年齢と流れる月日の話が出ていたので、それに絡んだ話を書いてみます。
今年、辰年の年女です。36歳になりました。(文字にしてみるとあらためて目を見張る数です。)
厄年、しかも本厄で大変です。なのですが、この話は年末総決算に取り置くとして、そうではない年齢の話。
近頃、活躍されている方々に自分よりも年齢が若いという人が多くなってきたので、いよいよ自分もそういう年代になったのだと身にしみて感じます。先に書いた小説家の西加奈子さんもしかり、スポーツ選手もしかり(なでしこの沢選手ですら・・・)、先生と呼ばれる職業の人も。そのことで衝撃を受けないわけではないけれど、若いころに何かしら免疫のようなものを作ってしまったようで、今ではもうネガティブな意味でのショックはほとんど受けなくなりました。むしろ、応援したい気持ちでいます。
免疫のようなものにまつわる人生で最も衝撃的だった事件は、私が高校生だったころのバルセロナオリンピックで岩崎恭子選手(当時)が金メダルをとったことでした。日本中が金メダルに湧いて、私も例外なく感動したのだけれども、その反面、嫉妬というか失望のような感情があったのを今でもよく覚えています。私はまだ若く、将来が明るく、前途洋洋のつもりでいたところ、私よりも年下(14歳)の女の子がオリンピックで金メダルをとった!つまり、時間が巻き戻せない以上、私には14歳で金メダルをとるという人生の可能性がひとつなくなっていたということに非常にショックを受けたのです。オリンピックで金メダルをとる努力どころか夢も描いたこともなかった私が考えるにはあまりも傲慢なショック(?!)なのだけれども、それは金メダルでなくてもっと身近なことにも当てはまるのでは・・・・とひとしきり考え込んだものでした。
そして、私はそれを糧に大層な努力家、野心家になった・・・・・・わけでなく、根が楽天的な私は「今、頑張ろう」とマイペースを信条にすることで落ち着いてしまった(ん?これもいいことよね。)んですけどね。
でもないか、たまには野心もあります。「トライするからにはベストパフォーマンスを!」とも思っています。
今日からいよいよ武蔵野大学基礎デザイン2がスタートするので、今年の学生とはどんな時間が過ごせるだろうと考えていて、ふと彼らの年齢が18歳か19歳ぐらい(未成年!)で、私の年齢を2で割った数字、つまり半分だということに殊のほか驚き、そのついでに36はキリはよい数字で他にも3,4,6,9・・・で割り切れるので試しに計算してみて、3で割ると12歳(あ~思春期)、4で割ると9歳(ひどく泣き虫だった頃)、6で割ると6歳(まだ学校にも行っていない!)、・・・と振り返ってあの頃の何倍も生きてきたと思うと非常に感慨深く、来し方に思いをはせていました。ぐるぐるぐる。
2で割っても3で割っても今の私の年齢は36歳、は~。年とったな。
でも、祖母は今の私の2倍以上を生き続けている。先はまだまだ長そう。
9月中にブログをアップできて、気持ちのもやもやがなくなりました。
さ、武蔵野大学へ行ってきます!
前の続きはいずれ。