2025/12/10

涸れ地とXTC

 自宅のダイニング・スペースの横の小さな棚に、その時の気分でレコードを立てかけている。

 今回は、マーヴィン・ウェルチ&ファーラー(MWF)の『セカンド・オピニオン』と、XTCの『Year Of The Cat』。

 MWFのセカンドは、史上最高のレコード・ジャケだと思う。毎夏このアルバムを一定期間聴いている。サウンドも最高。XTC3rdはスティーブ・リリーホワイトがプロデュース。パンク系の音から転換していく過渡期の秀作。

 ジャケのデザインはどちらもヒプノシス。素晴らしい!元気にいきましょう。(TM)

2025/12/08

空間造形:追憶のハイウェイ61

 だいぶ、時間が経ってしまい、すみませぬ。。。

 武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4の第1課題の話し。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の空間シリーズの課題を提示する。もうこれも20年目(!)に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。

 今年度はボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』を投下。学生世代の人たちにとっては、ほとんど未知の存在の様子で、まずは知るということから始まるのである。そして、ボブ・ディランの世界、あまりにも広くて、かつ、深し!という訳で、始めにやはり『名もなき者』の映画映像を観る訳である。約3週間の短いスパンだが、履修者7名が課題に取り組み、77様のそれぞれ面白い提案が完成した。

 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。だが、作品のコンセプト、及び、そこからつくられる建築(らしきもの)の相関関係の妥当性は当然のごとく求められ、建築(らしきもの)自体の面白さ、及び、作品自体のメッセージ性に圧倒的な説得力がないと、つまらない、のである。

今年は、いわゆる建築っぽい提案が多かったかな。もっと暴れてもいいんだよ!、と、無責任に(笑)指導教員は、思う訳であります。そうして、講評会も無事に終了。第2課題も更に面白い、学生の作品提案に期待したい。

さて、例年通り、課題全文を下記に流しますので、どうぞ。(TM)


2025年度 課題:空間創作:『追憶のハイウェイ61

「「スーパースターの家」シリーズも20課題(コロナ禍で1年飛ばしたので、実働21年目)続いたことになる。もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターたちのいえ』[1]というコンペの課題である。2022年までは、スパースター(アーティスト)を対象としてきたが、2023年度からアーティストの作品自体を課題の素材としている。対象作品は、『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ61)』(ボブ・ディラン)(あの、『ライク・ア・ローリング・ストーンズ』収録)とする。   

『追憶のハイウェイ61』は、(何と60年前!1965年リリースの6作目。ロック史上における名盤のひとつとして挙げられる。前作(『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』)でフォークからロックのサウンドを取り入れた方向性を深め、本作で当時のディランの評価と、フォークからロックへの転換を決定づけた。当時のフォーク・ファンのアイコンであったディランのロックへの音楽性の転換、及びプロテスト・ソングからの別離は、ファンに大きなショックを与えた。このアルバム発表後の1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルに、黒い革ジャン姿でエレキ・ギターを持ってステージに立ったディランに対し、聴衆が大きな罵声を浴びせ、一旦引っ込んだ彼が再びステージに上がり、「It’s All Over Now,Baby Blue(すべては終わった)」を涙ながらに唄った、というのは、あまりに有名な話である。(このあたりは、今年2025年に日本でも公開された『名もなき者(監督:ジェームス・マンゴールド)』でも(事実との若干の改変はありながら)描かれている)。

さて、ボブ・ディランだが、過去の伝説的なアーティストではない。84歳となる現在も、トップアーティストとして活躍を続けている。『追憶のハイウェイ61』の次作『ブロンド・オン・ブロンド』で初期の絶頂期を迎え、第2のピークと呼ばれる70年代には、これまた最高傑作と評価される『血の轍』をリリース。80年代終わりからネヴァー・エンディング・ツアーをスタートし年100回のライブを現在も継続中。2016年にはノーベル文学賞を受賞。2020年代に入ってもオリジナル。アルバム(通算39作目、『ラフ&ロウディ・デイズ』)をつくりつづけている。

