2022/06/27

恋する演劇2022

 武蔵野大学で木工演習の授業をしているのだが、その授業内で何故か毎年、グループに分かれて小演劇をおこなうことを課題の一つとしている。一昨年はコロナの関係で開催できなかった訳だが、何やかんやで10年以上はやっているような気がする。まさに、光陰矢の如し。

何故、木工の授業で演劇なのか?という、最大にして唯一の謎は相変わらず厳然と横たわっているのだが、もう毎年恒例になってしまったので、学生たちも当然の如くこの課題に取り組むようになっている。

 

先週、その2022年度の会が開催(開演?)された。授業時間内にキャンパスに戻って来れる範囲であれば演じる場所は自由に設定できるので、教室外でほとんどの演目がおこなわれることになる。今年は3グループによる公演。天候は雨が降りそうで降らない感じは漂っていたが、ものすごく蒸し暑い中、各グループとも様々な趣向が凝らせており楽しめた。

 場所の設定が面白いグループ、ストーリー性(エンデキング等)を重視したグループ、コント系で展開するグループと、3つのグループそれぞれの面白さは表現できていた。全体的に、おとなしい雰囲気だった下級生(2年生)が奮闘している様子がうかがえ、興味深かった。

今回は、まだ新型コロナの影響もあり、学外での開催はできなかったが、来年あたりは、再度キャンパスを飛び出しての開催もできるかもしれない。

演劇なので、遠慮なく思い切ってやって欲しい(誰にも怒られないし。多分。。)。

それが自分の殻を破るきっかけになるかもしれない、とこれまた勝手に思うのであります。(TM)

2022/06/22

ちょっと想い出してみただけ

 ロック・バンドのスパークスのドキュメンタリー映画『スパークス・ブラザース』(ちなみに、この映画をみると、レオス・カラックス監督の映画『アネット』の本来の意味、というものがあぶり出され、『アネット』を観終わった後の変なモヤモヤ感が昇華していき、また、逆に『スパークス・ブラザース』に深みが出てくる、という妙な無限ループの円環構造をもっている、というのを最近気づいた次第)の映像をみていたら、ロック・バンドのフランツ・フェルディナンドが出てきて、そこで、(映画とは全く関係ないところで)何とも言えない妙な感じ、というか気分で、何かが引っかかっていた。何かをどこかで、ものすごく昔、見た感じなのだが、それが想い出せない、という状況である。最近、こんなことがよくある。

 で、こんなことは、ふとした事で思い出す、訳である。それは、フランツ・フェルディナンドだった。このバンド名は、第一次世界大戦のきっかけとなった「サラエボ事件」で暗殺された大公の名前からとっている(すっかり忘れていた訳だが)のだが(ちなみに、これはバンド的には、単に語呂が良いだけ、という理由だったと記憶している)、このフランツ・フェルディナンド大公にちなんだ、摩訶不思議な博物館が、建築家のハンス・ホラインによって提案されていた、という記憶だった。おぼつかない記憶によると、その不思議博物館には、考古学的な古墳があって、そこで来場者は埋蔵されたお宝を自由に掘り出すことができて、壊れた遺品が誤って鑑定されて展示ケースに並んでいる、という感じの設計(?提案のようなもの)だった。

 そこまでは想い出したのだが、細かい所までは想い出せない。ずっとモヤモヤしているのも何なので、ちょっと調べ始めたのだが、これが中々大変なことになった。まず、ハンス・ホライン関係の本がなかなか見つからない状況に若干静かな衝撃を受けながら、ネットでもこれといって情報にたどり着けない。あまりに時間の無駄な感じがしてきたのだが、乗りかかった船という感じでリサーチ(大したことはないのだが)を続け、古い建築雑誌で、やっとたどり着けた。ヤレヤレ。

 その、不思議博物館は、メンフェングラートバッハ市立美術館での展覧会(1970年(ワオ!小生の生まれた年だ))の展示作品で、フランツ・フェルディナンドをモチーフにしていた(しかもメイン・モチーフではなかった)のは、1972年のヴェネチア・ビエンナーレの展示だった。ということで、ニアミスであった。ただ、若干言い訳すると、この二つの展示は、非常にコンセプトが似ている(ように感じる)、のである。

 映画『ちょっと想い出してみただけ』(監督:松居大悟)が、映画監督のジム・ジャームッシュの作品『ナイト・オン・ザ・プラネット』にインスパイヤ―されてつくった、ミュージシャンの尾崎世界観がつくった楽曲を、モチーフにしてつくられた映画(と、これも相関関係の連鎖がありまくる訳だが)、ということもあり、映画館では何故かジム・ジャームッシュの総集編のようなパンフレットが販売されいる(ちなみに、これはちょっと前のはなし)。これがコンテンツとヴォリュームの両面から素晴らしく、思わずゲットせずにはいられない。

