2014/03/20

卒業と雑感と

 武蔵野大学の卒業式。今年で8期生が卒業。水谷研のゼミ生8名も無事皆卒業。今年度もいろいろと盛りだくさんな1年だった。
今年は式の会場が有明コロシアムになり、壮大な会になった。学生諸君は改めて、おめでとう。
 大学では年度毎に学生の作品集(『Mu』という名前です)を制作している。その中で教員も毎年1年の総括をすることになっている。自分の担当している授業を総括するのが普通な訳ですが、僕は場違いに随想を勝手に書かせていただく。今年度分が間もなく上がってくるので、例年恒例という訳で、全文を以下に掲載します。卒業生のみなさんは懐かしさとともに、どうぞ。

■『2013年度 回顧・雑感 ー設計演習とか、木でつくるとか、、、』
 
 2013年の11月に、ビリー・ジョー・アームストロングとノラ・ジョーンズという超異色デュオが『foreverly』というアルバムをリリースした。異色というのは、まずはパンク・バンド(グリーン・デイ)のフロントマンとジャズ(って言っていいのか?は微妙だが)シンガーソングライターの世界を代表するトップランナー2人の取り合わせ、という意外性があるのだが、アルバムの内容自体もエヴァリー・ブラザースの『Songs Our Daddy Taught Us』の楽曲を丸々カバーしたというものだった。しかもこの『Songs Our Daddy Taught Us』自体がカントリー&フォークのカバー集なのである。ちょっと複雑だが、カントリー&フォークの楽曲群をカントリー・グループがカバーしたものを、パンクとジャズの異色デュオが更にカバーした、ということになっている。で、僕はこういうのが好きである。
 小説家の保坂和志氏が、雑誌『みすず』(201311月号)の連載で、メタフィクションに関する論考をしていて、その中でこのメタフィクション的なものを否定しながら、「小説を書くというのは個人的な作業だ、あるいはバンドの演奏のような共同作業でも同じだが、発話するその人の実感は、相手に伝わる/伝わらないに関係なく個人的な言葉にして、相手はそれを受け止めるしかない、もしどうしても相手がそれを受け止められない場合、その人との共同作業は成り立たない。小説を書くということは作者である自分がその小説に影響を受けるということだ、影響を受けるというより書いた分だけ作者である自分は別の場所に連れていかれる。その意味で作者も(作者こそ)小説の登場人物=作品内人物の一員なのだ。」と述べている。
 さて、最初の話に戻るが、アルバム『foreverly』は、音楽評論家の大鷹俊一氏によると、ビリー・ジョーにとっては『American Idiot』以来、彼本人が向かい合い続ける内なるアメリカン・ルーツとそこから生まれる音風景の検証作業(葛藤)の一つと位置付けられる。そう考えると、それは、決して、上述の前提状況が非常に複層的であるから面白いという訳ではなく(この前提状況も確かに充分面白い訳だが。。)、カバーと言う行為自体がある意味メタフィクション的ということを仮定すると(オリジナルとして書かれたこと(A)に対して、外に(客観的に)立つカバーとして唄う客体(B)が表れており、Aに対してBの意識的な操作が介在しているという仮定を可とすると)、そのある意味メタフィクショナルな状況の中で、主題は私的な内省的な要因を含んで、しかもオーソドックスでオーセンティックなものに対して「ひっかかり(葛藤)」≒「居心地の悪いもの」(いい意味でのです。もちろん。)な響きを広範囲に(全世界に)広げている、という点が面白い、と、思うのである。
 それはおそらく設計演習(卒業設計、空間造形を含む)や環境プロジェクト(木でつくる)におけるデザイン行為に通じる所があるのではないだろうか。例えば、木でつくる課題は色彩を持ちあぐねている君と、彼、或いは彼女の逡巡の都市、、、を見つける、そんな時に座るイス』という非常に抽象的な課題だった。その課題への答えはおそらく、分かりやすいコンセプトやきれいに納まったデザイン(造形)、ということだけでは不充分ということになるだろう。空間造形4は僕のスタジオでは「The Beatlesのいえ」が課題だった。学生作品は非常に内向的なものばかりで、それはそれで間違ったことをしている訳ではないのでが、ビートルズのもつ祝祭性やそれこそグローバルな側面というものをあまりにニグレクトし過ぎているのではないか、と思わされた。自分自身が作品によってどこまで推進して(されて)いくのか、、、ということを、どう考えたのだろうか?、ということを学生のみなさんには再度考えてみて欲しい。
 さて、(建築)デザインというものには正解はない。どう考えるかは学生の皆さんの内にあるのである。どうすればいいのか。それを探して続けていくしかないのです。おそらく。
 『オドルンダヨ オンガクノ ツヅクカギ Going To A GO-GO!!
(TM)


2014/03/19

音楽堂

 たまたま高崎で新幹線の乗り継ぎの時間がかなり空いたので群馬音楽センターを観に行く。高崎に何度も足を運んでいるのに、いつも乗り継ぎだけだったので、観に行ったことがなかった。言わずとしれたアントニオ・レーモンドの代表作であり、日本のモダニズム建築の中でも非常に意味のある建築と目されている。

