今年度は履修者18名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、作品自体に力があって、プレゼン(魅せ方、話し方、など)のパフォーマンスがしっかりとしていると、作品の良さが確実に伝わる、というあまりに当たり前のことが当たり前すぎて、それが面白い、ということであった。
つい最近のトピックで、ビリー・アイリッシュがグラミーを独占した訳だが、そのビリー・アイリッシュの何がすごいのか?本当にザックリりいというと、自身のPRのDIYの徹底的な姿勢がすごい(もちろん楽曲も素晴らしいが)、ということを総括で講評させてもらう。
建築の設計も、ある程度は同様のことが言えるが、建築の場合はそこまでやりすぎてしまうとNG、という側面もあり、なかなか難しい。。。いやはや。
終わった後は、履修学生全員を交えて30名程で三鷹の店で打ち上げ。1年の集大成ということで、学生は一様に充実感を漂わせてくれていて嬉しい。さて、怒涛の年度末が続いていくのです。はい。(TM)
課題:「 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが流れ
僕たちは罵れないのかもしれない、と思いながら
怒りに任せて罵っていいとき
そんな時に座るイス」
【課題概要】
第91回(米国)アカデミー賞(2019年)において、最高の栄誉である作品賞を『グリーンブック』(監督:ピーター・ファレリー)が受賞した訳だが、受賞が発表された瞬間、同じく作品賞に『ブラック・クランズマン』でノミネートされていた映画監督のスパイク・リーが会場を退場しようとした(結局、会場スタッフに静止され席に戻る)一幕(AP通信記事による)が、ひと時話題になった。ここで面白いのは、両作品とも人種差別(黒人と白人の)を題材として扱った映画というイメージがあるが、その実、作品内で描かれているコンテンツやクオリティは、ある意味まったく正反対(ここは少し微妙なところはあるが、まあ言い切ってしまって多分支障ないだろう。。。)なものとなっている。
この点において、最も重要なファクターは、“怒り”ということである。菊地成孔氏が、ある映画レビューサイトでこの『グリーンブック』を以下のように批評している。「つくりもんの定番品、その新しいやつで、安心して泣いた。合衆国民以外の特権だ。」
そして、スパイク・リーとバリー・ジェンキンス(『ビール・ストリートの恋人たち』監督)、ジョーダン・ピール(『ゲット・アウト』監督)に向けて、という体裁で以下のように結んでいる。「お前らは『グリーンブック』の受賞について、クソだらけに罵って良い。俺たちは罵れない。泣いてるし。ちなみにタイトルは悪い。象徴的でもないし気も利いていない。」と。
これは例えば、のはなしである。『グリーンブック』やスパイク・リーや、課題タイトル冒頭のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(やトム・モレロ)もあくまでも一例だ(レイジの替わりにピストルズでも、クラッシュでも、リンキン・パークでも、JBでも、あなたの好きな対象に置き換えてもらっても差支えはない)。
“怒らない世代”(あなた達)が怒る(或いは主張するでも良い)時、どうするのか?
様々に考えを巡らしてみてください。魅力的なイスに出会えることを期待しています。 (水谷俊博)