2017/02/13

椅子の講評会2016(年度)

  例年そうだが、年度末なので様々な授業の講評会、発表会、審査会がおこなわれる。武蔵野大学で椅子をつくる授業をやっていて、日付は前後してしまうが、今日はその講評会のお話を。今年度もゲスト講評者を招いての講評会を何とか無事に開催の運びに。木工作家の渡邊浩幸さん、現代舞踏家の相原朋枝さん、写真家のキッチンミノルさんにお越し頂き、それぞれの多様な視点から講評を頂く。
 今年度は履修者11名で、それぞれ特徴のあるデザインの椅子ができあがった。今回の講評会を進めながら漠然と感じたことは、あまり要素をつめこみ過ぎて説明過多になった作品は、意外とつまなく感じてしまう(或いは、本当につまらない)ということである。
 昨年のこの会のコメントでも書いたような記憶があるが、作品が発する余白(のようなもの)というものの大切さを改めて感じさせられる。
 作品コンセプトと、実際にできた作品の姿がどちらも妥当性があり、さらにきちんとリンクしていることが大切なのだが、学生の説明を聞いていて、言うべきことを盛り込み過ぎて説明が冗長になってしまう(或いは、説明に終始してしまう)と、作品の持つ最も大切なポイントが横滑りしてしまい、何だか良く分からなくなってしまう(或いは、言うべきことが何もなくなってしまう)ということである。
 まあ、映画や小説でも、こっちに考えさせるものがあった方が傑作ということが多々ある。
 で、もう少し話を進めると、その作品の持つ余白(のようなもの)というものは、しっかりと作者がデザインの答えを持って初めて提示できる(逆に言うと、その答えを持ってないとダメということ)のである。要するに、自分のやりたい事にしっかり向き合って、それを情熱をもってバチッと作品の制作に落とし込んでいるか、ということである。そして、その際、プレゼンの出来不出来はそれ程重要ではなくなってしまうのである。ので、「作品に愛がない。。。それじゃ、ダメだよね~。」ということを総括で講評させてもらう。
 建築の設計も同様のことが言えるが、但し、建築に関してはしっかり説明ができないといけない、という側面もあり、なかなか難しい。。。いやはや。
 終わった後は、履修学生全員を交えて30名程で新宿で打ち上げ。1年の集大成ということで、学生は一様に充実感を漂わせてくれていて嬉しい。さて、次は2日後に卒業設計の審査会が控えている。年度の終わりが続いていくのです。はい。(TM)