所用があり、北海道の札幌まで赴く。
札幌は15年振りだろうか。
東京のバカ暑さとはうって変わっての涼しさ。。。というか、ちょっと寒い。
なぜか僕が札幌に来る時は、天気が悪く、それがなかなかさびしさ、というか切ない気分を助長してくれてしまう。15年前もそんな感じだったな、とふと想い出す。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』のような感じ。
所用のついでに建築をいくつか見てまわる。
札幌ドーム。今更だが、実際に見ると素晴らしい。久しぶりに建築をみて感動した。ちょっと本質とはズレてしまうかもしれないが、ドームの建築そのものもいいのだが、それよりもドームに隣接してある移動サッカーフィールドを備えた屋外の広場の景観が圧倒
的だ。本当に大らかなスケール、そしてすり鉢状を形成するの地形の全体のアンジュレーションと地表面の勾配設定のあり方など、ランドスケープの神髄はこんな感じなんじゃないか、と思わされた。
その後、モエレ沼公園に。これは、、、すごすぎる。人間の領域を超えているような気がする。でも、実際人間がつくってるんだけど。雨の中のせいか、そんな感覚にとらわれつつ、建築をつくることのちっぽけさ(もちろんいい意味での、ということです。はい。)を痛感してしまう。
札幌市街地に戻り、夜、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィック・リム』を観る。これは、、、すさまじかった。これでとどめをさされる。映画は、日本の昔の巨大ロボットアニメを実写化した、ある意味B級ものだが、その都市や建築の映像の描き方はすさまじく圧巻だった。それらが、怪獣や巨大ロボットに粉砕されていく。その映像の洪水は恍惚とさせられてしまう。
いろいろとスケール感を激しくゆさぶられ、札幌を堪能する。(TM)
2013/08/31
2013/08/20
2013/08/01
住居アメニティ論終演
本日9年間続いた武蔵野大学の授業『住居アメニティ論』が、その9年間の歴史に幕を下ろした。先日(7/16)のブログの続きになるが、今シーズンで終わるトピックが、何故か続いている。住居アメニティ論という授業は授業名が非常に抽象的な所から分かるように、非常に何をやっていいかよく分からない授業な訳だが、逆に言えば、何やってもいい授業、という風に開き直ってこの9年間やってきた。武蔵野大学の授業に建築計画学の範囲の授業がないので、その辺りをさらっとフォローしながらも、後は、本当に自分の思うがままに、アメニティという言葉に無理やり関連付けながら、どちらかと言うと建築以外の分野からもいろいろな視点を交えながら建築の話をしてきた。。。つもりである。
朝一番の授業(9:00スタート)のためか、ここ数年は10名前後の履修者だったが(4年くらい前までは50名程度が履修していたのですが。。。)、履修した学生諸君には少しでも刺激を与えられていれば、と切に思う次第である。今年度はある回の授業で、デヴィット・リンチの『ロスト・ハイウェイ』の一部を見せたのだが(この映画の中で、主人公のビル・プルマン演じるジャズ・ミュージシャンの男が、自宅の暗く長く続く廊下(本当に真っ暗な空間)に入ると人格が変わってしまう、という設定なのだが、その廊下の空間構成とそこを通過する人の精神的構造が何らかのかたちでコネクトする、というあたりが非常に住居のアメニティ的な側面を語る上で面白いのです。)、ある学生が授業後に、「あまりの映像の有様に、ものすごく、強烈に、気分が悪くなった。。。!」、という感想を述べていた。まあ、朝の9:00からデヴィット・リンチを観るべきではない、というのがそこから導き出される考察結果になるのかもしれない、が、でも、そう感じるということは、その学生本人にとってはおそらく学生時代の授業の中でも忘れられない記憶(?想い出。且つ、悪しき)のひとつとなるのだろうから、そうなったとしたら、やはり僕としては授業をやった意味があったなぁ、と思う次第である。
そんなこんなで、またひとつの時代が終わってしまった。授業の最後に、ジャミロクワイとフー・ファイターズとレッチリのショートフィルム(監督はそれぞれ、ジョナサン・グレイザー、ミシェル・ゴンドレー、マーク・ロマネック)を朝一ながら、爆音で流して終わる。
これまで9年間授業を履修した歴代の学生さんたちは、おつかれさまでした。もう、デヴィット・リンチが朝の教室で流れることはない。(TM)
2013/07/31
TO YOU
事務所スタッフ2人からはランチタイムにお祝いを頂き、関西にいる家族からはおめでとうメールが続々と届き、友人からお祝いが届き、夜は自宅で家族に祝ってもらって、大変幸せな一日でした。みなさんこの場を借りてもう一度、「ありがとう。」
タイムリーなことにここ2ヶ月ほど娘の遊びの一つに「トゥーユー」というのがあって、これがHappy Birthday to You! を歌うこと。すっかり歌をマスターした娘に、歌って祝ってもらい嬉しく楽しい夕べでした。まさか1歳の娘から歌のプレゼントをもらえるとは1年前には想像もしなかったことで、子供の成長は本当に大きな喜びです。娘も本物のバースデーケーキとロウソクが嬉しかったよう。「もう一回!」のアンコールリクエストが出ました。
誕生日が2日違いの父と「また歳とったね」と言い合うのが恒例のこの暑い季節!
