2023/02/22

帰る途も つもりもない

 三鷹市美術ギャラリーで『合田佐和子展-帰る途もつもりもない-』展を開催中。大学と事務所の自転車移動途中で、少し遠回りしてみる。高知県立美術館からの巡回展のようだが、時折、こういった規模の大きくないマイナーな展示施設で、非常に良質なコンテンツの展覧会が開催されるので、面白い。

 個人的には、天井桟敷や状況劇場のビジュアル(ポスター)で少し知るくらいだったが、今回の展示が没後初めての大回顧展ということで、その充実した展示作品群のヴォリュームに圧倒される。ビル内ギャラリーなので、非常に限定された空間内に展示計画をしている苦労が窺えるのだが、そのコンディションだからこそ、観る側と作品の距離感がものすごく密なので鑑賞空間体験がいつもと違い面白い。個人的には非常に初期の(いわば、成熟する前の)『オブジェ人形』の作品群が目を引いた。日本の現代美術の第2世代(奈良美智や村上隆など)はここが源流かも、と勝手に妄想。

 それにしても、作品とともに作家自体の存在自体が、切り離せない、というある意味特殊な関係性が感じられる作品体験だった(とまたしても勝手に感想を持つ)。その粘着性がある関係は、現在のあらゆるものが分割(そして断絶)されていってしまう時代性の中で、いろいろと僕たちに考えさせられるのかもしれない。なぁ、と感じた。そこでは、この密で素っ気ない三鷹の展示空間が、非常にマッチしているのでは?!、と思う訳である。うむ。(TM)

2023/02/10

椅子の講評会2022(年度)

 例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、その講評会を開催。講評会当日、今年は、なんと大雪に!ので、屋外でのプレゼンは雪の中おこなうということになった(写真は、その雪のん中でのプレゼンの様子。観る側と、観られる側で。)。そんな天候の中、今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びとなる。木工作家の渡邊浩幸さん、映像ディレクターの土居京子さん、現代舞踏家の相原朋枝さん(オンライン参加)に参加頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。僕以外はみなさん建築とは違った分野の方々なので、その講評も個人的にはとても楽しい。

 今年度は履修者14名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今年度の授業を進めながら漠然とだが、若い人たち(学生)が、あまりに楽天的に無批判に、いろいろなことを受け入れてしまっている、という空気感を感じることができた。年々その傾向が強まっているように感じるが、何となく今年はそれが確実に実感できた。これは、あまりいいことではないのかもしれない。ということもあるので、例年、いろいろと学生が考えてくれるような課題の提示をしている。が、どうしたものか。。。ゲスト・クリティークの講師の方々も、同じような雰囲気をもたれたようで、「プレゼンが表層的になっている印象を受ける。」というようなコメントをされていた。やはり、愚直にじっくりと考えていかないと、作品における本質的なパワーは生まれないような気がする。それがデザインを考えていく上での醍醐味、ということだと思う。当たり前のはなしなのだが、効率ばかり目指していては、底が浅くて、たかが知れているのである。学生諸君には、そこに気づいて、殻を破って欲しいと思う。

 コロナ前であれば、終わった後は、履修学生全員を交えて盛大に打上会を開催する訳だが、今年もそれも叶わないため、なかなか完結した感が湧いてこないのも正直なところ。学生には充実感を持ってくれれば嬉しい限り。さて、怒涛の年度末が続いていくのです。はい。(TM)

■課題:

「戦前~戦中~戦後、という流れのなかで

新しい時代への歌を歌う

そんな時に座るイス」

 【課題概要】

2022 2 24 日、ロシア軍は 、ウクライナに侵攻。首都、キエフを含む複数の都市 でミサイル攻撃するなどの軍事作戦を開始し戦争が始まる。

毎日新聞のコラム『余禄』(2022/3/2 )に以下の記事が掲載された。 「「人類幸福の上で慶 賀に堪えない。各国は国家政策遂行上の手段としての戦争の放棄 を永遠に遵守し世界平和の実(じつ)を挙げることを心より希望する」。 2 次世界大 戦前のパリ不戦条約 発効にあたり、こんな談話を発表したのは他ならぬ 、当時の 日本の 浜口雄幸(はまぐち・おさち)首相だった 。その浜口は暗殺未遂にあって辞任、条約発 2 年後に軍部は満州事変を引き起こす。武力行使と威嚇(いかく)の禁止はその後全 世界で 5000 万人以上の死者を出した第二次世界大戦の惨禍を経てようやく国連憲章に 結実した……はずだった。」

コピーライターの糸井重里が、自身の HP サイト『ほぼ日』の巻頭コメント「今日のダーリン」の 欄で下記のことを書いている(2022/3/2 付)。「プーチンの仕掛けたウクライナへの侵攻がなかったら、 いまごろはコロナウイルスの問題を、たくさんの人びとが渋い顔して語っていたろう。(中略)。そし て、そのコロナの問題もなかったとしたら、(中略)受験生は新しい学校が決まったり、決まらなか ったり。卒業の話だとか、引っ越しのこと、就職のこと、うまくいってない仕事のこと、恋愛や失恋 のこと、それぞれに考えなきゃならないことを考えていたと思う。」