この課題は、『追憶のハイウェイ61』を(“音楽→建築”という世界を通して)再解釈することにより、建築的な思考や概念を再構築し、それによって創作し得る空間や建築は、どのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな新しい建築提案を期待している。


[1] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。

2025/12/03

座けんちく展

 研究室で吉祥寺の「キチジョウジギャラリー」において、展示をおこなっている。
 小さなギャラリーだが、まわりの環境も含めて、非常に居心地の良い展示場である。
 この会場では7年振りの展示。

 学生ががんばって企画したので、近くにお越しの際は是非見てください。(TM)



2025/12/212/7

場所:キチジョウジ・ギャラリー

キチジョウジギャラリー | 吉祥寺・井の頭公園の貸しギャラリー

座けんちく展

2025/11/03

トロールの森2025

杉並区の善福寺公園で開催されている屋外アート展『トロールの森2025』に作品を出展しています。

野外×アート  トロールの森 (trollsinthepark.com)

 作品名は「Planet Waves」。

 参加型のインスタレーションで、日々作品の姿が変化します。アート展の雰囲気ともども、場の楽しみを味わっていただければ、うれしい限りです。

 会期は20225/11/3から23日まで開催しています。入場無料ですので、お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。 (TM)

2025/10/21

ダーティ55(ちょっと)続

何度も、かたじけない。の、ですが、

誕生日の翌週に、学生が覚えてくれて、「イスをつくる」授業でサプライズに盛大に祝福をいただく。ありがとうございました。

自分が生まれた年(1970)に何があったか?、という質問を学生に投げかけて、前の大阪万博に関して触れる。そして、今回の万博も少し触れてみる。両者を比較すると、時代の移り変わりを感じずにはいられない。

70年の万博で建った建築物もほとんどが消失し、今は、岡本太郎の太陽の塔だけが、厳然と立っている。そこにロマンがある。。。のだと思う。。。

元気にいきましょう。(TM)

2025/10/11

アーチの森2025

武蔵野大学の学園祭、摩耶祭が開催。

例年、大学で展開している実習授業で木造仮設建築物(我々は「アーチ」と呼んでいる)を設計・制作している。

1日目はあいにくの雨模様。

明日は、雨がやみそうなので、ご来場されましたら、是非ご覧ください。

来年以降も乞うご期待! (TM)



2025/09/26

ダーティ55

 9月に入り、中国江西省出張、学会大会(@福岡)、関西出張、と続き、大学が後期開始、ということで、ぶっ倒れそうな程、怒涛のような一月だった。ブログは全くUPできる隙がなく、そして、あっという間に時が過ぎ去っていた!(う~ん、言い訳ですね。すいません。。。)

 中国のの話とかは、遅ればせながら、またUPしますね(多分、、、汗。。)。(ちなみに研究室のインスタ(mizutani_lab(武蔵野大学 水谷俊博研究室))に投稿してますので、そちらもどうぞ。)

 そして、そんなこんなをしているうちに、私事で恐縮ですが、不肖、私めが55になりました。うっ、四捨五入したら、、、60が、、ってもうやめよう(笑)。

 この歳になってくると、嬉しいか?と聞かれれば、もう微妙な感じになってきてしまっているが、まあ、お祝いいただくのは、本当に嬉しいものですよね。

 またひとつ歳をかさね、更に精進いたします。(TM)

2025/08/31

ヒトコブラクダ層戦争

 夏の比較的時間がある時をみつけて、積読状態にある文庫本をポツポツと読む。万城目学著、『ヒトコブラクダ層戦争』。万城目作品は久しぶりのような気がする。京都で学生時代を過ごした身としては、やはり『鴨川ホルモー』が思い出深い。

 さて、本作は、舞台はイラクの砂漠地帯、という訳で、あたかも彼の地へと行ったような気にさせられる(とはいえ、小説の内容は、砂漠のゾンビと戦ったりと、あまりのんびりとした気分には浸れないが)。上下巻に分かれていて、1,100ページに及ぶ力作。小説を読むのは、旅をするようなもの、と感じさせる。

 さて、小生、9月はじめより、中国の江西省に調査出張で赴きます(その後、福岡へ学会と、怒涛の2週間)。また研究室のインスタやこのブログにUPします。(TM)

