終わりは突然に訪れる。
というのは少し大げさな表現かもしれないが、昨夜、スポーツ配信サイトでMLBの開幕第2戦「マリナーズ対アスレチックス @東京ドーム」の中継を観戦していたら、試合途中に突然「イチロー、本日で引退」のテロップ(もちろん英語で)が流れ、一瞬、自分の英文読解が間違っているのか?、或いは視覚の問題か?と思っていたら、結局、本当に最後のゲームになってしまった。こんな感じで引退するのは初めてだよなぁ、と呆然とみているうちに、最後の8回裏守備についた直後に交代が告げられ、イチローの選手としての最後の雄姿を見届けることになる。涙なくして観れない。
下記に、8年くらい前に学生に向けて書いた雑文(拙文エッセイ)を掲載します。ひとつの時代が終わることを強烈に感じる。(TM)
■2010年度・回顧
1995年10月21日。第1戦、日本シリーズに仰木彬監督(当時)率いるオリックス・ブルーウェーブが、野村克也監督(当時)率いるヤクルトスワローズと対決した。1995年。そう、1月17日に阪神・淡路大震災が起きた年に、神戸をフランチャイズに持つブルーウェーブがパ・リーグを制覇して臨んだシリーズだった。神戸市民の期待を一心に集めるばかりでもなく、日本中の応援を受けての決戦だった。しかし、結果は1勝4敗の完敗。完全に野村ID野球に抑え込まれるかたちでブルーウェーブは敗退した。最後の試合が終わった後、イチローはコメントした。
「このような不甲斐ない試合をしながら、完全に負けてしまいました。でも、こんな僕たちのプレーを、ブーイングもせずにスタンドで応援してくれる神戸のファンをもてて、僕たちは誇りに思います。」
神戸市民全員が涙した瞬間である。もちろん僕も泣いた。
2011年3月11日。東北関東大震災が起こった。僕は前橋市美術館の現地調査をしている最中に遭遇した。前橋は東京と同程度で被害はそれほど深刻ではなかったが、ひどい揺れはすさまじい恐怖感をともなう。そして時がたって阪神・淡路大震災での厭な記憶がよみがえってくる。僕も僕の家族も睡眠誘導剤を飲まないと眠れない日々が時折ある。そして社会の状況もこの原稿を書いている時点(3/28)ではなかなか回復していない。被災地からある程度遠く離れたこの東京でも、電気は断続的に停電して止まり、水やお茶はほとんど店頭に並んでいない、という状況である。
さて、この状況で建築に何ができるのか?ということである。これはおそらくこれからの建築メディアでも盛んに語られるだろうし、語られるべきだろうと思う。そして空間造形や環境プロジェクトで僕たちがおこなっている活動やプロジェクトも同様だと思う。環境プロジェクトで制作している『アーチの森』(今年度の『アーチの森2010』は雑誌『新建築』にも掲載された)は、どう展開できるかを考えた時、仮設建築のあり方が見えてくるかもしれない。『アーチの森』はセルフビルドでの施工が前提となるため、誰でもつくれる工法をベースに、木材の組方や既成金物の工夫により、木質材料の可能性や設計と施工を区別しない建築生産の可能性を探っている、という背景がある。何か使えるかもしれない。空間造形4もしかり。単に課題の設定に行儀よく応えていくだけではダメである。それを超えて、建築のあるべき姿を語れるような、そんな思いを作品に込めて欲しい。そうすることで建築の可能性は高まっていく。2010年度の水谷研のテーマは『レッツ・ロック・アゲイン』だった。そう、まさに「やるしかないんだよ。」の世界である。日本がこのような状況の今、学生のみんなには、そんなパワーが望まれている。
1996年10月24日。前年度日本シリーズで敗れた神戸ブルーウェーブは、再度パ・リーグを制して日本シリーズに登場。長嶋茂雄監督(当時)率いる巨人相手に4勝1敗で勝ち、前年の雪辱を晴らし念願の日本一に輝く。グリーンスタジアム神戸で仰木監督とイチローは宙に舞った。
そう、学生諸君。たたかってください。そうすれば結果はついてくる。