2018/11/29

Uncertain Times の夜

 久しぶりに渋谷のオーチャード・ホールにコンサートを観に赴く。
 話は少しずれるが、最近は何事においても、キャッチ―で見栄えがして(インスタ映えして)シンプルで分かり易いものが、「良し」とされる空気感が満々だが、どうも、「なんだかなぁ。。」と思ってしまう今日この頃。
 そんなこともふまえ、このコンサートは凄まじい(もちろん良い意味で)衝撃だった。バンド編成は3人のドラム(!)を最前線にセッティングしている時点で既に破格だし、複雑かつ多様なリズムとメロディーをもつ楽曲群を、「どうやったらバンドでこの演奏が可能なんだ?」と思わせる演奏技巧で表現していく様子は、もう圧巻というしかない。
 はっきり言って、一般的にはあまり理解されないであろうというレベルの難解な曲の連続。しかし、そこに確実に存在する圧倒的な素晴らしさを感じることができる、という身体性からくる享受。それらの相反する様相があいまって、観る側は恍惚とした境地に導かれていくのである。
 演奏される曲はほぼ6070年代につくられたものだが、それらが高密度に現在(或いは次世代)の音楽のかたちへとアップ・デートされており、その事実がまた見る側に新鮮な驚きと、確実に感動を与えている。
 コンサートは2部構成でセットされ、2時間40分超えのボリューム(これがまた凄まじい)。この日のアンコールでは70年代半ばの珠玉の名曲『Starless』で締めくくられた。ちなみに、今日が来日公演3日目だが、セットリストが毎日変幻自在に変わっているらしく、最早予測不能の模様。観客もほぼ50代、60代の年齢層、しかも95%くらいが男(ので女子トイレが空いているという他では見られない状況)、という会場の様子も、コンサートの特異性を助長させている。
 かつて、「ビートルズの『アビー・ロード』をチャート1位から蹴落とした」と世間にPRされたバンドは、50年経った現在においても、さらなる進化と冒険を継続していた。
 バンドを結成以来ずっと牽引するのは、奇才、ロバート・フリップ。
 プログレッシブ・ロックというジャンルをロック史に確立したバンド。
 その名も、「キング・クリムゾン」。(TM)

2018/11/14

トロールの森2018

杉並区の善福寺公園で開催されている屋外アート展『トロールの森2018』に作品を出展しています。作品名は「Third Stage」。公園内に出現した3つの棺桶、といった感じの作品ですので、早くも問題作としてみなされている感が半端ありません(いい意味でとらえております、はい。)。
 非常に明快で怖くて楽しい(空間?)体感をしていただける品になっていますので、是非、お近くにお越しの際はご来場ください。
 会期は2018/11/3から23日まで開催しています。入場無料ですので、お気軽にどうぞ。
 写真は「まちなかプロジェクト」へ参加した企画『百鬼夜行@西荻』のパフォーマンスの様子。毎週日曜祝日に出現しますので、そちらもお楽しみください。(TM)

2018/11/10

『僕らはもっと繊細だった。』展

 リー・キットの『僕らはもっと繊細だった。』展を観に原美術館へ。日本では初の個展ということだが、その初めてということに加えて会場が原美術館、というところが素晴らしい。
 だいたいの現代アートの展覧会では、作品の解説がどこかについて回る、というのが常だと思うのだが(現代アートは難解なので)、今回はそんな解説もほぼなし。
 ので、作品に観覧車が直に向き合う、ということが求められる、という点が静かな刺激を受ける。作品の展示には自然光と作品の一部であるプロジェクターの光のみを使っている(通常のスポットライト照明は使用していない)ように見受けたので、そんな展示環境も相まって、作品としてのダイレクトな存在感と、その直接性が生む抽象性というものが、頭を含めた身体をグルグルと駆け巡り、非常に難易度(或いは、多義性と言ってもいいかもしれない)を感じずにはおられず、それがまたビンビンに心地よい。
 あらためて、芸術の秋なんだなぁ、と品川の地で多幸感に浸るのでありました。(TM)

2018/11/09

『一畳敷』展

 ICUのキャンパス内にある博物館、湯浅八郎記念館で開催中の『ICUに残る一畳敷』を観にいく。松浦武四郎生誕二百年を記念する展覧会という位置づけだが、展覧会の白眉は何と言っても、キャンパス内に現存する『一畳敷』の建物を、1/1で再現したレプリカ(?というか、もうこの大きさになれば建築、と表現するしかない)を展示しているところ。ただのレプリカに過ぎないじゃないか、と言われればそれまでなのだが、やはり原寸大の空間を構築しているところは非常に意義深い、と感じずにはいわれない。
 ちなみにこの『一畳敷』は、松浦武四郎が日本各地の霊社名刹の建築物に使われていた古木材を90以上も採集してしつらえられたもので、いわば究極の「俺様キッチュハウス」といえる。
 という訳で、こんな特殊な建築をめぐって、現在は本物の『一畳敷』と、そのゴーストであるレプリカの『一畳敷』、が同時に共存している、という事実は、何となくロマンをかきたてられる。そんな秋のピリッと効いた展覧会でありました。(TM)