2025/08/30

推し活とピーターとわたし

 子どもの推し活の付き添い、ということで、ライブ(?、イベント?)の付き添いで、横浜まで。推し活のライブ、というものを初めて体験して、「お~、こういうことなのか!?」と新鮮だった。会場は、ぴあアリーナ、ですごい数のファンが、推しを見守っていて、愛に溢れていた。いや、すごいですね。

 そして、打って変わって、自分のはなし。アーティストの大貫妙子のライブ『ピーターと仲間たち2025』に、恵比寿ガーデンホール(ぴあアリーナのキャパの40分の1!久しぶりに来た感覚。多分、1999年のイアン・ブラウン(ちなみに、元ストーン・ローゼスのです。念のため。)来日以来。)へ赴く。大貫妙子が80年代初頭に制作した楽曲群(いわゆるエレクトロニック・ミュージックに分類されている)が、当初はなかなかライブでの再現演奏がしっくりときていなかったのだが、技術の進歩とともに現在パフォーマンスが可能になった、とのことで、2年ほど前から開催されている。このライブも愛に溢れていて、素晴らしいの一言に尽きる。大貫妙子さん、生で歌唱を観れたのが感動。合掌。

 ふと、これも、もしかしたら推し活、なのか?!と自問自答。

 かたちは、いろいろあれど、推し活、最高!、ということであります。熱烈に暑いけど、元気にいきましょう。(TM)



2025/08/29

オールスター観戦

 この夏の思い出と言えば、プロ野球のオールスター戦を観戦した、というのが大きなトピックだった。

 この歳で、オールスター観戦は、初めて!だったので、感動した。一緒に行った子どもは昨年も観戦しているので先を越されているのだが、やっと子どもに追いついた!、という感じ。

 会場は横浜スタジアム。何か、スタジアム直近に大きなタワマンが新たにそそり立っていて、景観が若干微妙な感じになっているのだが、、、まあ、仕方ない。

 我がバファローズの頓宮選手がホームランかっ飛ばしてくれたので、最高な夏の一夜、でありました。後は後半戦、バファローズが3位に踏みとどまれるかが、個人的には最重要案件である。もう神頼みだな。合掌。(TM)

2025/08/27

設計演習の講評会2025

 えー、っと、また、油断している隙に、ブログの更新が滞ってしまった。この暑さにバテバテで、、、って、良い訳ですね、はい。すみません。

 子どもたちが夏休みの宿題の絵日記をしているのを横目でみながら、こっちも絵日記的に夏のブログをポツポツと書いていく所存です。

 今更の話なのだが、写真のデータを整理していたら出てきた、前期の設計演習(授業名「設計製図1」)の話。前期は、2年生の最初の設計演習の指導を、4人の建築家の方々としている。

 昨年度から始めた新たな取り組みで、A0の大きさで手書きのビジュアルを制作する、という課題を最後に提示した。結果的には、力作も一定数みられたので、良い取り組みだったと思う。

 AIの進歩も著しく、さまざまな方面でデジタル化が進んでいるが、その時代の波に敢えて逆らうかのような、超アナログな課題。ある意味、自分の身体と同じくらいのスケールの絵(ビジュアル)を描くという行為は、多分、学生のこれからの建築活動を展開していく上でも何らかの良い影響があると思っている。

 そして、毎年恒例になってきたが、教員おすすめの、「(見るべき)建築」、「(読むべき)小説」、「(観るべき)映画」を各教員から紹介。まずは、夏休みにでも是非、見るなり、読むなり、チャレンジしてもらいたい。そして、今後の成長、期待したい。(TM)

2025/07/22

晩節荒らし

 人間は突然何かの衝動に揺り動かされる時がありますよね?個人的には、“演劇を突然に観に行きたくなる病”にかかることがあるのだが、それが急に訪れた。

 という訳で(どういう訳だ?)、新宿シアタートップスで上演されていた、『晩節荒らし』を観劇(蛇足だが、シアタートップスは初めて。縦に細長いプロポーションの小劇場が他にない空間感覚で面白い)。俳優の山西惇と佐藤誓が本人たちが還暦を迎えたタイミングで突然結成したユニット、“らんぶる”の二人芝居(で、作・演出が福原充則)の第1回公演。

