2015/07/28

卒業研究発表会2015

 武蔵野大学の卒業研究発表会。朝9時スタートで終了が夜の8時前、ということで10時間以上の講評となり、さすがにこっちも頭がしびれてくる。学生のみんなには最後の総括で、「人生唯一の学術論文を書くという経験は、社会に出てからも(建築の分野に進まなくても)どこかで意義のあることなので、しっかり自己のふり返りをして、最後まで仕上げるように。」とアドバイス。
  さて、水谷研の学生達は大変だった。越後妻有開幕から2日後での発表ということもあり、本当に怒涛の日々だったと思う。研究の内容は未完な箇所も散見されたが、何とか9名全員無事発表にこぎつけ、本当によくやったと思う。終わった後の打ち上げは渋谷で開催。僕は発表会後の会議を終えて、小一時間だけの合流で労をねぎらう。学生達は一様に達成感のオーラを出していたので、こっちも少し肩の荷が下りた。

  さて、研究発表が終わった。
 これでひと段落、と思いきや、妻有が始まり、そして新宿への出展が控えている。
 休む暇なんてない。
 素晴らしい(笑)。
 文字通りアツい夏が始まる。(TM)

2015/07/26

越後妻有開幕

  大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2015が開幕しました。
  武蔵野大学水谷俊博研究室名義で、作品:『里山フィールドミュージアムビジターセンター』を出展しています。松代のまつだい雪国農耕村センター「農舞台」の施設の隣に作品は位置しています(ほくほく線、「まつだい駅」降りてすぐ)のでアクセスはとても便利です。
  夏休み等を利用して、是非、ご来場ください!
  現地では会期中学生が常駐していますので、気軽にお声掛けください。
                                                           (TM)

2015/07/22

設計演習での評価考

  武蔵野大学の3年生前期の第2課題の講評会。課題は『次世代のミュージアム』で、品川にある原美術館をどう新しい美術館に再生するか、というもの。原美術館という存在自体をどう捉えるかということと、建築のリノベーションをどのフェーズでおこなうか、ということに学生は臨む訳なので、非常に(ある意味)難しい(けど、やり甲斐のある)課題といえる。
  さて全体的な印象としては、突出した出来栄えの作品はみられなかったのが残念ではあったが(まぁ、例年この傾向が強まって来ている所が悩ましい所。学生諸君の後期での更なる奮起を期待したい。)、そこそこ案のバリエーションも多彩で個人的には楽しめた。が、ちょっと講評会の中で面白いことがあった。
  ある学生の作品への講評で、ある先生が「この案はつまらない。」という点を指摘された。展示室の狭さ(細さ)と、個々の展示室が執拗なまでに連続してく構成を批判されていたのだが、その指摘されたポイントは、僕はことごとく面白いと思って評価した所だったので、その事実が面白くて、思わず(密かに)笑ってしまった。
  で、こういうことは得てしてある。どちらが正しいという訳ではなく、見方が変わればまったく正反対のことが導かれてしまうということだ。言いかえれば、絶賛されることとボロクソに否定されることは、時として表裏一体の関係にある、というこだ。
  最後に全作品の評価を担当教員全員でおこなう訳だが、1位や2位の評価となる作品は総体の評価が高い作品ということになる。でも、それらの作品を見ながら、さっきの「つまらない」という評価を一部で受けた案のことを考えてみると、こっちの方がいいんじゃないか、と思えてきた。さすがに評価が確定した後だったので、チャブ台をひっくり返すのは止めたが(ひっくり返すに足る完成度が作品には未達だったということもあり)、本当にいい作品というのは、なかなか見出すのは難しいのかもしれないなぁ、と感じた。
簡単にいうと、皆が平均的に良いというものが本当に良いとは限らないのである。絶対。だからこそ、建築はその評価というものも含めて語られるべき存在なのかもしれない。「人知れず名作というものが、必ずどこかにあるぞ!、俺も見落としているのかもしれない!、だからこそ建築は面白い。。。」、と、全く講評会とは脈絡のないところで妄想に走りながら、そんな風に有明の夜も更けていくのでありました。 (TM)

2015/07/17

妻有現地制作


  武蔵野大学の研究室の学生たちが越後妻有への出展へ向けて、いよいよ新潟へ現地作業に入りました。大学の作業班と分かれて、ふたつの場所で制作が進行していきます。
  いよいよオープニングへ向けて、佳境に入ってきました。学生達も疲労の色が隠せませんが、安全第一でしっかりと制作を進行中。
  妻有の夏は、いろいろな意味であつくなりそうです。『大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2015』の会期は726日から。みなさんお越しください。(TM)

