2016/08/25

モダニズムの建築@佐賀


 所用があり福岡へ。
 そして、もう少し足を延ばして、佐賀へ。
 なかなか赴く機会がなかったのだが、佐賀のモダニズム建築を観たいと思って久しく時が過ぎてしまい、時間が限られている中、えい、と思い切って行くことに。
 いや、素晴らしかった。
 大隈記念館(今井兼次)、市村記念体育館(坂倉準三)、佐賀県立博物館(第一工房+内田祥哉)、佐賀県立図書館(第一工房+内田祥哉)、と歩いて炎天下巡る。蛇足だが、全部自分が生まれる前にできた建築。どの建築も力強い存在感と質感があり、しかもそこに人々が寄り添いながら、建築がある様子がとても好感がもて、静かな感動すら覚える。
 全国でモダニズム建築がドンドン無くなっていっている状況だが、これらの建築群も将来どうなっていくかは何とも言えない。建築が年月とともにその地域をつくっていくということが感じられるが、また時間の経過の残酷さも感じてしまう。灼熱の佐賀でありました。(TM)
 

2016/08/20

甲子園と本塁打のえがく情景

 リオ・オリンピックで盛り上がる中、ひっそりと高校野球で盛り上がっている。ような、気がする今日この頃。雑誌Numberの最新号が、「甲子園最強打者伝説」という特集で高校野球関係の記事を組んでいる。清原が表紙で、この時期にすごく微妙な塩梅だが、記事のメインはその清原である。
 そしてこの記事がすごくいい。久しぶりにスポーツ関連の文章で力作を読んだ、感動!、という感じ。
 記事の内容は清原が甲子園で打った本塁打13本にフォーカスを当て、当時打たれた(3年間に渡り)投手全員にインタビューをしてまとめている。だから、清原本人の言葉は直接的には出てこない、という趣向も面白い。たった一本(或いは一打席)の結果としての「ホームラン」が、その当事者の人生に少なからず、様々なかたちで影響を与えている、という事実がいろいろと考えさせられる。
 そして、そこには甲子園球場という場所が背景として厳然と横たわっている、と感じてしまう。いや、野球のはなしがつづきますが、やはり夏は甲子園やなな、とひとりで納得。うむ。(TM)

2016/08/08

3000の重み

 19951021日。第1戦、日本シリーズに仰木彬監督(当時)率いるオリックス・ブルーウェーブが、野村克也監督(当時)率いるヤクルトスワローズと対決した。
 1995年。そう、117日に阪神・淡路大震災が起きた年に、神戸をフランチャイズに持つブルーウェーブがパ・リーグを制覇して臨んだシリーズだった。
 神戸市民の期待を一心に集めるばかりでもなく、日本中の応援を受けての決戦だった。しかし、結果は14敗の完敗。完全に野村ID野球に抑え込まれるかたちでブルーウェーブは敗退した。
 最後の試合が終わった後、イチローはコメントした。
「このような不甲斐ない試合をしながら、完全に負けてしまいました。でも、こんな僕たちのプレーを、ブーイングもせずにスタンドで応援してくれる神戸のファンをもてて、僕たちは誇りに思います。」
 神戸市民全員が涙した瞬間である。もちろん僕も泣いた。
 
 それから20年の歳月が流れ、201687日(日本時間は88日)。
イチローがMLBでの3000本安打を達成。
感無量である。
本当にすばらしい。
泣けた。
ただ、それだけである。 (TM)