カニエ・ウエストはそれほど好きだった訳ではないが、各音楽メディアが2013年のアルバム・ランキングで圧倒的な支持をしていた(ちなみにローリング・ストーンズ誌で2位、SPIN誌1位、ビルボード誌2位)ので、気になっていた、という次第。
で、びっくりしたのがそのCDジャケットのデザイン。これがなかなかいい。通常、アルバムのジャケットはアーチストの写真や絵やグラフィックなど、アルバムの顔となるべくヴィジュアルがあり、ライナーノーツや歌詞カードが入っているのだが、それらの要素は全くなし。透明なケースのみ、後はオレンジ色の紙の封がしてあるだけ、というデザイン。このデザインはある意味究極だ。そぎ落としたデザイン感。まさに骨太のデザインと言うことができるだろう。
最近この骨太のデザインということが気になっている。もちろん骨太というのは、いわゆる有機的とかヴァナキュラーな方向等へとつながるような建築形態そのものの骨太さ、という訳ではなく、建築(デザイン)そのものがもつテイスト?のようなもの(なかなかうまい表現が見当たらない。。。)である。昨年『リノベーション・デザイン』(エイ出版)という本でアーツ前橋をとりあげていただき、インタビューを受けた際に、「建築のもつ多様な要素をそれぞれのキャラクターを大切にしながら配していき、ジャズのモードのようにつなげてゆく。」というコメントをさせていただいたのだが、そのモードということにつながるのではないか、と考えている。
マイルス・デイヴィスの『KIND Of Blue』は機能和声によるコード進行という概念から、モードという概念が生まれた瞬間である。それぞれ異なったモード=旋法=音列で音楽の流れを構成していく手法であり、「1つのモードは、たとえその音列の響きが不安定だったり中途半端だったりしても、それはそのモードが持つ個性ということで、それがどこに向かて進行したりすることを目指したりしない」という特質がある。2つもモードの間には主従関係はないのである。これによりアドリブに使うことのできる領域を確保することになったとされている。コードが進行する現象自体を廃棄して、モードというシンプルなルールに従って曲を構成することにより即興演奏の規範自体を更新することに成功している。アーツ前橋では、建築のデザイン操作によくみられる、ある強いヒエラルキー状のデザインコンセプト等の下に統合しないということをこころがけた。空間を純化してしまわず多様性、複合性を丁寧にくみ取ることにより、その複合性が持ちうる「ひっかかり」がまち(市民)の姿や活動と美術館の活動を結び、建築が街にまでつながるさまざまな可能性をつくり出していく、というようなことを考えているのだが、そんな流れをカニエ・ウエストから連想してしまった。さて、アルバムの内容自体もあまりに刺激的でブっ飛んだ。個人的にはある意味オーセンティックなロックが好きなんだけど(笑)、これは、もうラップという括りではないかもね。何となく、方向性は全然違うけどトム・ヨークのチャレンジングな姿勢と相通じるところがあるかもなぁ、と勝手に思ってみる。まだ、ちょっと理解するのに時間がかかりそうだけど。。。だからこそ、いいのかも、と思ってみてみる。(TM)