2024/11/20

黙約:シークレット・ヒストリー

 相変わらず、電車での移動が多い。電車で仕事をするのが苦手なので、ひたすら本を読む(か、寝るか、)という行動パターン。

 ドナ・タート著(吉浦澄子訳)の『黙約』を読了。ドナ・タート。海外では非常に評価の高い寡作な作家なのだが、日本での知名度は残念ながらそれ程でもない。1994年に『シークレット・ヒストリー』として刊行された作品を、23年ぶりに改題して再版したもの。2巻構成の非常に読み応えのあるボリュームの小説だ。ミステリー小説の範疇に入れられている様子だが、作中で描かれている事件に関しては、かなり最初の方(というか冒頭)に明らかになるので、そのミステリー要素は中心では無く、主人公をはじめとした若者(大学生)たちの心理的な様々な揺れ動きを繊細に綴っている。大きな事件は起きているのだが、語られる内容は非常に私的なので、話しとしては、大きなクライマックスやドンデン返しもなく、ゆるやかに進んでいくので、ある意味地味といえる(ので、退屈してしまう人も一定数いるのかもしれない)。しかし、読み手をグイグイ引き込んでいくのは、何より文章の力(ので翻訳も素晴らしい)という、ある意味小説然とした骨太の力作である。この、私的なんだけど大作のようなイメージを与える、というのは、映画監督のポール・トーマス・アンダーソンの作品との通じるところがあると感じる。まあ、あくまでも私の感想です。

 この小説、23年ぶりに再版されたのは、小説家の村上春樹がとり上げたから、という経緯があり、自分も村上春樹のエッセイを読んで知った次第なのだが、再版されて7年くらいで既に再び絶版状態になっている状況に軽く衝撃を受けた。最近、自分の好きな本を、書店で見かけなくなっている様子をみながら、“本は刊行されたら、早く買っておかないと無くなる”感が押し寄せている。いや、ネット全盛の時代の流れかな。でも、最近、パワハラで辞職した知事が、SNS戦略で再選し、メディアやネットが手のひら返しになって記事を垂れ流しているようすを眺めると、「ドナ・タート、じっくり時間かけて読んで、ちゃんと考えようぜっ。」って独り言つのであります。いや、あくまでも私の感想です。(TM)

2024/11/04

トロールの森2024

 杉並区の善福寺公園で開催されている屋外アート展『トロールの森2024』に作品を出展しています。

野外×アート トロールの森 (trollsinthepark.com)

 作品名は「トロール・インフォメーション・センター-Cloud Nine-」。

 アート展の総合インフォメーションを設計・制作しました。今年は、昨年度の作品の発展形。今年もインフォメーションの内部では、自由に絵を描けるコーナーもありますので(極小空間ですが!)、アート展の雰囲気ともども、場の楽しみを味わっていただければ、うれしい限りです。

 会期は20224/11/3から23日まで開催しています。入場無料ですので、お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。 (TM)


2024/11/03

悪は存在しない

 このブログでは、毎年年末に、全く勝手にマイベスト映画を、ランキング形式で挙げている。のではありますが、もの凄く気になったのだが、多分年末では、採り上げないだろうな、と思った映画の話を少しだけ。

 夏前に、濱口竜介(名作『ドライブ・マイ・カー』でお馴染み)監督作品の『悪は存在しない』を観た。濱口作品だし、世界的にも評価の高い(ヴェネチアの銀獅子賞受賞作)なのだが、何と、東京の上映は2館(自分が観にいった当時)だけ!ということで、下北沢の駅前の小さな映画館へ赴く。

 で、この作品、久しぶりに、映画が終わった時に、「えっ!?終わったの?今ので、終わったの??!」と感じざるを得ない映画だった。そういうのは、良い映画の“証”、ではあるのだが、あまりに作品の解釈が、観る者にオープン、ていうか、オープン過ぎ!、のため、かなり呆然としながら、駅前に近年開発された商業施設群「BONUC TRACK」(設計:ツバメアーキテクツ)をブラブラ眺めながら歩き、帰路につく。そして、ここまで解釈が観る側にオープンに委ねられると、中々、難しいんだなぁ、と感じ入る。若い頃に、観ていたら、多分、絶賛していただろう。でも、歳を重ねてくると、その辺がちょっと微妙な感じになってくる。そして、映像は、静かで、激しくて、美しい。そんな映画だった。