プレゼントのバカラのグラスに美味しいウイスキーを注いで、乾杯!これからが夏本番、頑張りますか!
2013/07/17
The Best Of Time:空間造形クロニクル
武蔵野大学の設計演習(空間造形3、3年生対象授業)の講評会。前期の総決算的なイベントである。あえて、イベントといっているのは、この講評会の場はある意味「お祭り」であり、「ハレの場」であるから、学生諸君にも(今までの設計作業の生みの苦しみを越えて)思う存分楽しんで欲しいと思っている。と、いう訳で例年学生には、発表に何らかの一工夫を考えてくるようにガイダンスをしている。7~8年前の学生はいろいろと積極的に仕掛けてきて、例えば、かぶりモノで攻めるとか、5人くらいで演劇風に発表するとか、意味もないのに野球のユニホーム&金属バット姿で喋るとか、留学生がわざと通訳付きの2ヶ国語発表をおこなうとか、まあ、良いか悪いかは置いといて、非常に活気のある講評会だった記憶がある。年々その傾向も下火になってきて、今の学生たちはあまり何もしなくなってきてしまった。でも、何人かはその努力をしようとしていて、やはりそのプレゼンは印象に残る。改めて、自分にも省みてプレゼンテーションのあり方の意味を考えさせられたなぁ。ただ機械的にしゃべっているだけだと、伝えたいこともなかなか伝わらないのかもしれないなぁ、と再認識してしまう。
そして、何やかんやと9年間も続いたこのコントも、大塚さんと思う所があり、今年度で最終公演にしようということになった。まさにラスト・ライブ。すべてには終わる時がある、ということをまた感じ入る。
学生の発表はそれなりに出来ている作品も数点あり、それなりに刺激的ではあった。でも、「それなりなんだよなぁ、何故なんだろう」と考え、やはり、発表する学生の情熱が感じられないという、非常に当たり前でプリミティブな思考に落ち着いてしまう。やっぱりそうなんだよな。それが少し(というか、あまりに)感じられない。ので、ひっかかりがなくてこちらとしては消化不良で終わってしまう。評価なんか気にせず、思い切り自分の思いをぶつけて欲しい。正解はないのだから。と、いつもと同じ感想をもってしまう。
セレクションした学生の発表が終わった後、発表チャレンジを受けて立つ(いわば敗者復活)機会を一緒に担当していただいている伊藤先生が学生に投げかけるが、希望者はゼロ。う~ん。その後、僕が2回目を投げかけるが、手を挙げる学生は再びなくズッこける。作品への愛がないのかなぁ。という寂莫感を持ちながら吉祥寺へ出て懇親会へ。
懇親会では学生は講評会とはうって変わって解放感に満たされながら、にぎやかに楽しんでいる。その元気を講評会にぶつければいいのに、、と思いながらも、学生の充実感を感じている姿を見ると、こっちもほほえましくなる。後期の設計演習もがんばってもらいたい。
家路につき、なぜかスティックスが猛烈に聴きたくなる。『The Best Of Time』。これはラブソングみたいだけど、9年間パフォーマンスにお付き合いいただいたミース大塚氏、無理やり引き込んでしまったザハ手塚氏、そして我が分身ライト水谷の3者に捧げたいと思う。ありがとうございました。(TM)
2013/07/16
設計講評会@生田
大学の先輩である青井先生にお声掛けいただき、講評をさせていただくことに。課題はキャンパス内にランドスケープも含めた交流スペースを設計するという課題。ランドスケープ系のゲスト講師の方にも声掛けを、との依頼があったため武蔵野大学でもランドスケープの授業をお世話になっている近藤卓さんにお願いをして、一緒に講評をさせていただくことになる。