 ということで面白くない訳がない、という期待で観たら、期待の斜め上を完全にいく面白さだった。

 演出良し、二人の芝居良し、ということで、特に上演中程のあたりで、二人が不特定多数の人々を連続して次々と演じていくシーンは感動的だった。テーマが、人生の晩節、少し前、ということであり、50半ばの我が身にも。。。いやはや。ちなみに、キャッチフレーズが、

 「よくぞ来た。ここは一番最後の少し手前。思う存分振り返れ。あとはもう。あとはもうだぞ!」。

 いやー、沁みますな!さて、元気にいきましょう。(TM

2025/07/18

大阪万博2025

 関西に所用で赴き、少し時間をつくって、大阪・関西万博2025の会場に。

 個人的には1970年生まれで、母親のお腹の中にいたときに、この前の大阪万博を体験しているので、万博に関しては思い入れが強い。

 で、急に行くことを決めたので、パビリオンの予約などはどこもSOLD OUT状態で、予約無しパビリオンも長蛇の列、しかも酷暑ということもあり、パビリオンはあきらめて、会場の雰囲気だけを楽しむことにした。木のリングは、本当に素晴らしい。誰が見ても、すごいと思うであろう建築、これだけでも一見の価値があると思う。そして、この炎天下を考えると、このリングがないと来場者は、文字通り暑さで撃沈していたであろう。みんな、木のリングの下の地べたに座っている様子が、印象的だった。

 後、個人的な感想では、東京と、関西で、万博に対する評価が全く違う、ということを痛切に感じた。関西の知り合いに「万博どう?」と聞いてみると、ほぼ大絶賛で、否定する人は皆無。反して、東京の周りの人の反応は、まったくその反対!(のような気がする)。この地域差、そして、落差。いいよね!もう、グローバリゼーションとか言ってる場合じゃないで~!、ということを、東京在住関西人(私め)としては実感。

 この前、古い友人(彼は九州人)と万博について話をしていて、彼曰はく、

 「万博は、やっぱ、いいよね。世界中から、いろんな人種や立場の人が来てると思うけど、みんな同じように楽しそうにしてるし。そういうの見てるとこっちも幸せになるよね~。ずっと、万博やってると、戦争なんて起こらないんとちがうかな。」

 それは、大いに賛同!!税金使わないなら!、という条件付きで(笑)。

 でも、確かに、ジョン・レノンが歌っていたラブ&ピースが遠い昔の記憶になってきた今、こういう平和な状況は大切なのかもしれない。元気にいきましょう、ピース!(TM

2025/07/16

デヴィッド・ボウイを改めて

 いきなりですが、デヴィッド・ボウイについて。昨年度の武蔵野大学3年後期の設計演習で“デヴィッド・ボウイ”をテーマに扱ったので(詳しくは本ブログ20241031日の記事参照ください)、

CONSTRUCTION日記: 空間造形:ジギー・スターダスト

大学に自分の持っていた、デヴィッド・ボウイのアルバムを集結させていた。

 研究室の造作家具の改修を学生がしてくれていたので、荷物を整理をしていたということもあり、それを全部並べてみた。ついでに学生とも集合スナップをパチリ!

 改めて確認したら、オリジナル・アルバムで1枚だけ持ってなかった事実が判明。本ブログ記事一番下の写真をみて、それは何か分かりますか?(しかも、かなり有名な盤です。)

 正解者にはプレゼント差し上げますので、ご連絡ください!、、、って嘘ですよ!!(笑)。ちなみに、まったく個人的なデヴィッド・ボウイのアルバムランキング(ベスト5)を考えてみた。こんな感じ。

1位:『Outside(1995)

2位:『Station To Station(1976)

3位:『Let’s Dance(1983)

4位:『Ldger(1979)

5位:『The Next Day(2013)

