2014/05/24

T-houseをみる

 
アーツ前橋で現在開催されている白川昌生展との連携企画で、藤本壮介さん設計の住宅作品、T-Houseで展覧会が時期限定で開催される。編集者の松井晴子さんからもお誘いをいただいたので、アーツ前橋ご案内しつつ、T-Houseをご案内いただく、という非常に個人的な楽しげな企画をして前橋に赴く。
 それにしても本当にびっくりとしたのが、来館者の多さ。建築関係のエネルギーのポテンシャルを改めて実感。素晴らしい。
 人が多い中ではあるが、住宅の空間を充分に堪能。先日、森山邸を見たばかりなので、どうしても関連付けてしまうが、T-Houseは一見、周辺環境からは閉じた構成をとりながらも、住宅内の各スペースが有機的に連続していき、その流れが逆にまちへのつながりを想起させる空間構成をとっているのではないかと考える。だからこそ、今回の展示会のような開いたプログラムを成立させているのではないだろうか。
 森山邸は非常に周辺環境に開いた構成をとりながら、あの場所のある意味閉じた世界観を醸し出しているところが、ある。そう考えると、ある意味、ネガ&ポジの関係にあるなぁ、と考えさせられた。
 後、やはり森山邸のときも感じたが、お住まいのオーナー、田中さんのモチベーションの高さ。これから、まちへ住宅を開いていくという宣言もされていて、非常に感銘を受ける。是非、アーツ前橋のプログラムとも今後も連携していただければと思う。改めてだが、まさに、名建築に名クライアントあり(再び)、である。うん。素晴らしい。(TM)

2014/05/22

森山邸をみる

 
  住宅の作品は奥が深い、というのが僕たち設計者も常日頃思うところ。  ここ10年くらいのスパンをみていて、西沢立衛さん設計の森山邸から住宅の設計は新しい局面を開けていないのではないか、というのが個人的な感想だし、通説でもあるだろう。
  大学の設計演習でも集住の課題を出しているので、例年、森山邸の話をしているが、実際に見ていなかったので、なかなか実感のある話が学生に向けてできないのを、なんとなくもどかしく思っていた。
 そんな中、知り合いの木村さんが、森山邸にお住まいなのを偶然知り、スタッフのharuと見学させていただく運びに。さらにオーナーの森山さんのご自宅も拝見させていただくことになった。ありがとうございます。
 いざ、実際の建築をみてみて、素晴らしさを改めて実感。雑誌でみていた情報だけだと、やはり限界があるなぁ、というのを改めて痛切に感じる。住宅の作品をみて、本当に久しぶりに圧倒的に、そして心地よい衝撃を受けた。
 ポイントはやはりスケール感。個人的にはA棟からガラスの渡り廊下を渡りB棟のキッチンへという空間の絶妙なスケール感に感動。本当にコンパクトな空間だが、決して狭さを感じさせない、全体のシークエンスの延長上にある感覚が心地いい。後は、平屋のG棟の屋上に上がり、敷地全体を見渡す感覚も気持ちいい。竣工して8年くらいが経過して庭の木々も育ってきているので、全体のランドスケープと各棟の配置の距離感が絶妙である。
 途中、大雨が降ってきたので、雨宿りをさせていただき、そのお陰で森山さんにもいろいろなお話を伺うことができた。何はともあれ、この建築が成立しているのは、オーナーの考え方やお人柄にある、ということを、再度猛烈に認識する。まさに、名建築に名クライアントあり、である。
 雨があがり、森山邸を後にすると、別世界から現実感を徐々に取り戻していく感覚がフツフツと沸いてきて、それもまた心地いい。いい建築は、そこに住む人を育てるんだなぁ、という感覚を改めて実感しつつ、僕も元気が沸いてきた。(TM)

2014/05/16

越後トリエンナーレ

 ひとつお知らせです。
 この度、「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2015」の公募プロポーザルの結果が発表され、当選の運びとなりました。『武蔵野大学 水谷俊博研究室』名義で出展作家として参加します。
http://www.echigo-tsumari.jp/news/2014/04/news_20140430_02
 まだまだ1年以上先の話ですが、6年ぶりに妻有の地にたちます。今からとても楽しみです。
 また、プロジェクトの様子は研究室のHP(学生ブログ)等でお伝えしたいと思います
 http://www.musashino-u.ac.jp/environment/design/M_lab/index.html
 ご期待ください!(TM)

2014/05/11

飛ばしていくよ




















 連休中に個人的にかなりショッキングなことがあり、まだ幾分立ち直れない感がある(いや、そんなに大したことなくて、ごくごく普通に生活していますので、心配しないでくださいね。って、しないか。。)。
 人間異常な体験をすると、現実世界との距離感がつかめないような感覚に陥るようなことを映画の世界なんかではよく観る訳だが、ほんのちょっぴり、そんな感覚が分かるような気がする。何か少しずれているような感覚。
 そんな中、ジョン・フルシアンテとデリク・ホッジ(日本盤が出ていないので、日本語表記は当て字です。。。)のニュー・アルバムが、そのズレ感を刺激してくる(ちなみに2つともかなりいい作品)。フルシアンテは、楽曲の美しいメロディ群にひずみ(不協和音のような要素)をバンバンいれて、曲自体を別のフェーズにもっていくような感じ。そして、デリク・ホッジはリズムのゆらぎで攻めまくる感じ。これは今、流行りのポリリズムなのかと思ってみるが、昔は人の手ではできなかったような技術に人間が追いついているような感じがして、コンピューターと人間の抜きつ抜かれつ感が、裏に潜んでいるようで面白い。
 この少しズレているような感覚を建築に落とし込めないかなぁ、と日々思っている。まさに、「ゆるやかな不統一の連続」感。いやはや。ので、この感覚を大切にしたいと思いながら、いざ自分自身がこの感覚にズッポリと嵌まってしまうと、なんとも居心地が。。。悪いとはいわないまでも、不思議な感じになっていてどうにかしたい気分もあり、人間は勝手なものだなぁ、と思ってみる。まあ、自分で勝手に思ってるだけなんですが。
 さて、この感覚を打破すべく、矢野顕子の『飛ばしていくよ』を日々、聴いている。リアルな感覚が蘇る。さて、飛ばしていきますよ!(TM)

2014/05/02

大阪の夜は。。。

  連休中。しかし、大学は変則的な暦で動くため、一般の休日が休日ではなく、そのためほとんど休みがない状態。いやはや、これが大変つかれますね。さて、そんな合間を何とか縫って故郷の関西へ弾丸帰省。2年半ぶりに大阪本町の行きつけの店「テヅマ」に立ち寄る。
 
 

 盟友、ウエスタン君(※2013/5/9の項参照)と小一時間、一献。関西の空気が身にしみる。
  この帰って来た感じ、というのは、建築としてデザインするとしたらどういうことなのだろうか、と妄想してみたくなる。実体験をもとにした、自己探求及び自叙的なデザインというものはありかもしれないが、それだけでは物足りない。ただ、それに客観性をもたせると、またそのエンクローズしたよさが吹き飛んでしなうのでNGだ。さて、閉じているようで閉じていないような、そんな場というか空気感のようなものができたらいいのになぁ、と思う。これは難しいなぁ。うむむむ。。。といいながら夜は更けていく。
  さて、神戸に帰れない時間になってしまい、閉店後テヅマのマスターと本町の夜の街を徘徊、というディープなおまけつき。休みなき連休に浸る大阪の夜。(TM)