2021/02/23

リターン・トゥ・フォーエバー

 新型ウィルスの状況は変わらず。チック・コリアの追悼番組を、いろいろなラジオ番組でやっていて、いろいろと思い出す。それ程、大ファンという訳ではなかったが、所々でアルバムを手にする機会があった。大学時代、盟友イシダ君の家でボビー・マクファーリンとの共同アルバム『スペイン』(原題は『Play)を聴いて、あまりの良さに速攻、四条河原町の輸入レコード屋に走ったのを思い出す。後は、90年代後半に、これも大学時代の盟友ウエスタン君とニューヨークに旅行した時、丁度、ブルーノートでチック・コリアの公演がありチケットを入手しようとしたが、敢え無くソールド・アウトで泣く泣く行けなかったのも思い出(但し、その変わりに、同日バードランドで秋吉敏子がやっていて、そっちを運よく観れた。なんと最前列!、という豪華なおまけつき。それも良い思い出だ。)。更に、その翌年、チックの来日公演があり、リベンジでチケットを取った(確か日曜の公演)が、何と、急遽仕事が入り行けずに。(再び泣)。。。あの時仕事サボって行っとけばよかったなぁ、とシミジミと感じ入る。

 さて、という訳で、ここは『Return To Forever』のお出ましである。おそらくジャズ史上に残る名盤。だが、個人的には謎が多いアルバム、という感が強く、時折ターンテーブルに載せて聴いては、新しい発見(謎)がある。そういうアルバムは決して多くないので、やはり名盤だ。若い頃はB1曲約23分の組曲「Sometime Ago-La Fiesta」が気に入っていたが、やはりA面最初の「Return To Forever」、そして2曲目「Crystal Silence」の流れは堪らない。海鳥(実はカモメではないらしい)のジャケットを眺めながら。合掌。(TM)

2021/02/19

タイム

 新型ウィルスの状況は変わらず。それにしても週末の地震はちょっと揺れが大きかったので、ドキッとする。年が明けてから周辺でも濃厚接触の人々が増えてきている。ニュース等での感染者数は減っているようにみえるが、これは、おそらくPCR検査自体を、比較的若い年代で顕著な症状が出ていない人には受けさせなくなっているようなので、数字が減るのは当たり前、なのである。その身近な濃厚接触の人もPCR検査を受けることにならなかったので、それが事実だと推察できる。医療関係方面もかなり逼迫している様子がうかがえる。

 ので、なんとなく“ドンヨリ”しながらの日常が進行する訳である。そんな感じなので、やはり“時間”ということを、否が応でも考えさせられる。という訳で、ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)の『タイム』を聴く。ELOといえば、やはり、2枚組の超名盤『アウト・オブ・ザ・ブルー』なのだが、バンド停滞期に入る時代のこの『タイム』(世間的には評価もイマイチ)は個人的には愛着ある盤。やはりA1曲目の、「トワイライト」を爆音で聴くべし。コロナを吹き飛ばせなくても、“ドンヨリ”を振り払うことができる(かも!)、である。(TM)

2021/02/14

リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ

 年度末の行事がほぼ一通り落ち着いてきつつあるが、例年だと各地に出回るこのタイミングで、この新型ウィルスの状況。緊急事態宣言は相変わらず続くので、昨年一度このブログでやっていた、勝手に名盤紹介シリーズをポツリポツリとスタートいたします。

 フィル・スペクターが亡くなり、さまざまなラジオ番組で追悼プログラムが組まれている。フィル・スペクターだと膨大な数の楽曲があるが、個人的にはコレ(かな)。アイク&ティナ・ターナーの『リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ』 。今となっては超名盤だが、リリース当時のアメリカでセールスが振るわず、そのせいでフィル・スペクターが失意のため、一旦音楽会から身を隠した、というのは有名な話。いや、その気持ち全くもって共感します。まさに「ウォール・オブ・サウンド」の面目躍如の重厚な音。やはりA1曲目の「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」を大音量で聴くべし。だんだん言い飽きてきて、聴き飽きてきたフレーズだが、「コロナを吹き飛ばして欲しい!」。はい。(TM)

2021/02/10

いすばかり展

 “いす”の話がつづきますが、武蔵野大学の椅子をつくる授業で制作した作品の、ささやかな展覧会が開催されています。この状況ではありますが、諸々の確認手続きもとって、対策に充分留意しての開催となりました。“建築家の卵”がデザイン&制作した12脚のオリジナルチェアが展示されています。

 吉祥寺駅北の中道通り沿いの商店街にある、雰囲気のあるアパートの1室がギャラリーになっています。本日からスタートしていますので、お近くにお越しの際は是非ご来場ください!

