ちょっと遅くなりましたが、武蔵野大学の水谷研11期生のゼミ生8名が卒業。卒業式、謝恩会も無事執り行われて、ゼミ生からの素敵なプレゼントをいただく。ありがとうございます。学生諸君は改めて、おめでとう。4月から(って明日からだけど)の新しい世界での活躍を期待したい。
謝恩会では、毎年恒例のパフォーマンス(何故か毎年恒例になってしまっているかは謎なのだが。。。)を、非常勤でお世話になっている建築家の大塚聡さんと熱演。今年も例年通り、卒業式前日の夜に大塚さんと西荻窪でリハーサルをおこなう(果たして学生はこの苦労が分かっているのか?(別にそこまでしなくていいんだけど、やってしまうのだなぁ。うむ。まあ、しょうがない。)と、例年通り思いながら)、というおまけつき(兎にも角にも大塚先生、ありがとうございました)。昨年も同じことを書いたが、歳を追うごとに中々このプログラムも体力的にきつくなってきている。今年は若干個人的な怪我もあったので、まさに満身創痍(ってちょっと言い過ぎ(笑))でのパフォーマンスと相成りました。
さて、大学では年度毎に学生の作品集(『Mu』という冊子です)を制作している。その中で教員も毎年1年の総括をすることになっている。自分の担当している授業を総括するのが普通な訳ですが、僕は毎年、場違いに随想を勝手に書かせていただく。例年恒例という訳で、全文を以下に掲載します。卒業生のみなさんは懐かしさとともに、どうぞ。
(TM)
■2016年度 回顧・雑感
-1500字以上、SNS世代の学生は誰も読まんだろうなぁと、プチ考えながら-
-1500字以上、SNS世代の学生は誰も読まんだろうなぁと、プチ考えながら-
2016年度を振り返ってということだが、この文章を3月1日(2017年)に書いている。丁度、さっきまで、卒業間近の研究室のゼミ生(11期生)と次の代を担う時期ゼミ生(12期生)の引継会(飲み会)が開催されたばっかりで、2016年度を振り返ると、やっぱり「アメリカ大統領かなぁ。」という話を学生に振ってみた。学生の意見もさまざまだが(まあ残念ながら、そもそも関心すらない、という意見もあるのだが。。。)、「え~、トランプ、中々面白くって、いいんじゃないっすかぁ。。」という風な意見も聞かれる。まあ、意見は多様であるべきだとは思う。
それで思い出したのが、海外で最も有名な日本人の俳優と言われている、マシ・オカ氏(海外で「知ってる日本人俳優は?」といえば、確実にベスト3に入るといわれている程超有名な人らしい。僕は、不勉強ながら最近知りました。)が日本とアメリカのコメディ(お笑い)に関して比較をして、「アメリカでは絶対(叩き)ツッコミはない」とコメントをしていた記事に、「おお、そうなのねぇ。」とかすかな驚きを感じてしまった。理由のひとつとして、「日本ではツッコミが笑いの合図になってみな同じタイミングで笑うが、アメリカの劇場では、何が面白いかは人それぞれによって違うから、それぞれ自由に自分のタイミングで笑う。」ということだった。そこが、オーディエンス(客体)の多様性ということにつながり、そしてそれが、個々の個性というものにつながるのだと思う。(ここで現アメリカ大統領の各政策はこの個性というものとまったく逆行しているということに辿り着くのだが、この話をし出すと長くなってしまうのでここでは割愛します。) で、ここからが重要なのだと思うのだが、この個性がある、ということと、いい作品をつくる、ということがイコールか?と考えるといろいろと面白く、そして、このことは、おそらく設計演習やプロジェクトにおけるデザイン行為のアウトプットに通じる所があるのではないだろうか、と思ってしまう。
例えば、僕の展開する「木でつくる」授業(プロジェクト)の課題は『行動の時代は終わり我々は年老いた/でも、人生のするかしないかの分かれ道で/するということを選ぶ/そんな時に座るイス』という(例年、そうなのだが)非常に抽象的で、はっきり言って良く分からない課題である。ただ今年度の課題の立ち位置のあり方は、はっきりと方向性を有しており(一言で言うと、『ロッキー』(もちろん映画の)ということになるのだが)、その課題への答えはおそらく、平易な(良く言えば分かりやすい)コンセプトやそれを簡潔に(よく言えばきれいに)具現化したデザイン(造形)、ということだけでは全く不充分で、課題以上に考えさせられる内容や余白をデザインの背景に含有することが求められている。そもそも「するということを選んだときに、座ってるのか??いや座ってる訳ねぇじゃないか!バーッカッ!!」というくらいの批判的な独自の視座も欲しいところである(実際、講評会ではゲスト審査員の写真家キッチン・ミノル氏がそのような旨を発言していた)。
例えば、僕の展開する「木でつくる」授業(プロジェクト)の課題は『行動の時代は終わり我々は年老いた/でも、人生のするかしないかの分かれ道で/するということを選ぶ/そんな時に座るイス』という(例年、そうなのだが)非常に抽象的で、はっきり言って良く分からない課題である。ただ今年度の課題の立ち位置のあり方は、はっきりと方向性を有しており(一言で言うと、『ロッキー』(もちろん映画の)ということになるのだが)、その課題への答えはおそらく、平易な(良く言えば分かりやすい)コンセプトやそれを簡潔に(よく言えばきれいに)具現化したデザイン(造形)、ということだけでは全く不充分で、課題以上に考えさせられる内容や余白をデザインの背景に含有することが求められている。そもそも「するということを選んだときに、座ってるのか??いや座ってる訳ねぇじゃないか!バーッカッ!!」というくらいの批判的な独自の視座も欲しいところである(実際、講評会ではゲスト審査員の写真家キッチン・ミノル氏がそのような旨を発言していた)。
さて、そこに個性とは、ということが、ひとつの重要なテーマになってき得る。さて、個性を育むにはどうしたらいいのだろう?一つ面白い事例がある。非常に個性的なインディー映画監督デレク・ジャーマンが、作品を制作するときに課した、という3つのルールがあるのだと言っている。それは、「現場には時間前に到着しろ、照明は自分で持て、ただ働きを覚悟しろ」、というものである。お~、これはあまりに新鮮だ!何故なら、あまりに没個性的なルールだから。だと思いませんか?実はそんな真摯な行為がベースにあることによって、はじめて強烈な個性につながっていくのかもしれない。学生諸君もさまざまなところに頭を巡らせて考えて欲しい。
『このクソッタレの世の中の、
するかしないかの分かれ道で、するということを選べ!
Bang Zoom Crazy… Hello !!』