その中でも、水戸芸の『田中功起 共にいることの可能性、その試み』展は、非常にある意味現代的な展示内容だった。本当にザックリとだが、展示の内容は作品化を前提として参加者を募り、数日間の共同生活を送りながらワークショップを開催し、その記録映像をインスタレーションとして展示する、というものである。
なので、作品に参加していない鑑賞者は、映像による、このある意味抽象的なプロセス自体を、自分なりに分析することが要求される(と、僕は思った)。この長大なプロセスの記録をみせるということは、結果のみを称揚することへの抵抗が作家のメインテーマな訳だが、鑑賞者には作品の多義的な意味に対する理解力と、ある意味(鑑賞時間を含めた)忍耐力と心の余裕が求められるなぁ、と感じながら、イマイチ乗り切れない自分を、心の余裕がないのだろうなぁ、と自己反省してしまった。
来場者はほとんどが若い世代の人たちで(この難しいコンテンツにもかかわらず)盛況であり、その人たちが真剣に個々の映像をヘッドフォン装着しながら鑑賞している様子は、SNS世代の様子の一端を非常にリアルに感じることができたのでは、と思った。時代は変わりつつあるなぁと、思った一瞬でした。本当に興味深い。(TM)