができているのではないかと思います。建築のもつ力(そしてその影響)というものを実感として感じることのできる、素晴らしい実例だと思います。
 そしてオバマ前大統領は演説の最終盤で私たちが広島に来る理由を語ります。「この場所において世界は永久に変わってしまいましたが、今日この街の子供たちは平和に一日を過ごすはずです。何と貴いことでしょう。それは護るに値する、そしてすべての子供たちに届けてゆくに値するものです。それこそが私たちが選びうる未来なのです。」、と。
 さて、この冊子『Mu』も本号でNo.13となり、創刊から13年が経過したことになります(正確にいうと創刊準備号のNo.0がありましたので14年ということになりますが)。この歳月は、広島からの71年という年月と比較するとちっぽけなものかもしれませんが、時間の蓄積の大きさをある程度充分に感じさせるものだと感じます。その蓄積があって、この冊子に掲載されているような作品群が今年度もつくり上げることができた、という思いを禁じえません。さて、次の2017年度はどんな学生たちの活動が展開するでしょうか?
 オバマ広島演説は最後にこのメッセージで終わります。「その未来にあって、広島と長崎は、核戦争の幕開けの場としてではなく、私たちの道義心が目覚めた場として知られることになるのです。」
 やはり最後も場所性ということを強く意識させられると感じます。さて、僕たちの場所性はどうでしょうか?武蔵野、有明の各々の場所で培ってきたものはここで学んだ学生のみなさんが護るべきモノとして多かれ少なかれ育んでくれることを期待しています。そして、建築をベースに、何らかのスピリッツが目覚めることを、自分も含め、心がけていきたいと思います。いつしか、ささやかながら、ということでもいいと思いますが、建築をデザインする行為が道義的想像力に繋がることを目指して。
(※文中のオバマ前米大統領による広島演説に関しては、雑誌『SWITCH20167月号に掲載の、翻訳家の柴田元幸氏によるテキストより適宜抜粋をしました。)
(TM)

2017/03/01

小さな景と大きな景

 所用で京都、神戸へ赴く。
 京都では大徳寺の塔頭、瑞峯院へ。重森三玲の設計した3つの小さな庭園が特徴的。一部、創建当時からは改築されてしまったものがあるが、限定された空間で厳密にデザインされた小さな世界観は心地よい。
 一方、神戸では垂水方面にある五色塚古墳へ。瀬戸内海を臨み、非常に雄大な世界観が感じられる。歴史の奥深さもあるが、この大らかな空間を体感すると、本当に時間という概念を想起させられる。
 内部に紡ぐ小さな景の世界感と、あくまでも大きな開放感あふれる大きな景の世界感。この対極を感じることも乙なものである。日本の奥深さを感じる関西の日々。(TM)



2017/02/22

音楽堂

 横浜の現場に立ち寄った後、少し時間ができたので、県立音楽堂(設計:前川國男)へ。こちらも今更恥ずかしながらではあるが、初訪問。丁度、公演が終わった後で、次の公演の準備に入る前というタイミングで、とても幸運なことに内を拝見することが可能だった。
 先日の今治に引き続き、モダニズム名建築の劇場を体感する。いや、素晴らしい。戦後間もない時期の建築ということもあり、現在には使いづらい箇所もあると思うが、愛情をもち使用されている感じに溢れている。空間の質感及び湿感が心地のいいもので、館の方からも音がいいと評判されている様子を聞かせいただく。劇場は数値的なもの(音響等)だけでなく、空間の在り様も非常に大切なのだと改めて実感する。
 この名建築も1年後くらいから改修に入るよう。いいかたちで継承されていくことを願うばかりである。(TM)

2017/02/19

怠け者どもの宴

「何で俺たちモテないんやろう?
モテない奴らに夕陽が染みた。。。」
 かれこれ約30年程むかし、京都で暮らすある者たちを表現するテキストである。
 彼らがモテない理由はおそらく百くらいある訳(ジェーン・スーさん的に)だが、一言で言うと、「怠け者だったから」ということである。

 「怠け者」と一言で言ってもいろいろな怠け者がいる訳だが、どのくらい怠け者だったかというと、何もせず怠けながら3週間くらいボーっと家にただ居ても平気、という類のモノである。時間の流れが京都ということもあり文字通り平安な訳である(まあ、平安時代を体感した訳ではないので、この表現は適切かどうかは分からないのであるが。。)。現在だといわゆる「引きこもり」と分類されてしまう可能性があるが、当時はそのような概念がなかったということもあり、ある意味健全ではあった訳だ。まあ、いい時代だったと言えばそれまでなのだが。
 さて、前置きが長くなったが、その怠け者軍団が一同に京都に集結することになった。
 かれこれ約30年程むかし、彼らにも青春の映画があった。メンバーのある者の下宿に集結し、何をすることもなくその映画を鑑賞し、そしてただただ阿保みたいに踊り呆けるという、アレである(って、その「アレってなによ?!」という感じなのは重々承知な訳であるが、それはひとまず置いておくことにする)。
 その映画の名は『ブルース・ブラザース』。
 先日、『スターウォーズ』のレイア姫で有名な女優キャリー・フィッシャーが亡くなった。実は、キャリー・フィッシャーがこの『ブルース・ブラザース』に重要な役どころで出演している。そこで、「キャリー・フィッシャーさんを追悼すべきである。この京都の片隅で。」企画がもちあがった次第である。そこで終結した面々。ぴぴ田、一ちゃん、ウエスタン、ザク、キノピタ、まいけるの6名の怠け者たち。現在は、各方面、各地で活躍する立派な大人になっている(筈である)。
 その者どもが、京都は元田中のとある場所で、映画『ブルース・ブラザース』をみながら、ささやかに、大女優を偲ぶ会を開催した。宴は・・・、もうこれ以上はここに記すことができない。だだ、怠け者の舞踏が、京都の空の下、故キャリー・フィッシャーに届いたことを祈念するばかりである。
 怠け者よ、永遠たれ。

(※この文章はフィクションであり、実在の人物・団体、添付の写真とは一先関係がありません。)        (TM)

2017/02/16

今治←大三島

 所用があり、愛媛の今治と瀬戸内の大三島(ここも実は今治市内)へ赴く。
 今治は何と言っても丹下建築。
 市中心街に、今治市庁舎・公会堂・市民会館の3つの建築が一体で存在している。丹下建築の中では大代表作という訳ではないが、初期の傑作の一つと言っていいだろう。改めてみてみると、最初期の広島平和会館(1952)と代々木体育館、東京カセドラル(1964)の丁度真ん中の時期(1958)の建築ということになる(※注:市民会館のみ65年の作品)。
 同一サイトに3つの建築が一群で存在する所が魅力と言えるだろう。丹下建築を語れる程知見がある訳ではないが、丹下建築にはコルビュジェ・イズムのモダニズムの手法と超越的なモニュメンタリズムの2つの(場合によっては相反するようにも見える)特徴がある、ように思う。
 そしてここ今治では、その特徴が一望できるというのがとても魅力的である。市役所が前者、公会堂が後者、市民会館は前者に自由度とバリエーションの展開形、という感じである。
 公会堂は5年前くらいに取壊しの検討もされたが、最終的には改修し存続したという経緯がある。新しく生まれ変わった劇場をみながら、残るか無くなるかの曲面を生き延びた哀愁が漂っているような妄想をしてしまう。
 今更ながら、建築は(も)はかない存在なのかもしれないな、と思う。ついでに、いい建築に触れることができる幸せも感じさせる、まちの真ん中、なのである。(TM)