新型ウィルスの状況は変わらず。そして年度が終わり、変わる。
この区切りに、U2の登場である。4作目『焔』(原題、『The Unforgettable Fire』)を。U2はこの1作後の『ヨシュア・ツリー』が最大に有名だが、個人的には圧倒的にこの『焔』だ(後、91年の『アクトン・ベイビー』が双璧)。このアルバムでU2の音楽性は大転換を迎え、ロック史にも(それ程はきりと目に見えるかたちではなかったが)影響を与えたと、個人的には感じる。ここはA面1曲目の「A Sort Of Homecoming」で、新年度に熱き心で臨むことにしよう。
さて、年度末のまとめの一環なのだが、大学では年度毎に学生の作品集を制作しており、今年度も巻頭あいさつのテキストを書くことになった。この文章を書くのも、ひとまず今年度で一区切りになる。だから、という訳ではないが、例年とまったく違うテイストで書いてみる。2020年度を振り返るということで、拙文を以下に掲載させていただきます。(かなり長いのでご容赦を!)
さて、コロナの影響でどうなるか全く状況が読めないが、いよいよ来年度へ向けて始動しだす。(TM)
■武蔵野大学卒業研究記録集2020 「はじめに」
2021年1月18日。研究室ゼミ生の“モモ”(この冊子の編集委員をしている)から、この、「はじめに」の文章の執筆依頼があったのだが、その2日後に第164回芥川賞の発表があり、宇佐見りん著『推し、燃ゆ』が受賞した。新鋭20歳(言うまでもないが、卒業する皆さんよりも若い)の受賞の知らせが駆け巡っている。まさにニューヒロインの誕生である。
2021年1月28日。外は雨模様。この、「はじめに」の文章をここ数年書いているが、それも一旦、今回で終わる。多分、ほとんどの人が読まないのだが、定型にはまった、おしつけがましい教育的なことや、啓蒙的なことや、激励的なこと、は書かないぞ、と静かに思ってみたりする。昨年は、ビリー・アイリッシュがグラミー賞を独占した話を書いた。若い世代の新星が誕生する話が2年連続するかたちだな、と思い出してみる。気温がとても寒いせいか、文章が進まない。ので、ノートPCを閉じて、机の上のGODIVAのチョコレートを食べながら雨を眺める。
1965年7月25日、ロック史上最大級の、今でいうところの“炎上”が起こる。いわば、“燃ゆ”の状況。ニューポート・フォーク・フェスティバルにボブ・ディランが大トリで出演する訳だが、当時プロテストソングのシンボル的存在であった彼が、ロック的な方向に舵を切り、手にエレキギターを持ってステージに現れたのを見て、聴衆が壮絶なブーイングを起こしたのである。いったん引っ込んだディランが再びステージに上がり、『It’s All Over Now,Baby Blue(すべては終わった)』を涙ながらに唄ったのは、今となっては伝説になっている。
1994年2月1日。沖縄宮古島キャンプの初日、オリックス・ブルーウェイブの新井宏昌コーチ(当時)は、ある選手のバッティングをみて仰天する。「あんな風に打つ人を、今まで見たことがない。」と。大きく動くバッティングフォームを駄目だと言う一軍コーチもいたが、20歳の彼は自分の主張を曲げなかった。そして、自分にとって必要な練習のアドバイスには聞く耳をもち、それには毎日毎日取り組んだ。そして、世界最高峰の選手への階段を、この後一気に上っていくことになる。鈴木一郎改め、“イチロー”が誕生する。
2021年1月22日。NHKラジオ。小説家の高橋源一が、自身がMCを務める番組に、宇佐見りんをゲストに招いた放送で、ニューポート・フェスでのボブ・ディランの話が番組冒頭で紹介される。自分を成長させてくれないファンからは決別する、という意思表明をし、ステージを降りた彼。そして、そこからボブ・ディランの長い旅が始まるのである。その話を聞きながら、イチローが鮮烈に世に出ていった経緯を想い起こす。その1年後、1995年9月19日。震災後の神戸の地に、11年ぶりの優勝をもたらす。そして、それはイチローのプロ野球人生の旅の始まりだった。
1966年5月17日。イギリス、マンチェスターでのコンサート。ボブ・ディランは、このイギリス国内のツアー中、全ての会場で、エレキギターとバンド編成の演奏でのぞんでいた。そのパフォーマンスに対して、怒涛のブーイングや観客の途中退場が、各地でみられていた。マーティン・スコセッシ監督の映画、『No Direction Home(ノー・ディレクション・ホーム)』のラストシーン。客席から「ユダ!」と叫ばれる中、『ライク・ア・ローリング・ストーンズ』をプレイ。プレイする直前にディランが、バックを務めるロビー・ロバートソンを含めたバンドのメンバーにこの言葉を放つ。「Play it ,Fucking Loud!(ガンガンにいこうぜ!)」。何かへ立ち向かうということがどんなことなのか、それはどのような決意でのぞまなければならないのか、ということを伝える寓意的なシーンである。
2021年2月1日。この「はじめに」、の文章を、“モモ”にメイル送信。 「モモへ。「はじめに」の文章書きました。いや~、締切遅れてしまい、ごめ~ん。新型ウィルスの状況も、なかなかなので、編集作業も大変だろうけど、がんばって!この文章書きながら、“四畳半神話体系”の話をまた聞きたくなってしまったよ。ちなみに、この文章のコンセプトって何?って聞かないで(笑)。まだまだ寒いけど、元気にいきましょう。最後にこの言葉を記して、“La Fin”としたいと思います。 『タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格はない、You Rock My World ! 』」 iPhoneから送信
2021年2月3日。事務所にて、“モモ”に送った文章が、あれでよかったのかぁ?、と思いながら、客観的な意見も聞きたく、スタッフの“トモトモ”(20代半ば)に読んでもらう。
「ところで、読んだ感想どう?」
「う~ん、、この最後の“iPhoneから送信”って文字が残ってて余計な感じで~す。」
「え~!、そこかよぉ!ちなみに、それはワザと書いてて、ガチなメイル送信文じゃないんだけど。まあ、演出ってやつだな。まあ、しゃあないか。肝心な内容はどうよ?」
「う~~~ん。。。。。。。。。響きました。。。心に(笑)。」
「あはははははは!マジかよ~?(笑)」
「本当(笑)。うふふふふふふ。」
事務所の窓から、正面の松籟公園の緑が陽の光でキラキラと輝いている。毎日が今日みたいに街中キラキラしているんじゃないか、と思うと、ステキじゃありませんか?公園からは元気に遊びまわる子供たちの声が聴こえている。事務所の窓際にある時計が15:34をさしている。スピーカーからは、アイク・アンド・ティナ・ターナーの 『リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ』が流れている。
2021年2月3日 PM15:51
(本稿は部分的にフィクションを過分に含んでいることを付しておきます。そして、ティナの歌声は響いています。) (水谷俊博)