2010/09/26

ダーティ・フォーティ・スタート


今日で40歳を迎えた。と、いうこともあり(って理由にもなっていないけど)ブログを本格的にスタートしたいと思います。更新は滞る可能性大ですが、お楽しみに。
前日は小金井市のワークショップの最終回。武蔵野大学水谷研の前期メインイベントも成功に終わる。そのお疲れ様もかねて、石神井台の家で打上げ。ゼミ生12名と大学スタッフも来てくれて盛大に打ち上げる。宴も盛り上がってきたところで、ゼミ生からバースデーを祝うサプライズがあり、記念品をいただく。中味はなんと手作りのミュージック・ビデオ。なぜか「We Are The World」(by U.S.A. for Africa)を、そのまま、なんちゃってパロディで制作された超力作。パッケージもレコード盤を模したジャケット仕様になっていて、そこから大爆笑。みんなでディスクの内容も鑑賞をしながら、さらに大爆笑の嵐。いやはや、制作するのは大変だっただろうな。本当に素敵なプレゼントでした。ありがとうございます。
ついでに『Live Aid』のヴィデオを観ながら、改めて80年代の空気を感じる。「Live Aid」は1984年12月ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフが中心となり、ウルトラ・ヴォックスのミッジ・ユーロをはじめ当時のブリティッシュ・ミュージック・シーンのトップ・アーティストが集結し、飢餓で苦しむエチオピアへのチャリティ・シングル「Do The Know It’s Christmas?」をBand Aid名義でリリースした(これに続き、アメリカではライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが作曲した「We Are The World」がUSA for AFRICA名義でリリースされた。)のに始まった。この2つの代表的なチャリティ・プロジェクトの反響を受けて1985年7月に開催されたのが、「Live Aid」。全世界でテレビ中継を見た人は何と15億人。このライブはロンドンのウェンブリー・アリーナで開幕、追ってフィラデルフィアのJFKスタジアムのステージもスタートし、両会場は衛生中継でリンクされて全世界に放映された。
しかしこのビッグイベントにも見方はさまざまだった。日本におけるロックミュージック評論家の草分け的存在である、渋谷陽一氏は「ロックはどうして時代から逃れられないのか」(ロッキンオン社)において徹底的な批判を行っていた。ロックの商業主義化の権化のようなイベントが「ライブエイド」であったとし、ロックとチャリティーの関係の難しさを浮き彫りにしている。アーティストのジョーン・バエズは「これは80年代のウッドストックだ」。とのコメントを残したが、朝鮮戦争とベトナム戦争の間の、ロックンロールが完成に近づいていたころの時代背景や精神を比べると、確かに、「Band Aid」はコマーシャリズムに踊らされたムーブメントと言えるかもしれない。
ただ、僕からすれば、さまざまな政治的背景は置いといて、世界の中の見えていない問題点(「Band Aid」の場合は飢餓ということ)を世界中の人々に如実にさらすということ自体がある意味、社会システムへの批判であり、なんらかのメッセージを発信したという意義とそれを動かすパワーは見捨ててはいけないと思ったりもするのである。
単なるロックミュージックひとつをとっても何かを考えるきっかけには充分なりえるということ。改めて、本年度の水谷研のスローガン「Let’s Rock Again」(これはJoe Strummerから)を胸に、いよいよダーティ・フォーティがはじまるのだなぁ、と感じる今日この頃。