2024/10/31

空間造形:ジギー・スターダスト

 武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4)の第1課題の話し。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の空間シリーズの課題を提示する。もうこれも19年目(!)に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。

 今年度はデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』を投下。学生世代の人たちにとっては、ほとんど未知の存在の様子で、まずは知るということから始まるのである。という訳で、始めにボウイのドキュメンタリー『ムーンエイジ・デイドリーム』の映画映像を観る訳である。約3週間の短いスパンだが、履修者7名が課題に取り組み、7者7様のそれぞれ面白い提案が完成した。

 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。だが、作品のコンセプト、及び、そこからつくられる建築(らしきもの)の相関関係の妥当性は当然のごとく求められ、建築(らしきもの)自体の面白さ、及び、作品自体のメッセージ性に圧倒的な説得力がないと、つまらない、のである。

 今年は、自分で実際に踊ってみて、それを空間化する案があり、プレゼンも実際にダンス・パフォーマンスをおこなうなど、非常に元気な学生のエネルギーが素晴らしかった。講評会も無事に終了。第2課題も更に面白い、学生の作品提案に期待したい。

 さて、例年通り、課題全文を下記に流しますので、どうぞ。(TM)

 

2024年度 課題:「空間創作:『ジギー・スターダスト』(指導担当教員:水谷俊博)

「スーパースターの家」シリーズで20年(コロナ禍で1年飛ばしたので、今回が19課題目)続いたこの課題。もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターたちのいえ』[1]というコンペの課題である。2022年までは、スパースター(アーティスト)を対象としてきたが、昨年度からアーティストの作品自体を課題の素材としている。新しい建築の可能性を提案してもらいたい。対象作品は、『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars(ジギー・スターダスト)』(デヴィッド・ボウイ)とする。   

『ジギー・スターダスト』は1972年リリースの5作目。デヴィッド・ボウイの評価を決定づけたアルバムであり、グラム・ロックを代表するアルバム。地球に降り立った宇宙人「ジギー」がロック・スターとして成功し、やがて凋落していく物語をアルバム全体で描いたコンセプト・アルバム(同時代に流行したプログレッシブ・ロックとの相関関係もみられる)。当時台頭してきた、マーク・ボラン率いるTレックスと双璧をなし、グラム・ロックという新しいジャンルをつくりあげた。

デヴィッド・ボウイは自らジギー・スターダストに扮し、スパイダー・フロム・マースを率いて、自身を自ら劇的に演出していく。派手な衣装や化粧をほどこしたパフォーマンスが非常に特徴的で、アンディ・ウォーホルを中心とするNYアンダーグラウンドの影響が窺え、その存在感は他の追随を許さなかった。この時期の活動があまりに強烈なためボウイのイメージが固定された感があるが、この後、ソウル的なアプローチをするアメリカ時代、ブライアン・イーノとの協働でアート的な試みをするベルリン時代、コマーシャル的な方向へ舵を切った80年代、ロックバンドのティーン・マシーン時代、を経て、多様な作品を生み出し続ける90年代~2000年代前半、そして『Next Day(2013)から、逝去する2016年『★』まで、その活動の影響は計り知れない。

この課題は、『ジギー・スターダスト』を(“音楽→建築”という世界を通して)再解釈することにより、建築的な思考や概念を再構築し、それによって創作し得る空間や建築は、どのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな新しい建築提案を期待している。


[1] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。