2018/11/01

課題:レッド・ツェッペリンの家

 少し前の話になってしまったが、武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:設計製図4の第1課題の講評会を開催。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の家シリーズの課題を提示する。もうこれも14年目に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。今年度は結成50周年ということで、王道中の王道「レッド・ツェッペリン」をついに投下。個人的には一家に一枚ツェッペリン、くらいの超メジャーな課題ネタと思っているが、意外、というか、当たり前のように学生世代の人たちにとっては、全く未知の存在のようで、いささかズッコケ気味で授業に臨む。約3週間の短いスパンだが、履修者10名が課題に取り組み、1010様のそれぞれ面白い提案が完成した。
 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。さまざまな技術や技能がどんどん展開していくこの世の中なのだが、最後は手描きのスケッチや絵が、まあまあパワーを持つということを今年も感じさせられて(もちろん、これは良いと思っている訳だけど)こういうのも大切だよね、と、完全に自己満足(及び、自己弁護(!))しながら講評も無事に終了。
 さて、課題全文を下記に流します。講評会の翌週は恒例の第1課題の打ち上げ&第2課題決起会@吉祥寺ハモニカ横丁。若干、パワー不足の学生も見られたが、学生諸君には第2課題も健闘を期待します。(TM)

■課題:「Led Zeppelin のいえ」
 「スーパースターの家」シリーズの第14弾の課題は、ロック史上にナンバーワン・グループとしてその名を残す「レッド・ツェッペリン」である。レッド・ツェッペリンがデビューしたのは1968年の10月である。ビートルズ、ストーンズにと並ぶビッグ・バンドとしての地位を築く訳だが、デビューは華々しいものでは無かった。しかし、ロック史上においてみると、デビューアルバム『レッド・ツェッペリンⅠ』は衝撃であり、当時停滞期にあったハード・ロック・シーンをツェッペリンはこの1枚によって生き返らせることになる。一般的なイメージではツェッペリン=ハード・ロックというイメージだが、サード・アルバムから音楽的な思考は多様で重層的な要素を孕み出し、アルバムを重ねる毎にまさに混とんとした音の塊のような音楽を展開していく。今年バンド結成50周年ということで、音楽界でもさまざまな特集や企画が催されている。
 メンバーは、ジミー・ペイジ(g) 、ロバート・プラント(vo)、ジョン・ボーナム(ds)、ジョン・ポール・ジョーンズ(b)の黄金の4人。衝撃のデヴュ-作を含め、ほとんど全てのアルバムがロック史上に残る名盤に数えられるのが特徴。ファーストに続く『レッド・ツェッペリンⅡ』(69)は「アビイ・ロード」を蹴落としてチャート1位になった大出世作であり、『レッド・ツェッペリンⅡ』(70)は「ロック=リフ」という方程式を世界に示した作品、4作目[1](71)は『天国への階段』をはじめロックの新たな方向性を示した大作、5作目の『聖なる館』(73)はその4作目までの集大成的作品、74年に彼らが設立したスワン・ソング・レコードからの第1弾『フィジカル・グラフィティ』(75) はロック史上最強の2枚組の一つにあげられる1枚、7作目の『プレゼンス』(76)は後期ツェッペリンの最高傑作と評される傑作である。
 その後、アルバム『イン・スルー・ジ・アウトドア』をリリースした後、1980年にドラマーのジョン・ボーナムの死によりバンドは継続が不可能になり解散。82年にボーナムへの追悼アルバム『CODA』が発表され、これが現在のところ最後のオリジナル・アルバムとなる。但し、現在に至るまで世界で一番再結成が望まれるバンドであり、数回「Led Zeppelin」名義でライブ・アクトが行われ(特に2007年の一夜限り再結成等)、その度に世界中から注目を浴びている。
 もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターのたちのいえ』[2]というコンペの課題である。今年度は、その『スーパースター』をどうとらえられるかということを、史上最強のロックバンド、レッド・ツェッペリンの存在を冠して考えてもらいたい。
 課題へ取り組む糸口は、数多ある。ツェッペリン自体のアイコン、時代の先駆者としての精神性、後継するアーティスト達への絶大な影響、世界ロック三大ギタリストとしてのジミー・ペイジのスタンス、ロバート・プラントのソロ活動、或いは『天国への階段』の詞性、ロック史が激動する60年代後半~70年代~現在という時代性、各々のメンバーや楽曲群、歌詞、等など。
 課題は、例年通りの前置になってしまうが、様々な社会性や文化性を持ったバンド(今も一応、現役)、レッド・ツェッペリンという音楽グループの住まいを設計することではない。音楽という世界を通して創造をしているツェッペリンの拠り所としての概念(→空間)はどのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな提案を期待している。


[1] 邦題『レッド・ツェッペリンⅣ』は便宜的に付けられたもので無題のアルバム。ジャケットに4つのシンボルマークがあることから、通称、「フォー・シンボルズ」や「Ⅳ(フォー)」と呼ばれている。内袋全体にぎっしりと歌詞が書き込まれるなどの特徴がある。
[2] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果は。。。ほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。