2019/11/07

クイーンの家

武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4)の第1課題の講評会を開催。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の家シリーズの課題を提示する。もうこれも15年目(!)に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。今年度は昨年の大ブームもあったということで、超メジャーバンド「クイーン」を投下。個人的にはクイーンはこの課題に出さないつもりだったが(決して嫌いなバンドではありません。念のため。ただロック史上における位置取りが非常に微妙なので敢えて敬遠していた、ということです。はい。)、これだけ社会的に話題になったらいくしかないだろう、という感じ。意外、というか、当たり前のように学生世代の人たちにとっては、全く未知の存在のようで(これだけ映画がヒットしたというのに)、いささかズッコケ気味で授業に臨む。約3週間の短いスパンだが、履修者4名(今年度は設計演習の履修者の数が異例のm少なさ!)が課題に取り組み、4者4様のそれぞれ面白い提案が完成した。
 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。さまざまな技術や技能がどんどん展開していくこの世の中なのだが、最後は手描きのスケッチや絵が、まあまあパワーを持つということを今年も感じさせられて(もちろん、これは良いと思っている訳だけど)こういうのも大切だよね、と、完全に自己満足(及び、自己弁護(!))しながら講評も無事に終了。
 さて、課題全文を下記に流します。講評会の翌週は恒例の第1課題の打ち上げ&第2課題決起会@吉祥寺の歓楽街。学生諸君には第2課題も健闘を期待します。(TM)

■課題:「Queen のいえ」
 「スーパースターの家」シリーズの第15弾の課題は、ロック史上において世界中で絶大な人気を誇るロック・バンド、「クイーン」である。2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』[1]が日本国内を含め、全世界で大ヒットしたのは記憶に新しい。
 やや私見ではあるが、クイーンの音楽のカテゴライズは難しい。クイーンがデビューしたのは1973年。一時期イギリスのロック(ポップ)ミュージック・シーン、特にハード・ロックはレッド・ツェッペリンのデビュー時と比較して低調とされていたが、ハード・ロック第2世代として出現してきた代表格がクイーンである[2]、というのが通説ではある。が、70年代初めからムーブメントを起こしていたグラム・ロックの括りに見なされている場合もみられる。デビューアルバム『戦慄の女王』は既存のハード・ロックの形式から脱し、今までにないような奇妙な、そして新しいヘヴィーさを纏ったスタイルを確立させた。その後、『クイーンⅡ』(74)、『シアー・ハート・アタック』(74)、『オペラ座の夜』(75、「ボヘミアン・ラプソディ」収録)、『世界に捧ぐ』(77、「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」収録) 等立て続けに名盤をリリース。80年代に入っても『ザ・ゲーム』(80、ファンクの影響)、『ザ・ワークス』(84、原点回帰)等を発表し絶えず大きなセールスを獲得しながら一線で活躍し、独自の音楽性を展開していく。91年フレディ・マーキュリーが死去してからも、残りのメンバーとゲスト・ヴォーカルをフューチャー[3]したかたちで活動は断続的に続いている。2020年に来日コンサートも開催予定であり、そのブームは現在も継続していると言える。
音楽の特徴は、メロディのもつキャッチ―で緻密な美しさ、メンバーが奏でるコーラスのハーモニー、ギター音をダビングすることによりうみだすギター・オーケストレーションというヘヴィーで厚く多様な音質、特異なメロディパターンをもつリズム・パターン、等が挙げられる。技術的に非常に高いものを持っている各メンバー各自が、自分のサウンド・ポリシーを持ち全員が作曲し作風もそれぞれ異なるため、音楽のバリエーションの多様さが大きな魅力となっている。
もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターのたちのいえ』[4]というコンペの課題である。今年度は、その『スーパースター』という像をどうとらえられるかということを、世界中で人気が認められるロックバンド、クイーンの存在を冠して考えてもらいたい。
課題へ取り組む糸口は、数多ある。クイーン自体のポピュラリティ、フレディ・マーキュリーのファッションなどを含めた先駆的なパフォーマンス、自ら楽器をつくるブライアン・メイの音への探求、ライブ・エイドのパフォーマンス、或いは『ボヘミアン・ラプソディ』の組曲性、ロック史が激動する70年代~80年代~現在という時代性、各々のメンバーや楽曲群、歌詞等など。
課題は、例年通りの前置になってしまうが、様々な社会性や文化性を持ったバンド(今も一応、現役)、クイーンという音楽グループの住まいを設計することではない。音楽という世界を通して創造をしているクイーンの拠り所としての概念(→空間)はどのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな提案を期待している。

[1] クイーンの結成から1985年のライブ・エイドでのライブ・パフォーマンスまでを描いた伝記映画。監督の後退などもあり映画批評家の前評判は分かれたが、主演のラミ・マレックはアカデミー賞主演男優賞を受賞するなど各賞を受賞する等一定の評価を受けた。
[2] エアロスミス、キッスと並び御三家との説がある。この後、ヴァン・ヘイレン、デフ・レパード、80年代のボン・ジョビへの流れ。
[3] ポール・ロジャース(2004~2009),アダム・ランパード(2012~)を起用。単発のパフォーマンスでは、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルの客演が有名。また、デヴィッド・ボウイと共作演をおこなった「アンダー・プレッシャー」(81)のヒットがある。
[4] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。

