2017/08/24

漂白する想像力展

 所用で品川へ。少し空き時間ができたので御殿山まで足を延ばして久しぶりに原美術館へ。「アートスコープ-漂白する想像力展」が開催中。
 原美術館は住宅を美術館としてコンバージョンした先駆的な施設なのだが、展示によって美術館の空間自体がまったく変化、転換してしまう所が、非常に魅力的で(そこが、いわゆるホワイトキューブの展示室とは一味も二味も違う魅力を創りだす)、いつもそこをワクワク感を滲ませながら、楽しんでしまう。
 特に今回の展示は、建物の開口部をほとんど塞いでいないので、往時の住宅としての姿が感じられる構成になっている。作品自体の面白さもあるが、空間と連動した体験ができる。
 ここにも時間の蓄積を感じるのでありました。(TM)

2017/08/15

時間とズレ

 お盆は例年通り実家の神戸へ帰省をする。例年通り、近くの舞子の浜をおとずれる。
 一応、神戸の西方面では名勝として知られている所で、関西ではお隣の須磨の海水浴場が超有名な訳だが、実は舞子の方が美しい。昔から変わらず見える淡路島と、新しく(といっても、既に20年くらい経つが。。)できた明石大橋(密かに世界最長の吊り橋だったりする)をあわせて観るハイブリッドな景観が、時間の蓄積というか、ズレみたいなことを感じることができて、何となく面白い。
 さて、815日は終戦記念日。甲子園の高校野球でも正午に試合が一度中断して、黙祷を捧げるのが恒例になっており、毎年、戦争と戦後の時間というものを感じることになる。
 今年は、何故か天候不良が予想されたため早朝に試合の中止が発表された。しかし神戸では(おそらく甲子園も)雨はまったく降らなかった。知らず知らずのうちに、様々な曲面で政治的な圧力が見え隠れしてきている世の中(一連の報道規制や、最近では灘高の教科書の話とか、、)ちょっと不吉な感覚を覚えるが、これは、まあ、個人的な思い込みに過ぎないだろう。。。と信じたい。あるべきものがないことにより、時間のズレというものが余計に強調されるのだなぁ、と静かに感じる舞子の浜。(TM)

2017/08/08

聖性の考古学展

 久しぶりに東京の都心に出る所用があり、少し時間があったので弾丸で「聖性の考古学-遠藤利克展」埼玉県立近代美術館へ。
 なかなか実作を観る機会ができなかったので是非とも観たかったのだが、さすがにひとつひとつの作品のスケールと質感(或いは量感)が圧倒的で、実物を観ることの意義を感じさせる。美術館内での作品展示だが、ある意味プリミティヴな空間体感ができる展示になっている所が素晴らしい。あまりにも月並みな表現かもしれないが、世界は広く、奥が深いと感じさせられる。(TM)

2017/08/02

設計演習前期講評会2017

 武蔵野大学、3年生の建築設計演習(授業名:設計製図3)の第2課題の発表会。3年生にとっては前期最後の総決算となる。課題はキャンパス内の「新しい図書館」をつくる、というもの。提出作品の中から20名弱を選んで講評をおこなった。
 全体的な感じとしては、今年は個人的には非常に楽しめた。ここ数年学生の作品はおとなしくなっていると感じていて、第1課題(集合住宅)の作品の出来も同じ空気感がしていたのだが、後半は図書館の課題になり、前半の住宅という既成概念にまとわりつかれている感じから俄然解放されている!、と思えた。
 今年から、履修学生の数が増えたこともあり、指導教員に藤野高志さんと松島潤平さんに加わっていただいた、ということもいいかたちで表れているのかもしれない。ただ、プレゼン(発表)はイマイチ学生のドライブ感がなく(徹夜で疲れてるから仕方ないのだろうけど)、そのあたりは課題だよなぁ、と思ってしまう。
 講評会後の打ち上げには多くの学生が参加し、学生が一様の開放感に包まれて、こっちもほっと一安心。3年生は後期に向けて、また夏休みはステップアップして欲しい。
 打ち上げ会場である吉祥寺の場末の居酒屋を出た所で、授業をサポートしてくれている学科の職員スタッフとパシャリ。スタッフのみなさんもお疲れさまでした。(TM)

2017/08/01

イデアとメタファーと


 村上春樹の新作長編、『騎士団長殺し』を読む。それほど自分としては前面に押し出している訳ではないが、村上春樹ファンを自負している身としては、新作の発表(しかも長編)は興奮以外の何物でもない。一気に読んでしまいたいところをグッと押さえつつ、極力じっくりと読む。『騎士団長殺し』、個人的にはなかなか良いと思う。いつも感じるが、作品のストラクチャーがしっかりとしていて、更にディテールの構成の妙(ズレのようなもの)が、村上春樹の世界の最大の魅力だと思う。本作は、それが非常に分かりやすい。後、一応今の所、2部(2巻)構成になっているが、3部(以降)があっても全然不思議でない感じも満々である。
 さて、村上春樹の作品となると、話中にさまざまな音楽が挿し込まれるのも楽しみの一つだが(今回は、もちろんモーツアルトの『ドン・ジョバンニ』とシュトラウス(リヒャルトの方)の『薔薇の騎士』が大きな位置を占めている)、物語の終盤で、主人公がブルース・スプリングスティーンのアルバム『リバー』を聴くシーンが個人的には非常に心に残る。思わず読みながら、棚からCDを出してきて聴いてしまった。そして、読み進めていくと、「CDでなくアナログLPで聴くべし」という内容が書かれていたので、少し申し訳ない気分になる。LPで持っている中で一番時代的に近そうなのが、『Born To Run(明日なき暴走)』なので、それを聴くことにする(まあ、音楽的にはちょっと(というか大分)違うものだけど、ブルース・ブルーススプリングスティーンのスピリッツは感じることができる)。こういう感じが至福の時だ。最近、軟弱にも、カルヴィン・ハリスの新譜なぞを聴いていたが、反省するばかりである。
 文中、内容が少し曖昧だが(アルバム『リバー』を聴くときのくだりである、念のため。)、「A面最後の『インディペンス・デイ』を聴き終わり、レコードを裏返して、B面一発目の『ハングリー・ハート』を聴く一連の行為は、そうあるべきで、それ以外のことは考えられない」というような文章があり、深くうなづく。
あまりに、その通りやで、と納得するしかない。本を広げながら、やや呆然と「ドライブ・オール・ナイト」(『リバー』より)を聴く。合掌。(TM)