 映画館で販売していたパンフレットに、レコード(7インチ盤)が同封されているバージョンもあり、もちろん迷わず、レコード付の方を手にする。そして、家で静かに、レコードに針を落とす。

 映画を観てから半年位が経ったのだが、未だに釈然としない感じで、その余韻を楽しんでいるのであります。はい。(TM)

2024/11/02

36年ぶりの邂逅

 最近、実家の神戸に赴くことが多くなった。そういった経緯もあって、中高時代の同窓生のクスダ君と本当に久しぶりに連絡をとり合う機会ができ、36年ぶり(!)に会うことになった!いやいや、改めて本当に久しぶりの邂逅である。

 クスダ君とはバスケット部のチームメイトで、部の先輩からは「ゴールデン・コンビ」と言われていた(自分で言うな(笑!))間柄で、いや本当に“光陰矢の如し、光より速い!”である。

 お互いの、35年余りのこれまでの足跡を話し合いながら、時の流れをビシビシと感じる。クスダ君は、高校卒業後、医学の道を志し、現在は地元でクリニックを開業し活躍している。

 地元の垂水駅前の店で、魚(垂水は漁港があり、魚最高なんです)をツマに、あれやこれやと語り合いながら、あっという間に時間がたち、お互いの健闘を称えあいながら、帰路につく。いや~、時間足りなかったな。

 最後おまけに、昔の写真をひっくり返していたら、当時の写真が出てきた(ちなにに引退試合の後輩との紅白戦のワンショット。後ろの白の11番が小生(笑)。既に半年以上現役から遠ざかって、メガネでプレーしてるけど、意外と飛べてるね!)。かつては、本当に「スラム・ダンク」の世界観ドップりだったな、と改めて浸りながら。クスダ君、ありがとうございました。いや、今回は地元での邂逅だったので想いも一入(ひとしお)。本当に、時の流れは早く、そして偉大だ。(TM)


2024/11/01

超巨大梅干しの景

 いつも観ている風景が、ある事象や行為によって、一変してしまうことが時々あり、そういう場面に出くわすと、なぜか、ワクワクしてしまう。

 自宅から自転車で移動する際に、いつも見ている、工場にある巨大なガスタンク。

 それが、いつもと違う。

 なぜなら、超巨大な梅干し?(スモモかも・・・)が出現したから。。。なのである。

 多分、タンクの外壁(って呼ぶのかな?)の塗装を、塗り直していて、下地の塗装が赤い(濃い朱?)色をしているから、こうなったのだろう。それにしても、本来の薄緑色とのコンビネーションが抜群である。

 「それにしても、なぜガスタンクは、この薄緑色なのかな?ネットで調べたら分かるんやろうけど、まぁ、いいか!」と独り言ちながら、自転車を進めるのでありました。元気にいきましょう。(TM)

2024/10/31

空間造形:ジギー・スターダスト

 武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4)の第1課題の話し。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の空間シリーズの課題を提示する。もうこれも19年目(!)に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。

 今年度はデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』を投下。学生世代の人たちにとっては、ほとんど未知の存在の様子で、まずは知るということから始まるのである。という訳で、始めにボウイのドキュメンタリー『ムーンエイジ・デイドリーム』の映画映像を観る訳である。約3週間の短いスパンだが、履修者7名が課題に取り組み、7者7様のそれぞれ面白い提案が完成した。

 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。だが、作品のコンセプト、及び、そこからつくられる建築(らしきもの)の相関関係の妥当性は当然のごとく求められ、建築(らしきもの)自体の面白さ、及び、作品自体のメッセージ性に圧倒的な説得力がないと、つまらない、のである。

 今年は、自分で実際に踊ってみて、それを空間化する案があり、プレゼンも実際にダンス・パフォーマンスをおこなうなど、非常に元気な学生のエネルギーが素晴らしかった。講評会も無事に終了。第2課題も更に面白い、学生の作品提案に期待したい。