作家の中村文則は、『書斎のコラム』という連載で、以下を記している(2022/3/3 付)。 「ロシアの作家トルストイの小説「戦 争と平和」には、戦争が始まる時の人々の高揚と、 その後の残酷極まる実際の戦闘、その悲しみが描かれる。戦争は終わると和平条約があ るが、その結果で国が得たものと、失われた膨大な人の死が釣り合うのかという痛烈な 問いが投げかけられている。

ミュージシャン・俳優のピエール瀧が雑誌「テレビブロス」に連載していた自身のプ チトリップをまとめた書籍のタイトルは、『屁で空中ウクライナ』(太田出版、2001 年) という。なぜそのタイトルなのかは 書籍内に記載はない。

自身の音楽ユニット DCPRG のラストライブで「この 4 年間で、解放されたかね?それと も拘束されたかね?」と発した、ジャズミュージシャンの菊地成孔は、アルバム『戦前と戦後』リリ ースの際、「今の日本が戦前なのか戦後なのか? というとてもシンプルな問いが最初にあって、そ れをどうやって音楽で表現しようかなと思った。」(雑誌『Jazz JAPAN』(2014 4 月)より)と発言 している。

今に少し先駆けること 2021 9 月に『新しい時代への歌』(サラ・ピンスカー著、村山美雪訳 書房発行)が国内で刊行。まさに、テロ(戦争)とコロナ後の閉塞した社会像を描いた近未来 SF 品で、我々の近い将来の予言の書といっていいかもしれない。

 今の現状、そしてこれからの僕たちは、どうなっているのだろうか。いろいろと考えて欲しいと思 う。もちろん、僕たちがいろいろと考えたところで、どうなるものでもない、のかもしれないのだが、 やはり考えないといけないと思う。 そんなときに座るイス。 様々に考えを巡らしてみてください。魅力的なイスに出会えることを期待しています。

(水谷俊博)



2023/02/07

目を澄ます

 昨年の終盤がバタバタしていたので、観たい映画もたくさん観に行けずに終わってしまった。日本の映画では、「ケイコ 目を澄ませて」が、非常に評価が高かったように見受けたが、「観に行けなかったなぁ、、、」と思っていたら、遅ればせながら吉祥寺に上映がまわってきた。

 評判通りに素晴らしい。16mmで撮った映像の質感、音のつくり方、映画の内容ももちろん良いのだが、東京の下町がロケ地になっており、その描き方が非常に秀逸だった。浅草や都電荒川線沿いの東池袋周辺、荒川河川敷、など、開発されていない現在のかたちの東京の断片を舞台に、物語が静かに力強く進んでいく。個人的に、かつて新小岩に住んでいた経験があり荒川の光景がとても身近だったので、趣深さが半端なかった。

 聴覚障害をもちながらプロボクサーの道を歩んだ小笠原恵子著の半生を綴った著書が原案になっており、観る前は、「ロッキー」と「コーダ」を思い浮かべていたが、それらとは全く違う、現在の日本映画の良さや醍醐味を非常に味わえることのできる作品だ。そして、観る者が間違いなく元気になる映画だ。

 さて、本当にどうでもいい話ですが、遅れ遅れで、昨年のマイベスト:映画篇と音楽篇をやっとUPしました。もしよければ、2022年末のブログもご覧ください!(TM)

CONSTRUCTION日記: Look Back 2022 その1 (mizarchi.blogspot.com)

CONSTRUCTION日記: Look Back 2022 その2 (mizarchi.blogspot.com)

2023/02/02

卒業設計2022(年度)

 先々週の話になってしまったが、武蔵野大学の卒業設計の公開審査会が開催された。今年はいよいよ新型ウィルスの影響へも配慮しながら、卒業設計の審査会は基本的に対面(オンラインも並行しながら)でおこなわれることに。

 今年個人的に一推しだったのは1/1で現物を設計・制作した作品だった。これはいわゆる通常のかたちの卒業設計作品で突出して引っかかるものがなかったから、ということが個人的には大きな要因の一つなのだが、実際できた作品の力強さを改めて感じた。

 作品自体は、瞑想空間のような、人が1人だけ入れるくらいの小さな建築作品なのだが、高さが一番高いところで3,200mmくらいあり、壁面の一部が伝統的な組子細工でデザインされた構成になっている。その組子の開口部から入ってくる自然光を空間の中で感じられる、というのが大きな一つの醍醐味となっている。

 基本的に制作モノは、「設計作品じゃない!」といった意見をもつ教員も一定数いて、なかなか評価が高くなることは無いのだが、予選をギリギリで通過したこの作品、ファイナル審査でジワリジワリと審査教員の評価を獲得して、最終投票の結果3位で優秀賞、ということとなった。個人的には、制作過程をずっと見てきたのだが、提出が近づいてきて、最後に3m余りの建築が建ちあがった時には静かな感動を覚えた。これを一人でつくり切ったのは本当に素晴らしいと思う。

 今年の作品の中で、AIプラットフォームを活用して自動的にできてしまう計画案を素材にした設計作品があった。いよいよ、こういう時代が来たか(本当に、人間が介在しなくても、論文も設計もできてしまう、という時代がすぐそこに来ている)、ということを改めて感じる。そんな時代だからこそ、実物の持つパワーは、やはり強い、のである。 (TM)