2017/05/29

枠組みを疑うこと

学生時代の盟友、ピピ田君が上京。僕が学生時代は12年の間は学部の内の様々な学科がクラス単位でまとめられていて、学生生活において他学科の学生と交流するチャンスがあった(今もそうかもしれないけど。)。ピピ田君は化学の研究者で、専門もまったく異なるが、逆にだからこそ会話をしていて面白いこともある。
 今回は、大学生の就職を含めたキャリア(教育)に関しての議論へ話が展開して面白かった。結論から言うと、「そもそも、大学が学生の就職に関してコミットする必要はあるのか?!いや、ないんじゃない。」(ワオ!)、ということである。いや、まったくその通りである。そして、日本の「春一斉に就職活動解禁&開始取り決めは、やめてもらおう!」、そして「卒業してから就活すれば、いいんとちゃうの。」ということで大いに盛り上がった。
 近年、日本の大学生があまりに勉強しない問題が声高に叫ばれているが、3年までにほとんど何も研究らしきことができていない状況で就職先を決めなければいけないことが、高等教育のカリキュラム上において完全に破綻をきたしている、という明白な事実が横たわっている。
 おそらく卒業論文・研究(建築の場合は卒業設計も含めて)をもって就活しなければいけない状況になったら、おそらく大多数の大学生は必死になって勉強するんじゃぁないだろうか。少なくとも今のように、まったく勉強せずに卒業する学生はいなくなるだろうな。いやホントに。
 と、既存の枠組みを壊していくことの重要さを改めて認識したのでありました。しかし、所詮は酒席での戯言。現実は厳しくなかなか重たい。でも、こういう妄想も大切だ。「枠組みを疑い、超えてゆけ!」と学生諸君に密かに贈る言葉でありました。(TM)