僕にとって村上春樹は人生に絶大な影響を受けた(ている)程の大好きな作家なのだが、村上春樹は読者からは好き嫌いの分かれる作家であり、嫌う人の最大の理由は、「よく分からない」という点にあるのだ、と勝手に思っている。
そう、よく分からないのである。内容がよく分からないということもあるのだが、それと呼応して、その良く分からないものが良く売れる、というのがアンチ春樹には、まったくよく分からない現象のようである。
文章が平易なのに内容がよく分からない、という甘美なパラドクスを有している点は本当に魅力であり、その面白さが分からないと、そのよさは本当に分からないと思う。そして、村上春樹の素晴らしさは、そのよく分からないことが、いろいろな隙間から、なんとなく(言葉やそれこそコンテクストが)入ってきて、ささやかに沁み入るやさしさがある、ということころにあるのでは、と思っている。
そして、そんな建築が、いいのではないか!、つくりたい!!、とまた無理やり建築の話に揺り動かしてしまう思考回路を内省しつつ、女のいない男たちの意味に思いを馳せてみる。
安直に考えると、男はいつも孤独なのだなぁ、と思うのだが、女もいつも孤独なのかもしれないな。若い頃はこの孤独感が非常に人生の原動力になっていた訳だが、歳をとってくるとこの孤独感は非常に重くのしかかって(いい意味でも、悪い意味でも)くるのである。そんな空気感が、この本からは伝わってくる。うむ。時はあまりにも早く流れる。ちなみに2014年度の水谷研のテーマは(毎年テーマを設定している訳です。はい。)、
『女のいない男たち 男のいない女たち
何もおかしくはないぜ この道の向こうに
Peace,Love&and Understanding!!』
です。
そんなことを、自宅の足元にコンクリートの隙間を引き裂いて、ひっそりと咲きほこるドクダミの花を見て想う。梅雨&夏の季節ははじまっている。(TM)