2011/10/29

豊田・金沢行軍


 美術館の設計をしていることもあり、どうしても見ておきたい美術館に見に行くことに。1泊2日の強行軍で、豊田市美術館(谷口吉生氏設計)と金沢21世紀美術館(SANAA設計)をみにいく。金沢は3回目だが、豊田はなんと初めての訪問。なかなか名古屋までいく機会があっても行けなかったので、“ついに”という気持ちも若干ある。
 金沢はやはり現在の建築の流れをつくっている(と僕は思っていますが)、という感があり現在の流行りの元祖的な空気感が漂っている。例えば、内藤廣さんが雑誌で石上純也さんのことを「極北に立って設計している」(すみません、表現はうる覚えなので正確ではないかもしれません)、と表現されていたが、極北への出入口的な作品だ。材料の選択や納まりなどは勝負をかけている様子が伝わってくる。
 豊田は、(まあ、まったく感想になってしまいますが)、ある意味その対極にある。と思う。ある意味、極南。ん?違うかな?いずれにしても、確かな素材感。そして確かなディテール。そして確かな存在感。建築家の大塚聡さんが、豊田を評して、「蜃気楼が建っているように見えた」と表現されていたが。さすがに、僕には蜃気楼とまでは見えませんでしたが、そんな気持ちは分からないでもないなぁ、と痛感した。
もうどっちがいいかは好みも問題かな、と思ったりする。極北か、極南か。。。
ふと、表現をするというのは、本当に難しいものだなと改めて思う。それは建築の作品に限ったことではなく。
ちょっと話がずれてしまうが。もっと、普段の僕たちのコミュニケーションに関わるようなことも含めてのはなしも考えてみる。
本当の自分の想いや意思を伝えるのはなかなか微妙なものだ。人は時に妙で突発的な行為をして、傷つけたり傷つけられたりして、真実やホントの気持ちや真意をなかなか伝えられないものなのだなぁ、と感じ入ってしまう。
 ましてや建築による表現は、いわんやをや、である。
 さて、我に返って、僕たちはどっちに進むべきかと考えてみる。極北も極南も取られてしまった。では、東か西か。そんなこと構わず、ど真ん中にストレートでいいんじゃないか。ホームランを打たれるかもしれなれど。腕を大きく振ることを心がけて直球を投げ込むだけだ。狙うは絶妙にズバッとアウトロー。
それでいいのだと思う金沢の夜。