2011/10/31

ものがなしさといふこと

今日昼ごはんを買いに出かけて、かなしいことがあった。と、いうほど大きな事件があった訳ではないが。。。
 昼ご飯は、たまに持ってきたり、外食したりしてるのだが、だいたいが御弁当屋に買いに行っている。事務所から歩いて数分のところに、安くて、味もいい弁当屋があるので、そこまで行って買ってきて事務所で食べるということが習慣になっている。
その弁当屋は味やコストパフォーマンスがいいのもあるのだが、売っている人の人柄がそこはかとなくにじみ出ていて、そこがお気に入りの理由のひとつでもあった。先週買いに行った時は突然お店のおばちゃんに、
「ところで産まれたの?」
と突然聞かれてびっくり。
普段、話をしたことなんかなかったけど、妻と時々買いにいっていたので、状況がなんとなく分かってくれていたのだろう。
「ええ、おかげさまで。。。」と照れながら返事をさせてもらった。
まったく私ごとではあるが、東京の街中でも、コミュニティ感のようなものを感じる一場面であった。そんなことがあった矢先である。
今日買いに言ってみると、
『誠に勝手ながら29日をもって閉店とさせていただきました』の貼り紙。
 絶句して、乗っていた自転車からこけそうになった。まさに青天の霹靂だな。まあ、弁当ひとつで大袈裟な、と言われる方も多数いらっしゃるだろうけど、大切の昼ごはんのまさにエースがいなくなるのは、何とも表現しがたいもの哀しさがあるのである。
 まさに、ダルビッシュを失ったファイターズ状態である(日ハムはまだ失った訳ではないけど)。
日常生活の一部がなくなってしまう、或いは激変してしまうということは、往々にしてあることだ。が、改めて考えてみると、ハード(建築とかももちろん)であれソフト的なことであれ、やはり、それは、“ものがなしい”としか言いようがないのである。
 ため息をつくほか、仕方がない。
 これからの昼ごはんの物語が、ひとつ消えてしまったな、と思う今日この頃。
 まさにため息。

2011/10/29

豊田・金沢行軍


 美術館の設計をしていることもあり、どうしても見ておきたい美術館に見に行くことに。1泊2日の強行軍で、豊田市美術館(谷口吉生氏設計)と金沢21世紀美術館(SANAA設計)をみにいく。金沢は3回目だが、豊田はなんと初めての訪問。なかなか名古屋までいく機会があっても行けなかったので、“ついに”という気持ちも若干ある。
 金沢はやはり現在の建築の流れをつくっている(と僕は思っていますが)、という感があり現在の流行りの元祖的な空気感が漂っている。例えば、内藤廣さんが雑誌で石上純也さんのことを「極北に立って設計している」(すみません、表現はうる覚えなので正確ではないかもしれません)、と表現されていたが、極北への出入口的な作品だ。材料の選択や納まりなどは勝負をかけている様子が伝わってくる。
 豊田は、(まあ、まったく感想になってしまいますが)、ある意味その対極にある。と思う。ある意味、極南。ん?違うかな?いずれにしても、確かな素材感。そして確かなディテール。そして確かな存在感。建築家の大塚聡さんが、豊田を評して、「蜃気楼が建っているように見えた」と表現されていたが。さすがに、僕には蜃気楼とまでは見えませんでしたが、そんな気持ちは分からないでもないなぁ、と痛感した。
もうどっちがいいかは好みも問題かな、と思ったりする。極北か、極南か。。。
ふと、表現をするというのは、本当に難しいものだなと改めて思う。それは建築の作品に限ったことではなく。
ちょっと話がずれてしまうが。もっと、普段の僕たちのコミュニケーションに関わるようなことも含めてのはなしも考えてみる。
本当の自分の想いや意思を伝えるのはなかなか微妙なものだ。人は時に妙で突発的な行為をして、傷つけたり傷つけられたりして、真実やホントの気持ちや真意をなかなか伝えられないものなのだなぁ、と感じ入ってしまう。
 ましてや建築による表現は、いわんやをや、である。
 さて、我に返って、僕たちはどっちに進むべきかと考えてみる。極北も極南も取られてしまった。では、東か西か。そんなこと構わず、ど真ん中にストレートでいいんじゃないか。ホームランを打たれるかもしれなれど。腕を大きく振ることを心がけて直球を投げ込むだけだ。狙うは絶妙にズバッとアウトロー。
それでいいのだと思う金沢の夜。

