2013/04/30

直感の精度を考えてみる(いや、みたい!、、かな。。。)

 木工デザイナーの渡邊浩幸さんから久々に御連絡をいただく。

 何やら、先日ビビッときたことがあったのでメールをお送りいただいた模様。
 渡邉さんは、2011年度まで武蔵野大学で椅子の制作をおこなう授業を一緒にやっていただいていたということもあり、学生のデザインプロセスに関して思う所あり、とのこと。(渡邉さん、ありがとうございます!)
 糸井重里さんの「ほぼ日」で(すみません、このネタが偶然ですが続きます)、美術家の山口晃さんの「絵描きの美術論」というインタビュー特集があり、その中の記事について。
 渡邉さんによると、「武蔵野大学の学生のエスキースを見てきて毎年不思議に思っていた事が、かたちの絵を描くのではなくて、エスキース帳には文章がびっちり!!!かたちを考えるのに何で文章なのでしょう?とずっと不思議でした。」ということでした。
 確かに、この山口晃さんの特集で、デザインプロセスにおける文章化への問題点が非常に分かりやすく、身をもって感じることができるので、学生のみなさんにも是非読んでもらいたい。
 大学でも設計演習の授業が始まったが、いつも「とにかく手を動かせ!」と叱咤しているのが、何故か?ということが多少は分かるのではないかと思う。そして渡邉さん御指摘の通り、文字化一辺倒の弊害が少しでもなくなれば進歩かな、と思ってみる。
 僕個人的には山口さんが言われている「明快でありながら、わけがわからない」デザインというものに非常に共感をしてしまった。前橋でも少し同じようなことを考えていたので、なるほど、なるほど、と思ってしまう。
 山口さんが言っているように、自分でも、はっきり答えられない、ということが、良い作品というものにつながっている、と。作品の意図を一つ一つ答えられるようなものは、「やがて、その「つまらなさ」に気づきます。そうじゃなくて、描いた自分でも困っちゃうくらいのほうが見るほうの人もいろいろな「読み解き」ができるんですね。」と。
 ただ、建築はアートとはまた別の説明責任もあり、これは避けては通れないので、全てが当てはまるかどうかは何ともいえない所。僕自身も改めて建築のデザインについて考えさせられる。うむ。全てを言葉にはできない、ということの良さをどう伝えるか?もちろん現物を見てもらえれば、って話になるけど、、、なにか表現の仕方でできないかな、と思ってしまいます。
 うむ、そこが難しいんですよね。。。
 考える日々が続きます。。。(TM)