2015/02/28

京都→岡崎で建築をみる

  京都方面へ赴く。ついでに宇治上神社と改修を終えた平等院鳳凰堂をみる。宇治はほぼ10年ぶり。個人的には、宇治上神社にはある意味建築の根源的な良さが表出しているのではないか、と思っているので(直感にしか過ぎないけど)、非常に興味深い。やはり本殿と拝殿の一体的な断面構成が秀逸で、土地そのものに根差した存在感を出している空間構成にはいつ見ても感動。本殿と拝殿のレベル差と、それをつなぐ間の空間のプロポーションが絶妙で気持ちいい。それに呼応するように拝殿蔀戸が外開きと内開きの異なる2種類が正面、背面に設置されており、その特殊な構造が、この2つの建築を結ぶ大きな装置のような役割を果たしている。こんな考えは普通に現在の建築でも使うことは多いので、歴史の重みを感じざるを得ない。そしてこのある意味、空間的に秩序だった構成と対比をなす、本殿のディテール。側面の開口構成の相違や、垂木のピッチ(繁(しげ)と疎(まばら))のランダムさは、現代の建築のアヴァンギャルドな面白さと通じるところがある。さて、何故こうなっているのかは未だに謎のようだ(多分)。ちなみに、本殿は現存最古の神社建築(平安時代)、と言われているので、いやはやおそるべし。
 京都方面から名古屋を経由して、帰路の途中に岡崎市の岡崎市美術博物館(設計:栗生明)に立ち寄る。これもなかなか観覧する機会がなかったので、今回やっと来れたという感じ。たまたま、宇治で平等院ミュージアム鳳凰館を見たので、ランドスケープと一体となった同一の設計者による建築をみることになった。それにしても、来館者の数が両者でまったく違うのが、まあ当たり前と言えば当たり前なのだけど、やはり静かな衝撃だ。
 歴史的にもまったく異なる建築に多数触れて、ちゃんとした建築をちゃんとつくる姿勢、というものをまた(意味は若干違うけど)改めて感じてしまう。やはり建築は奥が深い(再び)。(TM)