  1位をちょっと意外なものにしてみた。後、オンタイムでは『レッツ・ダンス』からなので、甘めです。

 改めて50年に渡り、超一線だった事実に、リスペクトしかない。合掌。(TM

2025/07/14

座・高円寺

 何度も、何度も、目の前を通り過ぎている名建築。

 ってありますよね。個人的には、「座・高円寺(設計:伊東豊雄)」がそれであり、雑誌で何回も見直し、中央線に乗りながら幾度となく目の前に眺めながらも、遅ればせながら(にも程がある!)、ついに訪問の機会を得る。

 それもこれも、このブログでも何回か前にUPした、「マチダ不動尊」のライブの記事に遡り、その席で劇場の関係者の方をご紹介いただき、館内を拝見させていただくことになった次第。

 舞台の稽古などが落ち着いた夜の遅い時間帯にお邪魔して、劇場の裏方を含めて施設全体を見学させていただいた。百聞は一見に如かず、とはよくいったもので、実際に見てみてよく分かることがたくさんある。特に関心したのが、楽屋ロビーの充実具合で、このあたりは建築雑誌にはまず掲載されない(裏方でデザイン的には優先順位が低くなるので)場所なので、雑誌で図面をみているだけでは把握できてなかったな、と実感。同設計者の「長岡リリックホール」を拝見した時も同じように感じたので、その徹底ぶりは感服させられた。

 劇場は、小劇場ということで、ある意味芝居小屋のような空間のつくり込みをしていて、標準的な劇場とは違う劇空間ができている。後、エントランスの可動建具が全開できる仕組みが採用され(なので、入り口が自動扉ではない!)、その潔さも新鮮だった。

 次は、是非演目をしているときに観てみたい。年を重ねても新しい発見の連続だ、と改めて納得。元気にいきましょう。(TM

2025/07/11

ミッションは終わるのか?

 僕の周りでは、そんなに話題になっていない!マジか!!巷ではどうなんでしょう?

 えーっと、『ミッション・インポッシブル』の話です。『ミッション・インポッシブルーファイナル・レコニンングー』がいよいよ上映され、おそらくこれが最終話ということになっている。

 この映画のシリーズは、1996年に1作目(監督がブライアン・デ・パルマだったので、当時かなり驚きで観に行った記憶は昨日のよう)がスクリーンに登場し、30年近くをかえけて8作品が世に出ている(個人的には、『ローグ・ネーション』が一番好き!多分、シリーズのファンは、大多数がそう(だと勝手に妄想))。

 個人的には、『ロッキー・ザ・ファイナル』の時のように、映画館で号泣するのではないか(!)と思っていたが、大丈夫だった。

 それもこれも、終わり方が、あまりにいつも通りで、あっさりとメンバー達が立ち去っていくシーンで終わり、これが、また良いんだなーーー。、という感じで。いや、でも、トム・クルーズ偉大なり。もう、あのトム走り(シリーズ全編を通して、必ずトムが全力で疾走するシーンがあり、通称「トム走り」と言われている。そこは、もう歌舞伎の見得を切るような、「待ってました!」とファンが心で叫ぶシーン。)が見れないのは非常に残念なのだが、最大級の感謝と拍手を送りたい。

 ラストシーンがあまりにアッサリだったので、まだ続編があるのでは!と思わせてしまう。いや、切にトムに願わずにはいられない!いやはや、本当にお疲れさまでした。合掌。(TM

2025/07/10

住宅の設計課題

 

 あっという間に時が過ぎ、大学の設計演習のことをUPするのを忘れていた。今更!すみません。来週には次の課題の講評会なのだが、遅ればせながら。

 担当している武蔵野大学2年前期の設計演習(授業名「設計製図1」)の第2課題は住宅の課題。他の大学も漏れず(多分)、おそらく2年生の前半では住宅の課題に学生は取り組むことになる。

 この住宅の課題、最近、難しくなってきているような気がしてならない。なぜなら、世の中、コンプラ(略してすみません、、、でも、どうして、こう横文字ばっかり使うのかな、日本人、こういうの好きやね、とまた無駄に独り言つ)がどうとかこうとかで、色々難しくなってきているご時世なので、プライバシーはその最前線にある。訳です。

 なので、学生の提案は、かなりプライバシー重視!、質実剛健!、むっちゃ閉じてるやん!!って感じで、、いや、まあ、それはそれで正しい訳なんで、しょうがないんですが。。。

