2021/10/26

トーキング・ヘッズのいえ

 先週の話になってしまったが、武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4)の第1課題の講評会を開催。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の家シリーズの課題を提示する。もうこれも16年目(!)に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。

 今年度は「アメリカン・ユートピア」が今年日本でも上映された、ということで、「トーキング・ヘッズ」を投下。例年の出題対象のバンドとは若干異なり、超メジャー・バンドではない(トーキング・ヘッズのコアなファンの方にはこの表現ですみません)、というところが特徴か。当たり前のように学生世代の人たちにとっては、全く未知の存在のようで(ちなみに「アメリカン・ユートピア」の映画を観た、という学生は一人もいなかった)、まずは知るということから始まるのである。約3週間の短いスパンだが、履修者6名が課題に取り組み、66様のそれぞれ面白い提案が完成した。

 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。さまざまな技術や技能がどんどん展開していくこの世の中なのだが、最後は手描きのスケッチや絵が、まあまあパワーを持つということを今年も感じさせられて(もちろん、これは良いと思っている訳だけど)こういうのも大切だよね、と、完全に自己満足(及び、自己弁護(!))しながら講評も無事に終了。後、やはり建築自体がもつ力強さ大切さも改めて考えさせられた。

 さて、課題全文を下記に流します。学生諸君には第2課題も健闘を期待します。(TM)


■課題:「Talking Heads のいえ」 (指導担当教員:水谷俊博)

「スーパースターの家」シリーズの第16弾の課題は、ロック史上において、アメリカ(ニューヨーク)のインテリ派ロック・バンドの代表である、トーキング・ヘッズ。現在進行形で映画『アメリカン・ユートピア』が日本公開されており、トーキング・ヘッズが鳴り響いている。

トーキング・ヘッズは1974年に結成。デヴィッド・バーン(Vo&G)、ティマ・ウェイマス(B)、クリス・フランツ(Ds)、ジェリー・ハリスン(Key&G)4人編成(が基本のメンバー)。デビュー当時は、音楽的にニューヨーク・パンク・バンドのカテゴリーでみなされていたが、その後、ポスト・パンクやニュー・ウェーブの位置づけにもあったり、アート系の出自もありと、単一の音楽範疇にカテゴライズしづらいバンドである。また、黒人音楽を大胆に採り入れて音楽イメージを展開させていった経緯もあり、その流れも音楽評論家からは賛否両論[1]があり、話題は多い。

デビューアルバム『サイコ・キラー’77』に始まり、プロデューサーのブライアン・イーノ[2]と組んだり、先述の黒人音楽音楽へアプローチしたり、多様な民族音楽の要素を組み合わせたり、と多岐な前衛性を押し出しながらも、ポップ性(商業性)を的確に表現しながら、独自の音楽性を展開していった点は唯一無二と言ってもいいだろう。91年にバンド解散後も、フロントマンのデヴィッド・バーンは精力的に音楽活動を続け、現在も一戦で活躍をしている。

また、最大の特徴は、映像とのリンクである。83年に5作目『スピーキング・イン・タンズ』をリリースし、そのツアーの様子を映画監督のジョナサン・デミにより、『ストップ・メイキング・センス』のタイトルで映画化。史上最高の、音楽ライブ映画の一つという評価も得ている。86年はバーンが監督した映画『トゥルー・ストーリーズ』を公開。そして2020年、映画監督のスパイク・リーが、デヴィッド・バーンのライブの様子を収めた『アメリカン・ユートピア』を制作。ローリング・ストーンズ誌が2020年度のベスト映画3位に選出するなど、全世界で高い評価を受ける等、その創作コンテンツは音楽の枠をはみ出し(著書、映像等)多岐にわたる。

もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターのたちのいえ』[3]というコンペの課題である。今年度は、その『スーパースター』という像をどうとらえられるかということを、ロック史上でも希有な存在であるバンド、トーキング・ヘッズの存在を冠して考えてもらいたい。   

課題へ取り組む糸口は、数多ある。トーキング・ヘッズ自体のイメージ[4]、ストップ・メイキング・センス等のアート的なパフォーマンス、デヴィッド・バーンの音への探求、バンド内バンドのトム・トム・クラブ[5]、或いは『アメリカン・ユーとピア』の演劇性、ロック史が激動する70年代~80年代(&~現在)という時代性、各々のメンバーや楽曲群、歌詞等など。

課題は、例年通りの前置になってしまうが、様々な社会性や文化性を持ったバンド(今もバーンは一応現役)、トーキング・ヘッズというバンドの住まいを設計することではない。音楽という世界を通して創造をしているトーキング・ヘッズの拠り所としての概念(→空間)はどのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな提案を期待している。


[1] 音楽評論家の渋谷陽一氏は、アルバム『リメイン・イン・ライト』に関して、「トーキング・ヘッズの黒人音楽へのアプローチは批判性に欠け、黒人音楽にないオリジナリティを感じられない、という点が、バンドの危うさを感じる。」と当時批判している。

[2] バンド、ロキシー・ミュージックの元メンバー。アンビエント・ミュージックを開拓した第一人者として評価をされ、音楽プロデューサーとしても、トーキング・ヘッズの他、デヴィッド・ボウイやU2、ディーボ、ウルトラボックス等多数のアーティストを手掛ける。

[3] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。

[4] 余談だが、村上春樹著の小説『ダンス・ダンス・ダンス』の作中で、トーキング・ヘッズのTシャツを着た少女が登場する場面があり、「『トーキング・ヘッズ』と僕は思った。悪くないバンド名だった。ケラワックの小説の一節みたいな名前だ。」というくだりがある。

[5] 81年以降、バンド内バンド「トムトムクラブ」が結成され、アルバムもリリース。トーキング・ヘッズ解散後も断続的に活動を継続。