2013/08/01

住居アメニティ論終演



















本日9年間続いた武蔵野大学の授業『住居アメニティ論』が、その9年間の歴史に幕を下ろした。先日(7/16)のブログの続きになるが、今シーズンで終わるトピックが、何故か続いている。住居アメニティ論という授業は授業名が非常に抽象的な所から分かるように、非常に何をやっていいかよく分からない授業な訳だが、逆に言えば、何やってもいい授業、という風に開き直ってこの9年間やってきた。武蔵野大学の授業に建築計画学の範囲の授業がないので、その辺りをさらっとフォローしながらも、後は、本当に自分の思うがままに、アメニティという言葉に無理やり関連付けながら、どちらかと言うと建築以外の分野からもいろいろな視点を交えながら建築の話をしてきた。。。つもりである。
朝一番の授業(9:00スタート)のためか、ここ数年は10名前後の履修者だったが(4年くらい前までは50名程度が履修していたのですが。。。)、履修した学生諸君には少しでも刺激を与えられていれば、と切に思う次第である。今年度はある回の授業で、デヴィット・リンチの『ロスト・ハイウェイ』の一部を見せたのだが(この映画の中で、主人公のビル・プルマン演じるジャズ・ミュージシャンの男が、自宅の暗く長く続く廊下(本当に真っ暗な空間)に入ると人格が変わってしまう、という設定なのだが、その廊下の空間構成とそこを通過する人の精神的構造が何らかのかたちでコネクトする、というあたりが非常に住居のアメニティ的な側面を語る上で面白いのです。)、ある学生が授業後に、「あまりの映像の有様に、ものすごく、強烈に、気分が悪くなった。。。!」、という感想を述べていた。まあ、朝の9:00からデヴィット・リンチを観るべきではない、というのがそこから導き出される考察結果になるのかもしれない、が、でも、そう感じるということは、その学生本人にとってはおそらく学生時代の授業の中でも忘れられない記憶(?想い出。且つ、悪しき)のひとつとなるのだろうから、そうなったとしたら、やはり僕としては授業をやった意味があったなぁ、と思う次第である。
そんなこんなで、またひとつの時代が終わってしまった。
授業の最後に、ジャミロクワイとフー・ファイターズとレッチリのショートフィルム(監督はそれぞれ、ジョナサン・グレイザー、ミシェル・ゴンドレー、マーク・ロマネック)を朝一ながら、爆音で流して終わる。
これまで9年間授業を履修した歴代の学生さんたちは、おつかれさまでした。
もう、デヴィット・リンチが朝の教室で流れることはない。(TM)