 “街に開く、とか、住宅の公共性、とか、そいううのも大切なんですよねー、というようなメッセージを学生には伝えながら、個人的には、いろいろと考えさせられる。そうです、正解はないので、いろいろ考えるべきなのであります。元気にいきましょう。(TM

2025/07/09

カリフォルニア・ガールズよ、永遠に

 7月に入り、もう真夏の日々。暑さにかまけて、ブログが滞り中。SNSを一切していないので、このブログのUPがなくなると、まわりの人たちから若干心配される次第。ハイ、すみません。しばらく、ちょっと前のトピックも含めて連続してUPする所存です(狼男にならないように!祈!!)。

 さて、少し前の話になってしまったが、ロック界の巨匠がまた星になった。

 ブライアン・ウィルソン。ビーチ・ボーイズのフロントマンだったが、さまざまなトラブルがあり、その人生は波乱万丈だっただろう。なので、ウィルソン兄弟の中で一番長生きした、という事実は驚きを禁じ得ない。

 個人的には、85年のライブ・エイドで、長年世の中に出て来ていなかったブライアンが出演していた中継に歓喜し、後、最近だと2016年(ってもう9年も前ではないか!)に来日したライブは涙なくして観れなかった(※詳しくはこのブログの2016413日の記事をご覧ください)。

CONSTRUCTION日記: Love and Mercy

 夏になって、疲れてくると、『カリフォルニア・ガールズ』を聴いて元気を取り戻すのが習慣になっている(ついでに、デヴィッド・リー・ロスのカヴァーも聴いて更に元気を取り戻すのがルーティーン)。そうです!元気にいきましょう。(TM

2025/06/25

素晴らしき哉、武蔵野の商店街

 一気に、暑くなった。しかも真夏級の暑さ。湿度も半端ないので、早くもバテ気味でダメだ。油断しているとブログも滞っています(いい訳がましく、すみません!)。

 さて、少し前の話になってしまったが、ゼミ企画で大学近くの、グリーンパーク商店会にお邪魔して、懇親会を開催。商店会の中にMIDORINOというシェアキッチン・スペースがあり、運営されている舟木さんにアレンジしていただき、盛大に開催。

 舟木さんのお話は以前からうかがっていたのだが、やっとお目にかかれたというかたちに。まずは、舟木さんに簡単にレクチャーをいただき、市内でも空き店舗の利活用をふくめて、いろいろと街づくりの実践を仕掛けられている様子をうかがう。行政の施策とはまた違った、というか逆サイドからの活動の在り方をいろいろとご紹介いただき、非常に勉強になった。学生も、まちづくり的なトピックを卒業研究(設計)のテーマに据えている例が多いので、大いに参考になったと思う。

 その後、懇親会に突入。15時開始だったのだが、あまりの居心地に、文字通り時が経つのも忘れ、気づけば21時!「ゲゲゲ、6時間もやってたのか!」ということで、充実した会でありました。舟木さん、ありがとうございました。

 さて、この会が、前期のスタートアップ的な位置づけになると思うので、学生には更なる前進を期待したい。(TM)

2025/06/10

木工講座












 武蔵野大学で担当している、木材で小建築やプロダクトを制作している授業の一環で、木工作家の渡邊浩幸さんにお越しいただき、木工作業の基礎をレクチャーいただく。履修学生全員に工具を使用してもらい、基本を実際に手を動かして学ぶということで、これを経験することによって、DIY的な作業とは一線を画したステップを踏めるようになる。学生にとっては、非常にありがたい機会である訳だ。渡邊先生、ありがとうございました。水谷研のインスタにも学生がUPしているので、ご覧ください。

 3時間超、みっちりと授業をして、その後、渡邊先生と学生スタッフとで、吉祥寺で懇親会。ドラマ『孤独のグルメ』にも登場したことのある名物店で、昼の定食などで有名なのだが、夜は飲みメニューも展開されるので、良い感じで打ち上げる。渡邊先生とは年代も同じくらいなので、話題には尽きない。アートや音楽等の話で盛り上がる。話しながら、“対象と主体としての審美眼、何のどこにこだわるか?”という事の大切さを改めて認識する(全て書くとキリが無いので、抽象的ですみません)。ま、それが全てといっても過言ではないかと思うのであります。

