基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。さまざまな技術や技能がどんどん展開していくこの世の中なのだが、最後は手描きのスケッチや絵が、まあまあパワーを持つということを今年も感じさせられて(もちろん、これは良いと思っている訳だけど)こういうのも大切だよね、と、完全に自己満足(及び、自己弁護(!))しながら講評も無事に終了。
さて、課題全文を下記に流します。講評会の翌週は恒例の第1課題の打ち上げ&第2課題決起会@吉祥寺の歓楽街。学生諸君には第2課題も健闘を期待します。(TM)
■課題:「Queen のいえ」
「スーパースターの家」シリーズの第15弾の課題は、ロック史上において世界中で絶大な人気を誇るロック・バンド、「クイーン」である。2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』[1]が日本国内を含め、全世界で大ヒットしたのは記憶に新しい。
やや私見ではあるが、クイーンの音楽のカテゴライズは難しい。クイーンがデビューしたのは1973年。一時期イギリスのロック(ポップ)ミュージック・シーン、特にハード・ロックはレッド・ツェッペリンのデビュー時と比較して低調とされていたが、ハード・ロック第2世代として出現してきた代表格がクイーンである[2]、というのが通説ではある。が、70年代初めからムーブメントを起こしていたグラム・ロックの括りに見なされている場合もみられる。デビューアルバム『戦慄の女王』は既存のハード・ロックの形式から脱し、今までにないような奇妙な、そして新しいヘヴィーさを纏ったスタイルを確立させた。その後、『クイーンⅡ』(74)、『シアー・ハート・アタック』(74)、『オペラ座の夜』(75、「ボヘミアン・ラプソディ」収録)、『世界に捧ぐ』(77、「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」収録) 等立て続けに名盤をリリース。80年代に入っても『ザ・ゲーム』(80、ファンクの影響)、『ザ・ワークス』(84、原点回帰)等を発表し絶えず大きなセールスを獲得しながら一線で活躍し、独自の音楽性を展開していく。91年フレディ・マーキュリーが死去してからも、残りのメンバーとゲスト・ヴォーカルをフューチャー[3]したかたちで活動は断続的に続いている。2020年に来日コンサートも開催予定であり、そのブームは現在も継続していると言える。
音楽の特徴は、メロディのもつキャッチ―で緻密な美しさ、メンバーが奏でるコーラスのハーモニー、ギター音をダビングすることによりうみだすギター・オーケストレーションというヘヴィーで厚く多様な音質、特異なメロディパターンをもつリズム・パターン、等が挙げられる。技術的に非常に高いものを持っている各メンバー各自が、自分のサウンド・ポリシーを持ち全員が作曲し作風もそれぞれ異なるため、音楽のバリエーションの多様さが大きな魅力となっている。
もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターのたちのいえ』[4]というコンペの課題である。今年度は、その『スーパースター』という像をどうとらえられるかということを、世界中で人気が認められるロックバンド、クイーンの存在を冠して考えてもらいたい。
課題へ取り組む糸口は、数多ある。クイーン自体のポピュラリティ、フレディ・マーキュリーのファッションなどを含めた先駆的なパフォーマンス、自ら楽器をつくるブライアン・メイの音への探求、ライブ・エイドのパフォーマンス、或いは『ボヘミアン・ラプソディ』の組曲性、ロック史が激動する70年代~80年代~現在という時代性、各々のメンバーや楽曲群、歌詞等など。
課題は、例年通りの前置になってしまうが、様々な社会性や文化性を持ったバンド(今も一応、現役)、クイーンという音楽グループの住まいを設計することではない。音楽という世界を通して創造をしているクイーンの拠り所としての概念(→空間)はどのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな提案を期待している。
[1] クイーンの結成から1985年のライブ・エイドでのライブ・パフォーマンスまでを描いた伝記映画。監督の後退などもあり映画批評家の前評判は分かれたが、主演のラミ・マレックはアカデミー賞主演男優賞を受賞するなど各賞を受賞する等一定の評価を受けた。
[2] エアロスミス、キッスと並び御三家との説がある。この後、ヴァン・ヘイレン、デフ・レパード、80年代のボン・ジョビへの流れ。
[3] ポール・ロジャース(2004~2009),アダム・ランパード(2012~)を起用。単発のパフォーマンスでは、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルの客演が有名。また、デヴィッド・ボウイと共作演をおこなった「アンダー・プレッシャー」(81)のヒットがある。
[4] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。