 さて、例年通り、課題全文を下記に流しますので、どうぞ。(TM)

 

2024年度 課題:「空間創作:『ジギー・スターダスト』(指導担当教員:水谷俊博)

「スーパースターの家」シリーズで20年(コロナ禍で1年飛ばしたので、今回が19課題目)続いたこの課題。もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターたちのいえ』[1]というコンペの課題である。2022年までは、スパースター(アーティスト)を対象としてきたが、昨年度からアーティストの作品自体を課題の素材としている。新しい建築の可能性を提案してもらいたい。対象作品は、『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars(ジギー・スターダスト)』(デヴィッド・ボウイ)とする。   

『ジギー・スターダスト』は1972年リリースの5作目。デヴィッド・ボウイの評価を決定づけたアルバムであり、グラム・ロックを代表するアルバム。地球に降り立った宇宙人「ジギー」がロック・スターとして成功し、やがて凋落していく物語をアルバム全体で描いたコンセプト・アルバム(同時代に流行したプログレッシブ・ロックとの相関関係もみられる)。当時台頭してきた、マーク・ボラン率いるTレックスと双璧をなし、グラム・ロックという新しいジャンルをつくりあげた。

デヴィッド・ボウイは自らジギー・スターダストに扮し、スパイダー・フロム・マースを率いて、自身を自ら劇的に演出していく。派手な衣装や化粧をほどこしたパフォーマンスが非常に特徴的で、アンディ・ウォーホルを中心とするNYアンダーグラウンドの影響が窺え、その存在感は他の追随を許さなかった。この時期の活動があまりに強烈なためボウイのイメージが固定された感があるが、この後、ソウル的なアプローチをするアメリカ時代、ブライアン・イーノとの協働でアート的な試みをするベルリン時代、コマーシャル的な方向へ舵を切った80年代、ロックバンドのティーン・マシーン時代、を経て、多様な作品を生み出し続ける90年代~2000年代前半、そして『Next Day(2013)から、逝去する2016年『★』まで、その活動の影響は計り知れない。

この課題は、『ジギー・スターダスト』を(“音楽→建築”という世界を通して)再解釈することにより、建築的な思考や概念を再構築し、それによって創作し得る空間や建築は、どのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな新しい建築提案を期待している。


[1] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。

2024/10/30

建築に宿る空気感

 先月のはじめに、所用で鎌倉方面に赴く。せっかく神奈川方面に出てきたので、鎌倉、茅ケ崎の建築(茅ヶ崎市美術館を訪問。小規模ながら、良い感じの美術館。)を少し巡り、湘南台へ出る。湘南台と言えば、湘南台文化センター(設計:長谷川逸子)である。

この建築は、自分の学生の頃、非常に話題になり、いつか観なければと思いながら幾星霜。何となく、自分の好みの建築ではない気がしていたので、訪れる機会を逸していたのだが、遅ればせながら遂に訪問。築35年くらい経っているので、さすがに経年している感も否めないが、実際観てみて、軽い衝撃を受けた。


 この建築、時代的にも丁度ポスト・モダン建築の集大成的な受け止められ方をしていたと記憶している。確かに、ポスト・モダンのような建築の様相、例えば、ユニークな造形や過剰な装飾等、は各所に見られるのだが、その過剰さが尋常ではない徹底ぶり。ポスト・モダン建築は表層的なものが多い印象なのだが、この建築は、それをはるかに超えた密度と質感があるのである。それを言葉で表現すると、建築家の、精神?いや、狂気、とか、怨念、といった感じなのである。いや、まったく、私独断の感想です。

 その空間の中、たくさんの子どもたちが、併殺されている「子ども館」で遊んでおり、建築家の怨念(失礼!)による空間と、そのイノセントな子どもたちの空気感が相交じり合った様子が、非常に観る者を(ある意味)感動させる。

 今の時代では、絶対できない建築。「やっぱ、建築は実際に観なきゃ、分からんなぁ。。」と感じ入りながら、神奈川を後にするのでありました。元気にいきましょう。(TM)