 さて、木工の授業も、今年度は前期で一つのクライマックスを迎える。学生が良い作品を制作することを期待したい。(TM)

2025/06/09

マチダ地蔵尊

 あっという間に6月に入る。梅雨の気配が、ヒシヒシと。という感じで、またブログ更新滞っております。ハイ、がんばりまーす。

 あまり知られていない事実かもしれないが、町田康先生が、我が武蔵野大学で教鞭をとられている。ご存知でしたか?!

 あの町田康!!芥川賞作家としての方が、今は世間的には周知されているような感じではあるが、かつては、町田町蔵として、パンクバンド「INU」のヴォーカリストとして、当時のインディーズという概念が生まれた時代に鮮烈な爪痕を残したことで、僕たちロック好きオヤジにとっては、憧憬の存在である訳で。

 その町田康が、こんな身近な存在になるとは、、、と思っていたのだが、もちろん、お会いする機会などもなく過ごしていた訳だが、文学部の土屋先生に、「町田康のライブがあるので行きませんか?」とお誘いを受け、0.3秒で「yes!!」の返信。

 「マチダ地蔵尊」名義のライブが、高円寺のライブハウスjirokichiで開催され、土屋先生と、同じく文学部の堀切先生、大島先生(お二人とは初対面)と参戦。Jirokichi50周年を祝うライブということだったが、町田町蔵が歌っている姿を見れるだけで感激。パフォーマンス自体も素晴らしく、“言葉”自体と“リズム”の大切さを、ダイレクトに感じられる体験だった。

 終演後、先生方と駅前の大将で一献。ライブの話とともに、文学の多彩なお話を聞けて、とても元気がでてきた高円寺の夜でありました。

 ライブの演奏曲の中で、歌詞に「ボン・ジョビ聴いたらバカ」っていう一節があり、爆笑してしまったが、帰宅して意外とボン・ジョビのレコード持ってる自分に気づく。「許してください、マチダ地蔵尊!」と祈りながら夜が更ける。(TM)

2025/05/25

大阪での邂逅

 最近、関西方面に赴くことが多くなり、佐藤総合時代にお世話になった、イノさんと久しぶりの邂逅。現在はイノさんは要職に就かれて、大活躍中。かつては、一所員として、先輩&後輩の間柄だったのだが、お互い(一応)成長している(と信じたい(笑))姿を確認し合い、開発された大阪の北側サイドで一献。20数年の歳月の重みを感じるのであります。はい。

 設計業界は意外と狭いので、お互いのトピックを語り合いながら、情報交流。いや、あっという間で、時間がたりなかったなぁ。また、今度!ということで、イノさん、ありがとうございました!

 帰りの大阪駅。新しくなってからじっくりと観る機会がなかったので、駅ビルを少しブラブラしていたら、上階で大きな広場を発見!この広場の光景が素晴らしく、人工芝の大らかな場所に、本当にたくさんの人々が集っていて、なかなか壮観である。大阪の元気な姿を感じられ、元気になる。地元の神戸も、続いて欲しいと痛切に感じる。元気にいきましょう。(TM)



2025/05/20

1枚目と猫年

 自宅のダイニング・スペースの横の小さな棚に、その時の気分でレコードを立てかけている。

 今回は、ピーター・ガブリエルの「1枚目」と、アル・スチュアートの『Year Of The Cat』。

 最近雨が多くなってきたので、何となくピーター・ガブリエルのジェネシス脱退後のソロ1stを。アルバムのタイトルを何故記さないのかというと、ピーター・ガブリエルのソロは4作目までは、タイトルが無いから(この辺り、ツェッペリンと同じ)。ので、一般的には、アルバム・ジャケットのビジュアルで、「スクラッチ」(2作目)とか「メルト」(3作目)と呼ばれていて、この1作目は「Car(車)」。だけど、個人的には1stと呼んでいる。全然売れなかったけど、名盤!この作品以降、ピーター・ガブリエルの名作群が生まれることになる、記念碑的作品。