 イベント開催がない日だったので、運よくホール内部も見ることができる。文句なく圧巻だ。そして文字通り骨太で力強い。竣工後50年以上経っているので現在の音楽ホールとしては使い勝手上難しい時もあるだろうが、とても綺麗に施設が利用されている様子が窺えて落ち着く。なぜこのような(ある意味、力強すぎる)建築を人々が愛するのか、という素朴な疑問を感じてしまう。非常に浅はかかもしれないが、やはりそこには「カタチ」というものが厳然として立ち現われているからだと思ってしまう。それを脱却しようとして、建築のプログラムやシステムやコンセプト等々に、僕たちは考えの糸口を見出そうとしたりしてみる訳だが、やはり「カタチ」というものを改めて大切に考えてみないといけないんではないかなぁ、と思ってしまう。まあ、当たり前の話といえば当たり前なんですけどね。  14年程前に茨城県小美玉市の劇場の設計に携わった際、ホールの内部空間をスタディした時に、真っ先に描いたスケッチがこのレーモンドに本当にそっくりだったことを想い出しして、ツナガッテル感が湧いてくる。時は流れているが、建築の「カタチ」はまだそこにある。 (TM)

2014/03/12

今西家住宅


  学生の奈良建築研修旅行にスポット参加をする。奈良には何回か行っているが今井町まで行くのは初めて。

  今西家住宅は17世紀中頃(江戸時代初期)の町屋住宅の構造様式などを残す遺構で、とても興味深い。最大の見どころは内部の土間空間。非常に大きな空間に屋根の小屋組の架構が露わしで懸かっており、その構造体が見せる空間全体のテイストは圧倒的で、またヒューマンスケールな居室部分との空間の対比が、より空間の魅力をひきたたせている。

  ある意味非常に大きなスケール感というものは、建築の世界では批判されやすいところだが、ある劇(的)性を有すると体感する者にとっては何にも代えがたい空間として立ちあがってくる。これはこの住宅が地域全体の要塞のような機能を果たしていたことや、この場が当時はお白州の場であったという空間が持つプログラム自体がもつ劇性というのもあるだろうし、それらを背景に屋根架構造を含めた大きなスケールの空間と小さな居住空間を舞台背景にしながらその場で展開される人々のアクティビティ等のドラマツルギーを感じることができるからなのではないか、と思ってみる。
これも骨太のデザインなのだなぁ、と漠然と感じながら、空間を満喫する。やはり奈良は奥深い。(TM)

2014/03/06

ローリング・ストーンズを観る

 


  おそらく最後になるであろうライブ。

  10代初期の頃からずっとストーンズには接してきたので、思いもひとしおで、そして複雑だ。
 個人的にはビートルズは聞かないことで立ち位置を保とうとしていたので、ストーンズの方が圧倒的に思い入れは強い(ちなみにビートルズは大学生活の後半(20代半ば)にして突如目覚めたという次第。)。


  冒頭にも書いたが、ポール・マッカートニーの時もそうだったのだが、僕たちの心情が複雑で異様な思い入れの空気感を出しているのは、これがおそらく最後だろう、という感覚からきている。の、だろう。おそらく。。。
  ひとつの歴史、しかも圧倒的なモノの終わりが間近に予想されながら、尚、眼前に厳然とある事象を観ながら(体感しながら)感じる感覚は非常に表現が難しい。日本の最終公演日ということあり、その感覚が更にドライブしているような気がする。
  さて、ライブはのっけから『Jumpin’ Jack Flash』からスタート。風の噂に聞こえてきた情報と違ったので、いきなりビックリ半分で会場のボルテージは最高潮に。さすがに、ベスト・オブ・ベストのセットリストで、異常に盛り上がった。個人的にはキースの『Slipping Away』でグッとくるものがあった。後、『Miss You』もよかったし、ミック・テイラーが入った『Midnight Rumbler』も圧巻。それにしてもミック・ジャガーはずっと切れよく踊り続けていて、70とは思えない姿にもう言葉はない。アンコール最後は『Satisfaction』で締めライブは終了。終わった後は、もう「あ~~、終わってしもうた~~。。。」というしかない。そう、もう、終わってしもうたのである。
  帰って、アルバム『Some Girls』を静かに聴く。『Before They Make Me Run』が心に沁みる。そう、走らされる前に歩くぜ。

 とどのつまり
  まだ楽しいうちに 動きをおこさなきゃ
 俺が奴らに走らされる前に 歩かせてくれよ
  まあ、どうのこうの言っても
  まだ楽しいうちに 俺は動くぜ
  俺は奴らに走らされる前に 歩いていくぜ                                     (TM)


2014/03/05

JAPAN SHOP 2014

 


JAPAN SHOP2014がお台場の東京ビッグサイトで開催されており、その併設セミナーの一環で、「街とつながる施設デザイン-既存施設のコンバージョンの成功事例の紹介」と題して、アーツ前橋を中心にお話しする機会を得る。


http://www.musashino-u.ac.jp/learning/lifelong_study/pdf/JS2014.pdf
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-8086.html

  当日は、雨の中80名近くの参加者の方があり、非常に感謝である。
今(まで)考えていることを、まとまった時間で話す機会はそれ程ないので、自分の考えを整理する上でも非常に有意義だった。話の中で少し音楽に関するトピックも挟みながらなので(特に音楽の専門家でもないのに)、よく伝わらないのではないかと少し心配していたが、取材に来ていただいたニフティの方やライターの方が「非常に分かりやすく、面白かった」というお言葉をいただいて(お世辞半分かもしれませんが!)、ほっと一安心。
  「多様性」、「自然体」、「ひっかかり」というキーワードをベースに「モードをつくる」、「ゆるやかな不統一の連続」という考えを組立て、自分の中でも何となくの筋道がおぼろげながらではあるができてきたような気がする。
  ご来場のみなさま、ありがとうございました。(TM)