2015/07/22

設計演習での評価考

  武蔵野大学の3年生前期の第2課題の講評会。課題は『次世代のミュージアム』で、品川にある原美術館をどう新しい美術館に再生するか、というもの。原美術館という存在自体をどう捉えるかということと、建築のリノベーションをどのフェーズでおこなうか、ということに学生は臨む訳なので、非常に(ある意味)難しい(けど、やり甲斐のある)課題といえる。
  さて全体的な印象としては、突出した出来栄えの作品はみられなかったのが残念ではあったが(まぁ、例年この傾向が強まって来ている所が悩ましい所。学生諸君の後期での更なる奮起を期待したい。)、そこそこ案のバリエーションも多彩で個人的には楽しめた。が、ちょっと講評会の中で面白いことがあった。
  ある学生の作品への講評で、ある先生が「この案はつまらない。」という点を指摘された。展示室の狭さ(細さ)と、個々の展示室が執拗なまでに連続してく構成を批判されていたのだが、その指摘されたポイントは、僕はことごとく面白いと思って評価した所だったので、その事実が面白くて、思わず(密かに)笑ってしまった。
  で、こういうことは得てしてある。どちらが正しいという訳ではなく、見方が変わればまったく正反対のことが導かれてしまうということだ。言いかえれば、絶賛されることとボロクソに否定されることは、時として表裏一体の関係にある、というこだ。
  最後に全作品の評価を担当教員全員でおこなう訳だが、1位や2位の評価となる作品は総体の評価が高い作品ということになる。でも、それらの作品を見ながら、さっきの「つまらない」という評価を一部で受けた案のことを考えてみると、こっちの方がいいんじゃないか、と思えてきた。さすがに評価が確定した後だったので、チャブ台をひっくり返すのは止めたが(ひっくり返すに足る完成度が作品には未達だったということもあり)、本当にいい作品というのは、なかなか見出すのは難しいのかもしれないなぁ、と感じた。
簡単にいうと、皆が平均的に良いというものが本当に良いとは限らないのである。絶対。だからこそ、建築はその評価というものも含めて語られるべき存在なのかもしれない。「人知れず名作というものが、必ずどこかにあるぞ!、俺も見落としているのかもしれない!、だからこそ建築は面白い。。。」、と、全く講評会とは脈絡のないところで妄想に走りながら、そんな風に有明の夜も更けていくのでありました。 (TM)