2011/10/19

レッチリのいえ

武蔵野大学の設計演習で、3年後期の第1課題の講評会。例年通りだが、第1課題は3週間の小課題で、学生にはある意味、瞬発力を期待した課題でもある。
水谷スタジオは例年のとおり、『スーパースターのいえ』(ロック・アーティスト)シリーズ。今年で、このシリーズも7年目に突入したことになる。いやはや、長く続いてますね。
 そして今年の課題は『Red Hot Chilli Peppersのいえ』。
 この課題は敷地や建築条件など、特に規制や制約のない課題なので、学生は本当に困った顔で設計に取組むことになる。まずは設計(デザイン)のとっかかりを見つけなくてはいけない。普段はそんな、なんでもありな課題に接してないのでまずはそこで苦労する。そしてコンセプトを構築して、空間として表現し、その設計したものの意味を問わなければならないので大変そうである。
 学生と議論していると、「ある程度制約がないと、進められない。。。一体、何したらいいんですか?」という意見を年度を経るにつれて聞くようになってきている。自由さ故の不自由さ。そんなことを学生も実感しているのだろう。ここでのポイントは、助け船は決て出さないということ。これは、指導教員としてもとても悩ましいところではあるが、そこがツボである。自分で突破口を見つけることも大切なんだ(というか、そこに課題の一番の醍醐味がある)ということに気づいて欲しい、と思っている。でもね、なかなか最近の学生諸君は結果を求めたがるから、、、難しいのである。
 今年度は7名が履修。先週まではほとんどが完成しないんじゃないか、と心配していたが、蟻の巣のような空間があり、ストイックなまでに建築素材を積み上げていく形態のものもあり、場所性を認識させるしかけづくりだけで勝負する案もあり、ニューヨークの超高層ビルにガツンとやる都市的なアプローチもあり、まったく空間として機能していないメタフォリカルな案もありと面白かった。
 履修者のひとりがマレーシアからの留学生で、その彼が最後に、「この課題をやることの意味は一体何なんですか?」と聞いてきたのが刺激的だった。
「その意味を見つけることに、この課題の意味があるんじゃい!」。
と、いうのがひとまず僕の答え。
 なにはともあれ講評会は、ある意味、“ロックンロール・タイム”を自ら体感できる瞬間だ。
 さあ、学生のみんなはロックできたかな?

2011/10/16

住人十色


大阪の毎日放送の『住人十色』という番組に、「石神井台の家」をとりあげていただき、昨日がその放送日だった。ようだ。
と、いうのも、家族ができてバタバタなので、という以前に関西でしか放送が見れない、という以前にそもそも我が家にはテレビがない、、、ので、残念ながらオンタイムで放送が見ることができない。
大学や高校の同級生から、感想のコメントをメイルでいただく。

テレビがない生活を送っているので、「なんだか、テレビなんかなぁ。。。。」と、このところ続いたテレビの収録に食傷気味だったのだけど。本当に偶然テレビを見ていた人もいて、20年ぶりくらいに連絡をもらった人もいたりして、なんかうれしい。こういうことがあるとテレビにも出てみるもんだなぁ、と思う。。。うん、ちょっとだけですけどね、思ってみたりする。
感想も好意的なものをいただいたので(って、まあ、みなさん悪くは言わないよね。。。本当は思ってても。。。と、いうような裏読みはこの際しないことにする。)、放送局から送られてくる予定のDVDを楽しみにしましょう。
この前のBS朝日の放送とは内容も違ってて、この前は紹介されなかった3階の様子も映っているみたいなので2本見て全貌が分かるような感じらしいです。ご覧になった関西の方がいたら、感想くださいね。

2011/10/14

20111014

















まったくもって私事ですが、家族が増えました。
また新たな生活のスタートですね。
元気にいきますよ。みなさんも元気に。