2012/01/11

卒業設計2011


2011年度の卒業設計の講評会。
学生にとってはまさに4年間の集大成になる。学生は徹夜明けとかでもちろん大変なのだが、武蔵野大学の卒業設計は原則全員発表なので、審査する教員も大変だ。朝9時にスタートして最後の審査終了が夜の6時過ぎになる。10時間近くの長丁場。
今年も全作品の発表を聞くことができた。

が、「う~ん。。。」とうなってしまう。
例年同じような感想を書いているような気がするが、年々学生の作品のパワーがなくなってきているような気がする。
「なにがなんでも、これをやって(設計して)やる!」というメッセージ、というか、もっとザックリというと、想い&情熱というものが伝わってくる作品がみられなくなっている。例年は数作品、自分的にはちょっとアドレナリンが出てくる作品があるんだが、今年は、うん、1つもなかったかぁ。うむ、残念だ。
学生には常々言っているが、「周りから何を言われようとも、好きなことを建築として、思い切り完成させることが一番大事。」、ということだ。そんなチャンスは学生時代にしかないので、本当に大切にして欲しいと思う。確かに評価が気になるのは分かる。分かるよ。が、評価はあくまでも評価にしか過ぎないので、作品の本質から考えると本当はクソみたいなもんなんだよね。(って、そう言ってしまうと自己否定しているみたいですが。。。)
学生の最後に、自分のやりたいことを、孤独に悶々とやり遂げる、ということは、ある意味ではマスタベーションのような行為に感じるかもしれないが、後後になると、それが本当に大事ことになってくる、と思う。それは自分にとっての自分なりの課題のレベルを研ぎ澄ますことだと思うし、それがきちんとしていればその答えのクオリティは、はっきり言って瑣末なものだ。逆にいくら答えのクオリティが高くても、自分なりの課題をまたっく考えていないとその価値はゼロに等しい。
 それは後々に分かってくるんですよね。まあ、学生のみんなには、悔いのないように最後までやり遂げて欲しい。
 審査の結果、2月の最終審査会の決勝ラウンドに残る14作が決定。うちのゼミ生は5名が決勝ラウンドに駒を進める。予選の感じだと決勝ではかなり苦労するだろう。まあ、毎年のことなんだけど。最後の審査会は、ある意味お祭りなので、思い切りやって欲しい。
そう、
お祭り、わっしょい!