2016/06/28

恋する演劇2016

  武蔵野大学で木工演習の授業をしているのだが、何故か毎年、その授業内でグループに分かれて小演劇をおこなうことを課題の一つとしている。何故、木工の授業で演劇なのか?という、最大にして唯一の謎は横たわっているのだが、もう毎年恒例になってしまったので、学生たちも当然の如くこの課題に取り組むようになっている。本日がその2016年度の開催(開演?)日。授業時間内にキャンパスに戻って来れる範囲であれば、演じる場所は自由に設定できるので、教室外でほとんどの演目がおこなわれることになる。

 今年は3グループによる公演。各グループとも、様々な趣向が凝らせれており面白い。ただ、3つのグループが演じるのを観て、ものすごい共通点を感じてしまった。ある意味、シナリオが全て同じ雰囲気なのだ。ディテールの差異はあれ、すべてのクループが、まず何らかの状況により戦い、そして最後には歌って終わる(或いは何か高らかに宣言して終わる)、という流れをとっていた。
「戦い」と「歌」の連鎖。うむ。
 準備段階では各グループ間は、まったくコミュニケーションを取らないので、お互いの動きはまったく分からないのだが、このある意味、様式美のように定型化した状況は一体何なんだろう?、と考えさせられた。まあ、それが悪い、ということでは全然ないんだけど。だが、この符合する様子は、やはり少し奇妙な感じがする。
 作家ヘンリー・デヴィッド・ソローは言った(正確訳でなくすみません)。
 「森で分かれ道にきたら人の通らない方に行こう。そして全てが変わる。」
 あまりにその通りやで、と思ってしまうのです。はい。      (TM)