  

  『いすばかり展』

  会期:2/9(火)~14(日) 12001800(最終日は17:00まで)

  場所:gallery re:tail

  吉祥寺ギャラリー gallery re:tail » いすばかり展 (thetail.jp)

                                (TM)

2021/02/05

椅子の講評会2021

 例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。が、今年度は新型ウィルスの影響で、なかなか開催運営の難易度があがっている。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、その講評会を開催。今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びに。木工作家の渡邊浩幸さん、写真家のキッチンミノルさん、ファッションデザイナーの國時誠さん、建築家の入江可子さん、にお越し頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。建築とは違った分野の方々の割合が高いので、その講評も個人的にはとても楽しい。

 今年度は履修者12名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、デザインが「普通」であるとは、どういうことなのかな、と考えさせられた。通常は、あまり肯定的な意味ではない。が、その「普通」という基準、というか定義を、どの場所に設定するか、ということで、いろいろと見え方が変わってくるなぁ、ということを思い至る。それと、講評会の中で「わくわく感」というフレーズが気になった。これは、「わくわく感」の射程を、どこに、どれだけ飛ばすか、というところにあるのだろう。決して遠くに飛ばすことが良いということではないのかも、ということだ。まあ、これも当たり前のことなのだが、それがデザインを考えていく上での面白さ、ということがいえそうな気がする。

 例年であれば、終わった後は、履修学生全員を交えて盛大に打上会を開催する訳だが、今年はそれも叶わないため、なかなか完結した感が湧いてこないのも正直なところ。学生には充実感を持ってくれれば嬉しい限り。さて、怒涛の年度末が続いていくのです。はい。(TM)

 

課題:「 中原中也、或いは、早逝の詩人の命日に完成した

街興しの名に於ける「経済戦争」により

廃墟化するこの街がテーマの

「古里守り」の映画を、なななのかに観る

手には、バーボンのオンザロックを持ちながら

そんな時に座るイス」


【課題概要】

「山の近くを走りながら、母親に似て汽車の汽笛は鳴る。夏の真昼の暑い時。」 (『山羊の歌』より)

詩人・中原中也は、1907(明治40)年に現在の山口市湯田温泉に生まれ、1937(昭和12)年に鎌倉で没した。享年30歳。その短い生涯のほとんどを詩作に費やしたと言われているが、生前に刊行した詩集は、『山羊の歌』が唯一のものとなる。

日本映画界の巨星、映画監督の大林宜彦は、1938年(昭和13)年に広島県尾道市で生まれ、2020(令和2)年に東京都世田谷区の自宅で亡くなった。監督最後の作品、『海辺の映画館-キネマの玉手箱』が公開予定だった410日のことだった。

大林宜彦が2000年代に撮った、映画の中に『野のなななのか』(2014年)がある。大林が「古里映画」と称して、その街の伝統や歴史を題材にした映画作品群を創っていた晩年の時期に製作され、311(東日本大震災)後をふまえ、脱原発、反戦のメッセージをテーマに、その前作『この空の花』(2012年)とは姉妹作品の関係になっている。この映画『野のなななのか』は、中原中也の詩を冒頭に冠して、一編の物語(約3時間の長尺だが)として描かれている。そして、この映画が完成したのは中原中也の命日(1022日)に完成(それは全くの偶然であるらしい(大林宜彦談))している。

さて、正体不明の新型ウイルスのため、先行きはまったく読めない(課題提示時の20206月現在)。この状況の中、静かに、深く考えることが、大切なのだろう。この社会状況、政治の迷走、コストパフォーマンス(?)、エビデンス(??)。全て大負けだ(我々一般ピープルは)。でも映画と詩があるぞ(映画館は今のところクローズだが)。そんな時、どうするのか?

様々に考えを巡らしてみてください。魅力的なイスに出会えることを期待しています。

(水谷俊博)