2011/01/06

2011スタート

 2011年が始まった。
 年初めから父親の3回忌、年末に緊急入院した祖母のお見舞い、今年は本厄なので厄払いと立て続けに、深いコンテンツでスタートする。
 祖母は今年90歳になる。2年前の父の葬儀の時に会えたがその時以来。高齢なため、もう僕のことが誰だか分からないような状況だ。一抹の寂しさは感じるが、見舞った病院では身体は元気そうだったので少し安心する。おそらくもう病院から出ることはできないだろう。母は「人間、歳をとることは、こういうことなんだよ。」という箴言を呟きながら看病をしている。時は流れている。祖母が病室の窓を眺めながら「あ、飛行機がとんでるね。」と言ったのが印象的だった。僕の目でもかなり注意しないと分からないくらい、小さく空に浮かんでいたが、それを目にとめて口にしたのだった。なぜか、妙に感心してしまった。   
 父の3回忌も無事に終わった。思えば父が亡くなってから、父に関してはいろいろな想いを封印しているような気がする。と、お坊さんの読経を聞きながらふと思う。父が亡くなったことで何が自分の中で起こったか?と少し考えてみる。大切な人をなくしたときの思い。大切な人をなくした後自分はどう歩んでいくべきかという心持ち。そして、そもそも大切なものとはどういうものなのか?と考える内なる省み。そんなことを、すべてひっくるめて感じるようになったのだろう。まあ、漠然としていて分からないような感覚ではある。言葉にするのは難しい。コーエン兄弟監督の『ノ―・カントリー』の最後を想い出す。トミー・リー・ジョーンズが演じる警察官が奥さんを相手にダイニングテーブルで自分のみた夢について話すシーン。彼は夢の中で雪の中をトボトボ歩いているが、後ろからすでに亡くなっている父親がロウソクを燈した篝火を持ちながら歩いてきて先に進んでいく、というくだりである。何のメタファーなのかはさまざまな考え方があるだろうが、どんなに状況でも火を燈しながら前に進むことによって何か未来へのてがかりを感じる、ということなんだろう。ある意味、ブルース・スプリングスティーンの『Dancing In The Dark』の世界だ。これは僕なりの(かなりの)意訳。

君は火を熾すことができないんだ。なにもなければ火を熾すことはできない。
なにかが火を燈すためにそこにある
たとえ僕たちが暗闇で踊っているとしても。
ヘイ、ベイビー!

この最後の、「ヘイ、ベイビー!」がいいんだよな。
そんなこんなで、2011年が始まりました。
そして、2011年のテーマは、これにした。
『「前進!前進!!前進!!!」の旅だぜ。』
前進あるのみ!ロッケンロール。