2015/07/16

40年振りとか、1411日振りとか。

  この前の週末の話で少しタイムラグがありますが、西荻窪の公園を娘と散歩をしていてカブトムシを発見。最初、娘が「カブトムシがいる。」と言いに来たので、何かカナブンとか他の虫と間違ってるんじゃないか~、と思っていたら、何と、本物のカブトムシ!でした。まあまあ街中の公園なので驚きも尚更。慌てて、持っていたコンビニの袋に入れて家まで帰り、近所のペットショップに虫飼育用の箱やら止まり木やらエサ(昆虫ゼリーというのが、最近はあるらしい)を入手。記憶をたぐってみても、おそらくカブトムシを飼うのはほぼ40年振りくらいではなかろうか。非常にテンション上がりました。いやはや。そのあたりは、子供も大人も同じなんだなぁ、と改めて実感。

  そして、同じ日に、バファローズの近藤投手が1411日ぶりの勝利を勝ち取った。試合後のインタビューで、「言葉が出てこないが、うれしいというしかありません。」というコメントは、目頭が熱くなった。こちらも静かにテンションが上がった。

  時間の長短はあるものの(40年振りとか、1411日振りとか)、時間の経過の中のブランクという存在は非常に意味深くするもんだなぁと思う、今日この頃。(TM)

2015/07/14

アート?なモノ

 写真は、家の近くにある団地が工事中になり、できた場所。
 工事用の仮囲いがあるだけだが。。。「う~む、アートや。。」、と唸ってしまう(しかも、かすかな笑い込みで)。
 なかなか両サイドに仮囲いが建つ状況というのがないので、そこがまず特徴的な所である。
 そして工事業者はおそらく(というか、絶対)狙ってつくった訳ではないだろうが、絶妙なプロポーションで通路のような空間が形成されている。そして、まっさらで真っ白に、艶っとしたテクスチャーが、その特異さを際立たせる役目を果たしている。
 更に、その仮囲いの頭越しに、年季の入った団地群が顔を出している風情がまた、いい。
 まさに、現代アートも顔負け、、、とは、ちと言い過ぎだろうか。
意図しないモノ(しかも、何てことないネタでつくられたモノ)が意図したモノ(しかも、上質な素材でつくられたモノ)を凌駕する、ということは、ままあるが、そこがアノニマス(詠み人知らず)なデザインの面白いところ。何気ない身近なところで、ちょっとした発見があるのもオツなものです。はい。(TM)

2015/07/13

模糊

Blurの新譜を遅ればせながら入手。
まさか、復活するとは思ってなかったが、12年振りのアルバム。そしてフル・メンバーとしては(前作はギターのグレアム・コクソンが脱退したため)なんと16年振りのアルバム。デーモン・アルバーンが着実にクオリティの高い活動をしているので、「もう、そんなに時間経ったのねぇ。。」と、また時の流れを感じさせられる。
 それ程、日本国内では話題になってないような気がするが(気のせいかな)、アルバムの出来は素晴らしい。僕個人的には上半期ベスト3に入っている。デーモンの多様で骨太なフレームとグレアムの繊細で多彩なディテールが見事に融合されているのが嬉しいところ。
 それにしてもアルバムのジャケットがチャイニーズ仕様(?)になっていて、Blurを中国語訳すると、「模糊」という事実に、妙に納得。“Bluring Architecture”(建築家、伊東豊雄氏)のように、境界を曖昧にしていくことは建築の設計においてもキーワードになっていたこともあり、現在進行形でもさまざまなかたちで、この“blur”という概念に取り組んでいる(の、ではないかと、勝手に思っている)。
 でも、これからは、“blur”というよりは、“模糊”の方がしっくりくるかもしれないなぁ、と妄想。
 さて、模糊とした建築を目指して、まずはBlurを聴いてみようでは、ありませんか。(TM)

2015/07/01

美の器-展示空間の戦後

  朝日新聞の『美の器-展示空間の戦後』というコーナーで、アーツ前橋が掲載されました。戦後、コンバージョンにより美術館に生れ変った建築の特集で、アーツ前橋と並列に記事になっているのが、倉敷市立美術館。ちなみに倉敷美は市庁舎からコンバージョンされたもので原設計が丹下健三によるもので改修が浦辺鎮太郎。倉敷と同列に語られるという意味でもアーツ前橋は事業プログラム自体が非常に特徴的と言えるだろう。記事は、朝日新聞の大西若人さんにより、丁寧に解説されています。(TM)