 アル・スチュアートの『Year Of The Cat』も名盤!AORのカテゴリーだが、これは、それも超えた作品。物哀しい感じが魅力で、タイトルソングのクライマックスがB面最後、というアルバム構成も泣ける。

 ちなみに、ジャケットのデザインは両盤ともヒプノシスによるもの。これも素晴らしい!元気にいきましょう。(TM)

2025/05/16

団地の残像

 関西方面に赴くことがあり、甲子園方面へ。ちょっと足を延ばして、海に近い浜甲団地に赴く。

 祖父母が暮らしていた地であり、母が結婚するまでずっと暮らしていた場になる。幼少期は、団地の中の公園で、従妹たちとよく遊んだ記憶が甦る。正月は、甲子園の家に親戚が集まるのが慣習だったので、まあまあ大きくなるまで少なくとも年に一度、訪れていた。祖父母がなくなってからは行く機会がなくなってしまったが、今回訪れて、大きく様変わりしていく様子が見て取れた。

 団地は順次解体されて、新しいマンションに開発されている。祖父母の住んでいた棟は既に解体されていたが、隣の棟はまだ残っていて、当時の様子が窺える場が少しだけ残っていた。ギリギリ間に合った、という感じか。既に一帯は工事の仮囲いに囲まれていて、もうすぐ全て取り壊されるようだ。でも、新しく開発されているマンション群が、それほど良いとは思えない、、、というのは勝手な想いなのかもしれないけど。

 団地を通り過ぎて、海辺の海岸まで歩いてみる。この辺りも変わってしまったよう(大きなプールがあったはずだが、既にない)だが、海の様子は昔のままだ。団地の残像を思い起こしながら、ノスタルジーに浸る。まあ、そんな時間が少しあってもいいよね。(TM)

2025/05/10

今年初野球(観戦の方)

 2025年のプロ野球も開幕し、我がバッファローズは、前評判を覆し、首位を走っている!いや、素晴らしい。このまま優勝へ!!、とはうまくいかないのは重々承知しているのだが、束の間の夢を楽しみたい。

 連休の最後に、子どもたちのリクエストもあり、西武球場(ちなみに、球場の(最初の)設計は、意外と知られていないが、建築家の池原義郎。外野席からすべての観客がアプローチしていく球場の施設構成がユニークで面白い。)へ、2025年になって初の野球観戦。あいにくの天気で、この季節にしてはかなり寒い感じだったが、やはり野球場は気持ちいい。

 埼玉西武ライオンズvs福岡ホークスだったが、ライオンズ先発の上田大河投手が乱調のため試合序盤でほぼ勝負が決まってしまった。ライオンズファンの子供たちは残念がっていたが、まあ、今後のライオンズにも(投手陣が強力なので)期待したい。元気にいきましょう。(TM)

2025/05/04

レプリカたちの夜

 相変わらず、移動が多い。移動中の電車で仕事ができない性質なので、寝るか、ビールか、本を読んでいる。

 移動途中の駅で手に取った、『レプリカたちの夜』(一條次郎著)を読了。非常に奇妙で、でも面白い(そして読みやすい)作品だった。小説の冒頭、主人公が、自身が勤務する工場(動物のレプリカ)を作る工場の設定)で、大きな白熊に遭遇する場面からはじまる。時代や場所の設定が抽象的に描かれているのだ、本物の動物がすべて絶滅した近未来が舞台であり、その白熊が本物なのか、レプリカなのか?ということを主人公がさぐっていく。しかし、そのうち、同じ工場で勤務している同僚や、最後には自分までも、本物なのか?レプリカなのか?分からなくなっていく、というストーリーである。

 この感じ、映画『ファイト・クラブ(デヴィッド・フィンチャー 監督)』を想い出した。段々、自分という存在が分からなくなっていく、という感覚。ふと、歳を取る
というのは、こういうことなのかも、と感じてしまった。

 小説は、映画『ファイト・クラブ』のように、最後の強烈なカタルシスはないので、逆にある意味リアリティがあって、もの哀しい。いや、でもなぁ。。。まあ、そうですね、元気にいきましょう。(TM)