明治の2年生の設計演習は必修のため約160名が履修していることに。原則全員発表ということで、全160人規模の講評会が製図室のそこかしこで、班に分かれて繰り広げられているのは圧巻である。今回僕がみさせていただいたのは青井先生の班の20名。14時にスタート。青井先生のガイダンスに始まり、4人毎の発表で全20名に対して発表&講評。最後に総括をして19時前に終了。久しぶりに全員発表の場を体験したので、やはり体力を使う。2年生ということもあり、設計に対する姿勢が新鮮な感じがするので、非常に面白い。作品に関しては、全体的にしっかりと建築計画やプログラムを考えて、きちんとまとめているという作品群が揃っていた。例えば50mくらい地下に掘ってみるような、度肝を抜くような設定提案も少し期待してみたが、まあ、そんなのは今の時代の若い人たちには流行らないんだろうな、と思ってみる。今後2~4年間でどんどん成長していくんだろう、と思いつつ、学生さんたちにはこの純粋な心持ちを忘れずに更なる飛躍を期待したい。
講評会後の懇親会も参加させていただき、いろいろと刺激的なお話をうかがう。
明日はいよいよ武蔵野大学も3年生の講評会。どんな成果が生まれるか楽しみだ。(TM)
2013/06/21
I’ll Wait
『1984』と聞いて何を連想するか?、というトピックをスタッフのharuと話していて、間髪を入れず「ヴァン・ヘイレン」と答えたところ、「え~!何でですかっ?(信じられない!!)」ってリアクションがあったのを想い出す(おそらく彼女はオーソン・ウェルズや村上春樹、といったところなんだろうが。。。)。
そしてその数ヶ月後前橋の現場でそれと全く同じトピックの話になった時に、周りは僕と同年代の人ばかりしかいなく、みな異口同音に「ヴァン・ヘイレンしかありえへんやろ!」と言われ、彼女は沈黙するしかないといったこともあったなぁ、ということも想い出しながら、東京ドームへ。
ついにこの日が来たかという万感の思い。会場は、おそらく僕と同じ気持ちの人ばかり。それにしてもすごい人だ。しかも年齢層はかなり上、男性比率が圧倒的に高い、という熱(苦し)過ぎる会場の盛り上がりをみせていた。
ライブは、ほとんどMCもなくひたすら演奏をし続けるという構成で、そこがしびれる。後、当たり前の話だが、サミー・ヘイガー以降のヴァン・ヘイレンの曲は一切演奏しないし、デイヴ・リー・ロスのソロも全く演奏しない、という潔いセット・リスト。そしてアンコールはなく全て本編に納めてオーラスを迎えるというライブ構成も気持ちいいくらいシンプルなものだった。
音楽評論家の渋谷陽一さんが、ライブのレヴューでヴァン・ヘイレンの魅力を「ハードロックバンドでありながら、ハードロックの最大の武器である、暗さとセンチメンタリズムというふたつの要素を持たずにこれだけ歴史に残るバンドとしてのキャリアを重ねてきたのは驚異的なこと。」と表現しているのにとても納得。
エディ・ヴァンヘイレンの、あの抒情性を全く排除したギター奏法がそれを如実に物語っているが、だからこそある意味ユニバーサルな普遍の魅力があるのだと思う。ライブでも「Eruption」のギターインストを演奏し始めた瞬間、モニターに映しだされるエディの無邪気な笑顔満載の姿とその超絶演奏に口がポカンと空き、空いたままもう閉じることがないんじゃないか、と思わせるその恍惚感は文章ではもう表現しきれない。おそらく会場にいた1万人がそんな状況だったんじゃないかな、と思う。そしてそれとミックスされるデイブ・リー・ロスの超楽天的なヴォーカリストとしての存在感は、まさにヴァンヘイレンの真骨頂と言えると、あらためて感じさせられたライブだった。
1984から約30年。
”I’ll Wait”(from『1984』)はプレイされた。その瞬間意味もなくちょっと泣きそうになった。
時はあまりに早く流れる。 (TM)
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