 さて、ジム・ジャームッシュのパンフをパラパラと眺めながら、ちょっと想い出してみた、だけで、「何か、ここのところ無駄に大変だったなぁ。別に何かを得た訳ではないんだけど。。。それにしても、摩訶不思議博物館はヤバいなぁ。。ハンス・ホラインは若干世間から忘れかけられている気配やけど。。。」と、独り言つ、今日この頃である。そして、また、『ナイト・オン・ザ・プラネット』をビデオで観ていた頃の30年くらい前を、ちょっと想い出してみるのである。うむ。合掌。(TM

2022/06/17

SDGsの授業

 大学も1学期が終わり、2学期に入る。写真を整理しながら、1学期で終了した授業を振り返っている今日この頃。武蔵野大学に「SDGs」という授業が昨年度から開講されているのだが(1年次の教養授業のような位置づけのような科目である)、今年度は学科の事情もあり、おそらく今年限定ということで、この枠組みの中で「SDGs基礎」という授業を担当することになり、その授業が1学期終了とともに無事に終了した次第。学生は選択できずに大学に自動的に振り分けられる仕組みなので、こちらもどんな学生が受講するのかが直前まで分からないのだが、この度は薬学部の学生を受け持つことになった。

 この授業、おそらくオーソドックスに考えると、SDGsの各項目を学習しながら、学生間でのディスカッションや勉強会等をふまえながら、分析(のようなもの)をおこない、何らかのレポートや提案を作成し、発表をする、という流れになる、ということが想像できた。

 さて、そこで、自分の学生時代(しかも1年次)を真剣に思い出してみることに。出した結論は、「普通の講義授業だとつまらないので学生の記憶に全く残らない」(と思われる。実際、自分がその通りなので)ので、「他の授業ではできない、何か変なこと(だけど何かクリエイティブなこと)を学生に体験してもらおう!」、ということを思うに至った。

 そこから、いろいろと考えていく作業が大変だった訳だが、そのモチベーションで思案した結果、授業の最終到達目標の指針を、『「SDGsをふまえて」(これは、勿論当然のこと)、「協働で」(これも全学的に求められていること)、「デザイン的な側面から」(ちょっと建築学科のテイストを加えてみた)、「自身の身体を使って表現(パフォーマンス)せよ」(!、っとこれは、おそらく他にないだろう)』と設定した。

 後は、学生のみなさんが、“笛吹けど踊らず”状態になったら、哀しいなぁ、という若干の不安があった訳だが、最終的に、予想を超える最終成果(パフォーマンス)をみせてくれて、静かな感動を覚えた。

 授業期間中、突然モノづくり(作品デザイン&制作)をさせられたり、変な映像(映画『家族ゲーム』のラストシーン、暗黒舞踏集団「山海塾」のパフォーマンス、現代アート作家のアーウィン・ワームの作品をモチーフにして映像ディレクターのアントン・コービンが撮影したショートフィルム、ミュージシャンのファットボーイ・スリムの楽曲“Praise You”のPV、等々)をみせられたり、と、薬学部の学生も大変だったと思うが、学生たちに何らかの刺激が提供できていれば(&今回の授業の意義のようなものを10年後くらいにでも思い当ってもらえれば)、それは嬉しいかぎりである。

 ということに想いを馳せながら、季節はすぎていくのである。おそらく、教室に、ファットボーイ・スリムが爆音で響き渡ることは、もうない。(TM

2022/06/10

AACA賞

 日本建築美術工芸協会が主催する、AACA賞(第31回、令和3年度)において、「むさしのエコ re ゾート」が入選の運びとなり、表彰式に出席する機を得る。新型コロナウィルスの影響もあり、表彰式のタイミングもかなりずれ込んだようだが、無事開催された。現地審査の時に、施設がコロナワクチン接種会場として使用されていたため、見れる場所がかなり限定されており非常に逆風だった訳だが、ひとまず、一定の評価を得ることができ良かった。

 今回は、エコreゾート単体での応募だったが、今後、「武蔵野クリーンセンター・むさしのエコreゾート」と一体の応募案件もあるため、いいかたちで建築の評価がされていくことを願いながら。今後の展開が楽しみである。(TM

2022/06/01

文学館のトンネル

 ゼミの建築施設見学で、早稲田大学の国際文学館を参加希望のゼミ生と訪問。入館には事前予約が必要という、一定の煩わしさがあるのにもかかわらず、館内は来館者でいっぱいだった。これは、村上春樹人気の影響なのかは、分からないところではあるが、この静かな賑わい性は非常に感心してしまう。

建築自体は、よくメディアで見かける、床を減築して3層吹き抜けにした本棚のトンネル状の空間が見どころである訳だが、その階段状の場所に座って、まわりにある本を取って読むという行為は、素直にいい感じがする。建築的には特に新しい発見がある訳ではないのだが、細部までソツなく設計されている様子は伝わってくる。少しキレイに仕上げすぎている感じが、好き嫌いが分かれるところかな。

 徐々に学生の活動の範囲も広がってきている。元気に、いろいろと吸収して欲しい。(TM