2019/10/19

できた場所の向こうに

 周辺は大きな被害はなかったが、すさまじい台風が過ぎ去っていった。古い我が家は、所々雨漏りしてきて、ラグビー日本代表がスコットランドに歴史的勝利をあげるのを横目でみながら、雨漏り後の対応に腐心する。
 雨がだいぶひいてきた頃合いに外へ出かけてみる。
 そこには、ささやかな、雨跡の、場所というか領域のようなものができていた。
 不思議な感覚だ。
 子どもはそれを眺めて何を思っているのだろうか。(TM)

2019/10/15

思いもよらないこと

 あまりこのブログで時事問題を書くのは個人的には控えたいのだが、ここ最近の社会の状況で、本当に思いもしないことが溢れすぎていて、若干、混乱とやるせなさが押し寄せている。原発訴訟無罪敗訴にはじまり、関電トップ不正金品授受(これ誰も逮捕されないのか?)、表現の不自由展(愛知トリエンナーレ)補助金不交付、郵政保険不正に関するNHK報道への圧力問題、と続々と目を疑うようなニュースが続発。しかも全てが直接ではないにしても、国(政府)が絡んでいる。後、もう書く気もしないが、「人口対応で『虐殺』発言」を某政党党首がするという、もう言語道断の状況の連鎖が続いている。この国は大丈夫なのか?
 気持ちを落ち着かせるために、目黒の庭園美術館に赴く。昔の人は気骨があったのだなと思わされる。さまざまなことに思いめぐらし、自省しつつ、庭園に佇む。(TM)

2019/10/10

ここは東京か

 我が家の小さな庭に鎮座するトウネズミモチ(雑木なので、生命力が非常にたくましい)がどうしようもなく育ってきたので、毎年恒例の剪定をお願いする。
 枝を落としていってもらったら、何とクワガタがポトッと落ちてきた。息子がつかまえて、早速、虫かごにいれてみる。それにしてもクワガタとは!
 数年前は近くの公園でカブトムシを見つけたし(本ブログ2015年7月16日分参照)、いやはや、ここは本当に東京23区なのか、と思わされる。まあ、都心に比べたらイナカ(環境が良いということ!)なのですが。
 最近、庭に木を植える家も減ってきたので、意外と我が家の雑木が鳥たちや虫たちの憩いの場として機能しているのかもしれない。。。と勝手に夢想するのでありました。(TM)

2019/10/05

鳩の撃退法

 また、だが、音楽・映画に引き続き、この夏読んだ小説の話を少し。佐藤正午著の『鳩の撃退法』を改めて読み直す。この本はまず文章が上手い(自分はまったくの文学門外漢ですが、感覚で)ということと、ストーリーが面白い、という点は勿論だが、最大の魅力は、現実(リアル)と虚構(フィクション)の境界線が、読んでいると微妙に(というところが最大のミソなのだが)ズレてくる、というところだと思っている。それを小説というフィクションでやっている、というところが更に面白さを増している。これは、小説の醍醐味だと改めて感じさせられた。
 これを読み返しながら、この春公開された、イ・チャンドン監督の映画『バーニング』を思い出す。これは村上春樹の小説(短編)『納屋を焼く』を原作としたものだが、劇中の主人公が小説家の卵という設定である。そして、この映画もこの小説がもつ、リアルとフィクションの境界線がポイントになっている映画だと感じている(映画自体がかなり解釈がオープンな(ある意味難解な)映画なので、これもまた一つの解釈だと感じてはいるが)。
 そんなことを考えながら、なぜかウィリアム・ギブソンの『ニュー・ロマンサー』を読みたくなってきた今日この頃。(TM)

2019/10/03

ワンス・アポン・ア・タイム(昔々の・・)

 前のブログの音楽に引き続き、この夏観た、映画を少し。
 クエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ&ブラッド・ピット出演の映画、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』がやはりすごい。
 なにがすごいかというと、
①60年代最終盤の時代の(街やファッションや人々の雰囲気等々の)空気感(&昔ながらの映画撮影方法による質感)を思う存分体感できる(その舞台の再現性がすさまじい)。
②タランティーノの映画としては珍しく残り30分くらいまで(映画の尺はタランティーノらしく今回も160分程の長尺)ほぼ何も起伏が起こらない、けど、ずっとワクワクドキドキする演出。
③ブラッド・ピットがここ十数年くらいの出演作の中で圧倒的にカッコいい(ディカプリオやマーゴット・ロビー、他豪華なキャストの演技も素晴らしい)感じ。
 というところか。
 特に、ブラッド・ピットが夜のハリウッドの街を車で疾走するシーンは(特にドラマ性はなく何てことないシーンだけど)見ていて鳥肌がたち思わず泣けて来る程。これは映画館で観るしかない映画。この時期(69~70年)に自分が丁度生まれたんだなぁ(日本だけど)、と思うととても不思議な感覚になる。そして、現在にこの映画がつくられた意味を考えさせられる。ラブ&ピース、永遠なれ。(TM)

2019/10/01

CASAS

 夏も終わりだなぁ、という感じ。
 この夏一番聴いたのがRubel(フ―ベル)というアーティストの『CASAS』(カーザス)というアルバム。めずらしく、LPの日本盤が出たので、すっとレコードプレーヤーにかけていた。本国ブラジルでは非常に高い評価だが、なかなか日本では手に入らなかった(アマゾンでは手に入らず)。ここ2、3年特に感じるが、最早、アナログ盤やCDといった物理的なメディアは、流通がおぼつかない感じがある。いやはや。
 秋の夜長にもいいかもしれないと思い、またターンテーブルにかけるのであります。(TM)